第1話 深淵の王と、最果ての花
かつて世界は二つに裂けていた。
魔王が統べる闇の《深淵大陸アビスガルド》と、人々が暮らす光の《白聖大陸セレスティア》。
千年に及ぶその争いを終わらせたのは、たった一人の少女だった。
だが今、その少女の名を覚えている者はいない。
平和ボケした人間たちは、英雄を消費し、そして忘却の彼方へと追いやったのだ。
――人間とは、なんと薄情な生き物か。
冒険者、ノアは呆れを通り越して失笑しながら、茨の森を剣で薙ぎ払った。
「ここか……」
地図にはない。歴史書にも記されていない。
世界から切り離された場所、《最果ての花園》。
視界が開けた瞬間、ノアの呼吸が止まった。
そこには、かつて戦場で見た血の色も、焼けた土の匂いもない。
あるのは視界を埋め尽くす青と白の花々と、優しい風だけ。
そして、その中心に彼女――フローラは立っていた。
太陽の光を吸い込んだような銀髪。
戦場で見せた凛々しさは鳴りを潜め、今はただの無垢な少女のように、裸足で大地を踏みしめている。
(……やっと、見つけた)
ノアの――いや、かつて冥王アビス=レクスと呼ばれた男の胸奥が、熱く震えた。
10年前、聖剣でこの身を貫かれたあの瞬間から、俺の魂はずっと彼女に焦がれていたのだ。
「……あ」
フローラが振り返る。
その瞳がノアを捉えた。
かつての宿敵。今はただの冒険者。
「……ずいぶんと待たせるのね」
彼女は微笑んだ。
ノアという仮の姿を見ても、彼女だけは騙せないらしい。魂に刻まれた因縁は、姿形を変えた程度では誤魔化せないのだ。
「住所不定の聖女様を探すのに、十年もかかったんだ。……褒めてほしいくらいだぞ、フローラ」
ノアは肩をすくめ、憎まれ口を叩くことで、あふれ出しそうな恋心を必死に抑え込んだ。
「ふふ。久しぶりね、アビス……いえ、今は『ノア』と呼ぶべきかしら?」
「好きに呼べ。……どうせ俺の全ては、とうの昔にお前に奪われている」
それは降伏宣言であり、不器用すぎる愛の告白だった。
世界で一番憎かった相手。そして今、世界で一番愛しい相手。
元魔王と元聖女。二人の秘密の恋が、この花園で幕を開ける。




