ep4
世界保健機関入り口。カスガイに呼ばれてシユラはそこにいた。あれから春について彼なりに調べてくれていたらしく、前回来たときに訪れた部屋のテーブルに幾つかの資料が置かれていた。
「すいません、お呼び立てしてしまって」
カスガイは目の前の席に着くと、資料をまとめたファイルを開く。
「いいえ、こちらこそお忙しいのに調べていただいて申し訳ありません」
「いいんですよ。それより、シユラさん。これを見てください」
資料はこの島についての詳細だ。その中央に老婆の写真がありカスガイは指差した。
「この女性がオババです。名はオババ・シンミヤ。彼女はおよそ250歳で死亡しています。この島では宗教の巫女のようなものだったようですね」
「宗教……ですか」
「はい」
カスガイの説明では、この島では幾つかの新興宗教があり、それぞれが独立し、信者を獲得していたが、何故か宗教自体はそれぞれが重なる形で親和していたという。元を正せば一つから派生した宗教ではあるが、信者同士の争いはあまり好まれなかったという話のようだ。
オババはその一つ、起源となる宗教の巫女でとある神を祀っていた。今も存在するらしいがオババがいなくなってからは信者は減る一方のようで、似た宗教へ移るものが多いそうだ。やはり先導する者がいないとなると厳しいらしい。
ただ皆無というわけではなく、所謂作法や礼儀の一部としてそれは継がれているようだ。
「あ、そうそう」
カスガイは資料の中から一枚紙を取り出すとシユラに差し出した。
「これはその宗教の言い伝えを書いた詩だそうです」
「あっ……」
「ご存知でしたか?」
「ええ……たまたま」
「なら話が早い。この島には鬼の伝説があるそうです。人を喰らい血をすする鬼。オババの先祖がそれを治めたようですね。大昔の恐ろしい話として語り継がれている」
まだ島が幼く柔らかい地だった頃、人の元に美しい鬼がやってきた。鬼は人と違い何も食わずとも飲まずとも生きてはいけた。だから人の傍で穏やかに暮らしていた。しかしその均衡を破る者が現れた。美しい鬼に魅了され、その鬼を欲した。
愛される喜びを知った鬼は人を愛した、しかし人は鬼と違いすぐに死んでしまう。
絶望の中で鬼は人を喰い、言葉を忘れて、彷徨い歩いた。その美しい姿は血まみれで美しい瞳からは赤い涙がぼたぼた落ちたそうな。
カスガイは読み終えると顔を上げ寂しそうに笑った。
「鬼は人に追われて首をはねられたそうです」
「……そう」
「シティには沢山の人種がいますからね。こうした物語を聞くと……なんだか嫌な気持ちになります。異物……とでも言うんですかね?確かにそうなんですが」
「そうですね」
「シユラさんはヴァンパイア。私はオークと人の混血です。もし仮にシティでこうした宗教が流行ったのだとしたら、どうなるんでしょうね。おそろしくてあまり考えたくありませんが」
「……確かに。でもシティの人たちはもう自分たちが何者であるか?なんて理解していないと思いますよ。随分前にアルビノ薬なんて事件もありましたから」
シユラの言葉にカスガイは顔色を悪くした。
「……ええ、知っています。子供たちを……ですね。酷いものでした。世界保健機関はまだきちんと機能していなくて、止められなかったと。だからこうした差別的な、犯罪や異常行動には目を光らせなくてはならないと基本理念にあるんです」
「そうでしたか。じゃあ世界保健機関の人たちはシティの人よりも普通であるということかも知れませんね」
「どうでしょうか……。我々もそんなに変わらない気もします。こうして島にそぐわない建物を建てて、いわば勝手に監視し、禁止をしている。島の住人にとっては迷惑なことばかりでしょうに。それでもあの人たちは笑顔で受け入れている」
