⑤隠された才能
△△ミュージックという、有名な音楽事務所がある。
今、その事務所があるビルの最上階の一室に、福田優作はいた。
かつて、天才ピアニストとして、注目を集めていた人物だ。
彼は現在、プロデューサーとして名を馳せている。
若い才能を発掘し、一流ミュージシャンへと育て上げ、世に売り出すのが彼の仕事だった。
△△ミュージックは、彼なしでは、ここまで大きな会社にならなかった。
それは誰もが認める、周知の事実であった。
そんな彼は時折、まだ駆け出しの、素人ミュージシャンの動画を見る事がある。
才能ある原石を、探すためだ。
これまでにも、気になったミュージシャンには、何度か声をかけた事がある。
この日は、たまたま『日本一下手くそなストリートミュージシャン吉沢陸』という動画を見つけた。
ちょっとした、好奇心だった。
気になった福田が、クリックしてみる。
『あ、あ、逢いたい〜♪ た、たー、ただ、逢いたい〜♪』
福田は、首を捻った。
確かに下手だ。
歌もギターも、聴けたものではない。
しかし何だろう、この違和感は。
福田は椅子に深く座り直し、ヘッドフォンを用意し、じっくりと聴いてみた。
目を閉じ、陸の歌声に集中する。
やがて、気付いた。
これは、上手く言葉が出せないだけではないか?
声自体は、非常に高くて美しい。
演奏は、約三分ほどだった。
最後の方に『君は〜』と、声を張り上げるフレーズがある。
ここで福田は、思わず立ち上がった。
『は』の母音は『あ』になる。
この『あ』だ。
福田が驚いたのは、この一音だ。
——何だ、これは?
福田は、ゾクリとした。
腕、背中、首筋の辺りまで、鳥肌が立った。
その電流が駆け抜けたような衝撃に、座って聴いている余裕などなかった。
こんな感覚は、今まで感じた事がない。
福田は、動画を何度も繰り返し、再生した。
その度に、深く唸った。
そして彼は、思いついたように、五線譜を用意した。
おそらく、陸が演奏しているであろうメロディを、書き起こしてみたのだ。
陸の左手の指の形を見て、コードも推理してみた。
しばらくして、サビの部分だけだが、譜面が完成する。
いくつか間違いはあるかもしれないが、八割、九割は合っているだろう。
早速、福田は電子ピアノを用意して、陸の曲を奏でた。
……涙が溢れた。
これほどまでに美しく壮大なメロディは、世界中を探しても、そうは無いだろう。
心に沁みるというより、心を強く掴まれ、揺さぶられるようだ。
福田は、陸について調べてみた。
SNSに陸の情報が、いくつかあった。
どうやら彼は、重度の吃音症と、右手が震える障がいがあるらしい。
なるほど、と福田は深く頷いた。
福田は腕組みをして、目を閉じた。
もし、それらの障がいを取り除けば……?
福田は、自分でも驚くような、無謀な考えが頭に浮かんだ。
それは、ある一定期間、陸をアメリカに行かせるというプランだ。
最新の医療技術で、彼の手の震えを治す。
吃音症は、言語特訓、心理療法によって改善する事が出来るだろう。
そして一流の講師に、歌唱とギターのレッスンを受ければ、彼はその才能を発揮するのではないか?
先ほどの陸の曲の中に、一つ、とんでもなく素晴らしい音があった。
この一つの音を、一パーセントとしたならば、それを十パーセント、二十パーセントと上げていく。
いつか百パーセントになった時、彼は間違いなく、日本を代表するアーティストになるだろう。
いや、世界トップクラスの位置まで、登りつめるかもしれない。
だがしかし、やはり机上の空論だ。
願望が含まれた想像と言っていい。
確信などない。
それは勿論、福田も理解している。
そもそも、壁が多いのだ。
彼が、アメリカ行きを拒否する可能性も、十分に考えられる。
行ったとしても、彼は異国の地で、ずっとやっていけるだろうか。
また、彼の生活費、プロによるレッスン料、医療費、それに通訳も雇うなら、かなりの金額が必要になる。
仮に一年だとしても、ゆうに一千万円は超えるだろう。
それを、会社が出すだろうか。
まだデビューもしていない、それどころか日本一下手くそとまで呼ばれる彼を、バックアップするだろうか。
ふぅ……。
福田は、とうとう深い溜息をついた。
社長に直談判してみるか。
これまでの自分の実績、会社への貢献度を考えれば、無下に断りはしないだろう。
もしも会社が渋るようなら、自分の貯蓄を崩してでも、彼に賭けてみるか。
福田は悩んだ。
諦めようとしても、その都度、陸のあの一音を思い出す。
ふと、時計を見た。
夜の八時を回っている。
もう五時間も、悩んでいた事になる。
福田は重い足取りで、窓ガラスを開けた。
夜風にあたり、深呼吸をしてみた。
気持ちを落ち着かせると、窓を閉めて椅子に座り直した。
ここで再度、陸の動画を見る。
改めて、陸の突き抜ける一音を聴いた瞬間、福田は力強く立ち上がった。
彼は社長室へと向かった。
つづく……




