ep5
最終日の前日。天気は雨模様でシユラは世界保健機関にいた。
洗面室の鏡の前で髪を整えて、軽く化粧をする。深呼吸をしてゆっくりと目を開くと俳優シユラの顔へと変化した。
ドアを開き用意されている部屋に入る。会議室は右手にスクリーン、左手に世界保健機関のスタッフが勢ぞろいしていた。
「君がいるなんて聞いてない」
そう呟いてシユラは独り芝居を始めた。カスガイが好きだと言っていた映画セラフィムのラストシーンだ。セラフィムは恋人を腕に抱き、その背中にナイフを刺して殺してしまう。
独り芝居なんて何時ぶりだろうか。腕の中に作り出した虚像を抱き見えないナイフを突き立てる。セラフィムの最後のセリフが終わると、客席にいた観客たちが一斉に立ち上がり拍手をした。
シユラが顔を上げると観客の数人が涙ぐんでいるのが見えた。こうした時、ああ役者とは素晴らしい仕事なのだと思ってしまうのだ。
「あ、ありがとうございます。シユラさん」
泣きながらカスガイが飛び込んでくる。
「本当に、本当にありがとうございます。信じられない、こんなに素晴らしいなんて。ああ!皆も感動してしまって」
「いいえ、僕のほうこそ感謝しかありません。カスガイさんにはなんとお礼を言ったらいいか。でも……本当にこれでお礼になるんでしょうか?」
「なりますとも!」
「良かった」
あれからカスガイは随分と手をまわしてくれて、宗教施設への立ち入りについては不問になるように計らいをしてくれた。そして明日シユラはこの島を出る。
カスガイの労力に報いるために今日はこうして芝居をしに来たのだ。
全てが終わり素顔に戻ったシユラの前にカスガイがお茶を出してくれた。
「お疲れ様です……本当に今日は夢のようです」
シユラは暖かいカップを手に持つと微笑む。
「いいえ、でもあんなに観客がいるとは驚きました」
「ああ、すいません。私が舞い上がってシユラさんのお芝居の話をしてしまったんです。そうしたら皆見たいと言い始めて。本当は私だけで独り占めしたかったんですが……」
「そうでしたか」
カスガイが頭をかいて笑う。ファンというのはこういうものなのだろう。
仕事に戻っていた職員の一人がカスガイを呼んだ。そこへ他の職員も加わり急に空気が張り詰める。カスガイは神妙な面持ちでシユラの元へやってくると頭を下げた。
「シユラさん、すいません。ちょっと出てきます」
「何かありましたか?」
「……いえ、リムジンが戻るまでこちらで待機してもらえますか?誰かと一緒に行動していただきますようお願い申し上げます」
「……ええ」
カスガイが行ってしまうと、他の職員たちもバタバタと行ってしまった。
何か問題が起きたようだが、シユラにはどうすることも出来ない。
カスガイの言うとおり指示を待っていると職員の一人がやってきてリムジンに案内された。世界保健機関の入り口では救急用の車両が複数あり、ライトもまわさずに急発進して道の向こうに消えていく。それの一つに乗り込んでいくカスガイの背中が見えた。
リムジンは程なくしてホテルに到着し、シユラは帰り支度をする。ベットの上の端末を取るとメッセージを打ち込んだ。その時、珍しくビデオ電話が鳴り通話を押すと、端末の液晶に母親の顔が映った。
「シユラ?」
「お母さん、どうしたんですか?」
「ふふ、シヴァに繋いでもらったの。お話したくて。そっちはどう?」
「明日帰りますよ。それとデータはそちらに転送してあるので写真は見られますよ」
「うん、後で見せてもらう。あ、シヴァに換わるわ」
母が引っ込むと父の顔が現れた。
「シユラ?お疲れ様」
「はい、おかげさまで」
シユラの返事に端末の映像が乱れた。ザザッとノイズが走ると映像が消えた。
「お父さん?」
シユラは端末を少し動かして確かめるも映像は戻らない。そのうちに映像自体が切れて暗転するとメッセージが届いた。
シユラ、気をつけて
明朝、世界保健機関の職員がホテルへやってきてシユラは無事、島を出た。
ロケットには数人の検査員が乗り込んでいる。彼らは口々に施設のトラブルを口にしている、シユラは聞き耳を立てつつ、ロケットはシティへと向かっていた。
シティの空港では大型スクリーンでブレイキングニュースが流れている。
昨日、シティ中央部にある世界保健機関の職員が拉致され殺害された。生きている職員がロケットでレッドリストの島へ向かったと報告がされているが、該当の島からは未だ応答がなく現状がわかっていない。
シユラがそれを知ったのはシティの空港に降り立ってからだった。
帰りのタクシーに乗り込んで目的地を告げる。シートにもたれ込むと目を閉じた。
あの日、春と最後に会った時彼女は、はいとは言わなかった。神を辞めることはオババを裏切ることだと、もう存在しないそれに誓っているのだと言う様に。
彼女の手は震えていた。シユラがもう二度とここにくる事はないと話した時、これが最後だと知って彼女の手は震えていた。
シユラは両手を足の上で握りしめる。ハルの無事を、そして島で出逢った人々の無事を願って。
タクシーはシユラの実家である両親の家に到着した。泣き出しそうな顔で飛び出してきたのは母親のカイルで、シユラを見つけると抱きついた。その後ろからホッとしたのか眉を下げて父親のシヴァが片手を上げた。
一息つき三人はリビングで席に着く。暖かいお茶がそれぞれに提供されるとシヴァが切り出した。
「シユラ、頼まれていたもの、大体だが分かったよ」
シヴァはタブレットを取り出すとテーブルに置いた。
「ヴァンパイアはおおよそ古くから存在する。妖精族と同じくらいらしいが、本来は同じ場所で生息はしていなかったようだ。ヴァンパイア自身は殆どが地下にいる。レッドリストの島に渡ったとされる記録自体は残っていないが可能性としては、地下から這い出たヴァンパイアが散り散りになった記録はあった。それぞれが新天地を目指したのかはわからないが。彼らはアンドロイドを利用していたからロケットの入手も可能だったはずだ」
シユラが頷くとシヴァはタブレットを指でスライドした。液晶には古い絵が表示されている。シユラがカスガイに見せられたものと同じだ。
「妖精族の言い伝えに鬼がいる。多分、鬼はヴァンパイアだろう。幾つか伝承を確認しても特徴が似ている。実際鬼というのは総称らしいから、危険なものをそのように呼んでいたんだろう」
「お父さん、僕が見たものも同じです。鬼は首をはねられても再生した」
「……うん、我々は銀で殺す必要がある。体内に埋め込むか、外を固めるか」
「それと妖精族であるオババという女性が血を飲んで寿命を延ばしていた」
「うん、なるほど。妖精族はテロメアが長いと言われている。ヴァンパイアの血は少しであれば延命に役には立つがその反動は激しい。合わなければ毒とさほど変わりない。肉も残らずに消えてしまうだろう」
「細胞が活性化してしまう……」
「そう、骨が残るだけありがたいことだ。……まあ、本人はそうは思わないだろうが、といっても思う暇がないな」
シヴァはフフと笑う。
「シユラ……私はお前が彼女を連れ帰ると思っていた」
「……そう、したかった。でも出来なかった。……彼女は望まなかったんだ」
「そうか」
俯いたシユラは寂しそうに微笑んだ。