カスガイは両手で頬を包むと情けない微笑を浮かべた。
「いけませんね。私は……こんなことを言っていると失格の烙印を押されてしまいます」
「……僕は……良いと思います。人らしくて」
シユラが優しく笑うとカスガイは顔を真っ赤にして指で頬を掻いた。
「そう言って貰えると嬉しいです」
ふふとシユラは笑い、テーブルの上の資料に手を伸ばす。ふと先ほどの昔話があり手に取るとじっくりと眺めた。
「気になりますか?」
「……ええ、少し。この間話をしたハルという女性はこの鬼なんじゃないかと思って」
「鬼ですか?しかし……首をはねられている……」
「ええ。ヴァンパイアは死にません」
カスガイは顔を上げると目を大きく見開いた。
「まさか!でも……ありえますね」
「ええ……。姿を消していた、けれど僕には見えた」
シユラはカスガイの目をじっと見る。
「カスガイさん……頼みたいことがあります」
滞在期間も終了に近い。残り数日となっても春の居場所がわからないままだった。
毎日リムジンに乗って島中を周る。どこかにいるだろうとたかを括っては、振り出しに戻る。シユラはホテルでカスガイに借りた資料に目を通していた。
彼女を捜すのに役立つかも知れないものだ。しかし文献が古すぎるのと、シユラには土地勘は無い。闇雲に捜しても埒が明かない、のだとすればどうすればいいか。
シユラはソファにもたれ込むと天井を仰ぐ。
ふと端末に電話がかかってきて、受けると父のシヴァだった。
「シユラ?今、少しいいだろうか?」
「うん、大丈夫だよ」
「シユラが捜しているハルさんの事だが、宗教施設の中にいるんじゃないかな?」
「中?確かに中までは入れないから見てない」
「そうか……一度調べてみるといい」
「うん、ありがとう。お父さん」
「……シユラ?」
シヴァが少し言葉に詰まったのでシユラは顔を上げた。
「どうしたの?」
「シユラは、その人を見つけてどうするつもりだ?」
「……」
考えていなかったわけではない。その答えはシユラだけで決めたもので春の答えではないのだ。
「シユラ?私はお前が決めたのなら反対はしない。けれど気をつけて」
シヴァの言葉にシユラは頷いた。
「ありがとう、お父さん」
電話を切り端末をテーブルに置く。手元の資料にあるいくつかの宗教施設で中に入れるものを捜すが見当たらず頬杖をつくと溜息をついた。
数枚重なった資料の間からオババの写真が見えて、それを取り出した。
「あなたは……ハルを守っていたの?それとも……閉じ込めていたの?」
資料にあった宗教施設をメモしてシユラはホテルを出た。車に乗り込み端末からカスガイに連絡をする。世界保健機関からカスガイを拾うとメモにある幾つかの施設を回り始めた。
「シユラさん、本当は駄目なんですからね?」
宗教施設の扉を手袋をして開くカスガイにシユラは微笑を浮かべる。
「ええ、分かっています。人助けだと思ってください」
木造の開き戸を引いて、暗闇の中にカスガイが顔を突っ込んだ。
「私も初めてなんです。ああ、かび臭い……ん、誰もいないようですよ」
シユラは瞬きをしてから中を覗きこむ。暗闇の奥は闇だけがしんと静まっている。
「わかりました。次行きましょう」
春はまだ姿を消したままだろうからカスガイの言葉を信じるよりも自分も確認したほうがいい。幾つか施設を周って扉を開けるたびに、彼女の姿を探すも見つからなかった。
最後の施設、森の奥深く。建物は草に侵食されて異様な雰囲気だった。
カスガイは傍に立つと手袋をして壊れそうな戸を開く。また中を覗きこむと首を横に振った。
シユラはカスガイの後ろから中を覗きこむ。ここが最後の施設だ。確かオババのいた場所でもある。
「カスガイさん……中に入っても?」
シユラの言葉にカスガイは首を横に振ったが、まっすぐに見つめるシユラの目に耐え切れず目を瞑って下を向いた。
「私は何も見てませんから!」
「ありがとう」
きしきしと音を立てる床板を踏んで中へと進入する。施設は小さな造りかと思えば奥に長く広がっているらしく、細い抜け穴を通って奥へと進んだ。
シユラは腕につけた時計のライトをつけて前を照らす。夜目が利くが明かりはあったほうがいい。
壁をライトで照らすと絵が描かれている。鬼の伝説らしく、赤い目の鬼が人の頭を喰らい歩いている。おどろおどろしいそれは奥へと続いている。
シユラは歩きながらふと考えていた。
鬼は本当に人を喰ったのだろうか?人の頭を喰らっている絵は誇張ではないのだろうか?真実はいつも違った形をしていると父や母は言っていた。
口伝や本で伝えられるものはさまざまに形を変えてゆくものだ。
最奥だろうか、天井が丸い場所に出た。その中央には棺のような箱が置かれている。
シユラはそれに近づくと箱の蓋を開いた。
春だ、春は箱の中で人骨を抱いて眠っていた。
「ハル……」
シユラの声に春は瞼をゆっくりと開きシユラを見る。
「……シユラ」
シユラは箱の前に跪き、春の頬に触れる。指先を滑らせて首の後ろに回すとゆっくりと引き上げた。
「シユラ?どうしてここにいるの?」
「あなたを迎えにきた」
春は腕の中に人骨をしっかりと抱えている。
「……私はここにいなくてはならない」
シユラは小さく頷く。
「知っている。神だから……でしょう?」
「……」
春は腕の中の人骨を優しく撫でるとただ頷いた。
シユラの考えが正しければこうだろう。
オババは死ななかった春をここに閉じ込めた。首を切られた彼女が再生するのを待って、何も覚えていない彼女を子供のようにあやして留め置いた。そして……。
シユラは春の腕の中の頭蓋骨に触れた。
「オババでしょう?」
春は頷くと笑う。
「そう、オババ。優しかった、ずっと優しくて……けど私の血を吸って死んでしまった」
「与えたの?」
「ううん、オババはずっとそうしてたの。だから長く私の傍にいてくれた。オババは神様って呼ばれて嬉しそうだった。私も嬉しかった。だから約束をした。永遠にここにいる。ここにいてオババと一緒にいると」
「でも……オババは死んでしまった」
「そう。死んでしまった。一瞬で溶けて骨になった。肉なんて始めからなかったみたいに消えてしまったの」
春はシユラの顔に近づくと頬に唇を寄せた。
「あの日、なんとなく外に出てみたくなったの。誰とも会わなかった。誰も気がつかなくて、そしたらあなたがいた。あなたがいて驚いた。目が合って」
シユラは頬に触れた彼女の唇に目を閉じる。
「寂しかったの?」
「わからない。寂しかったのかな……ここに戻ればオババはいる。冷たくて話もできないけど、オババがいる」
「嬉しかった?僕に会えて」
シユラは春の目を覗き込む。
「嬉しかった。嬉しかった……」
「ハル……、もう思い出しているんだね?」
春は頷くと腕の中の頭蓋骨をぎゅっと抱きしめて頬を寄せた。
「……シユラに会って、思い出した。修羅、そう呼ばれていたことを。オババは春と名づけてくれた。一度も修羅とは呼ばなかったの」
シユラと出逢ってからここに戻る時、きっと壁の絵を見ただろう彼女はどんな思いで箱の中に入りオババの亡骸を抱いて眠ったんだろうか。
ずっと独りで、独りきりで。
「ハル。僕はあなたを迎えにきたんだ」
「シユラ……」
シユラが春の腕の中の頭蓋骨に触れ、彼女の腕から引き剥がす。
「あなたはここにいなくてもいい。神になんてなる必要はない」
「……シユラ。私は……」
「どうか僕の願いを聞いて欲しい」
春の耳元に近づきそっと呟く。春は視線をオババに落とすとただ目を閉じた。




