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シビルの子  作者: 健人
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5.過去編 その5「そんじゃ、行きますか」

「――10層への?」


 アキルが分かりきっている事を訊くが、誰もそれを咎めたりしない。


「まさか――こんなあっさり見つかるなんて」


 ファティも啞然としているようだ。


 運が良かった。それに尽きる。9層探索の初日に10層への階段を見つけるなど、誰が信じるだろう。俺は高揚を抑えきれずに震える指先で腕輪を操作して位置を確認し、記録する。


「……どうする?」


 俺達は顔を見合わせる。階段を降りるか否か。こういう時、俺達は3人それぞれが独自の基準で判断を下す。そして各自の結論を突き合わせ、最終的には多数決。3人だからこそ可能な、最も単純で確実な意思決定方法。だが今ここにおいては、そこまでする必要はなさそうだった。


「行こう」


 アキルの言葉に、俺とファティは迷うことなく頷く。気力、体力は充実し、物資も十分残っている。何より少しでも情報を得ておけば、次の探索の為の補給や装備の方向性も具体的に考える事ができて、探索をスムーズに進められる。行かない理由は見当たらない。


「ギルドには、黙っていれば良いわよね」


 ファティがそう言って舌を出す。ほぼ風化しかかっていたが、もし10層への階段を発見した際は探索前にギルドへ報告の義務があった。冒険者の安全を考えて、との事らしいが。

 いずれにしても進むも戻るも必要なのは――あとは、勇気だけという事だ。


 アキルを先頭にファティ、俺の順で階段を降りていく。


「……長いわね」

「ああ」


 ファティの呟きに俺は相槌を打つ。体感でしかないが、明らかにこれまでの階段に比べて距離が長い。一体どこまで――と考えたその時、薄暗い中に立ちはだかる扉が目に入った。

 ……きたか。そこには『10』の数字のレリーフが厳かな書体で刻まれていた。いや、全体的に豪華とは言えないまでも装飾が施されており、これまでに比べると派手で、立派だ。魔女の趣味ってヤツだろうか。


「マスクを」


 俺が言うまでもなく、全員ほぼ同時に魔素対策のマスクを着ける。迷宮内の魔素は下層に行くほど濃度を増す。以前言ったように魔法を使う為に無くてはならないものだが、急激に大量の魔素を体内に取り込むと身体に異常を引き起こす事がある。扉を開けた瞬間に昏倒するのは御免だ。

 ここからは、俺が先頭を担う。念の為扉を調べるが鍵は掛かっておらず、罠のようなものも無い。これまで通ってきた扉と同じようだ。


 振り返って頷くと、俺達は拳を合わせる。


「――確認するわね。今日はあくまで、偵察。情報を持ち帰る事を最優先に。魔物と遭遇しても、無理はしない事。探索範囲は扉が見える範囲のみ」

「っし!」

「……承知だ」


 ファティの言葉にそれぞれ頷く。


瞬時帰還(スティック)、大丈夫ね?」


 アキルが腕輪に装填されたそれを叩く。用心の為に1本、アキルが持っている。使用者の半径3メートル以内にいれば同時に転送されるから、それでいい。離れている時は、アキルが『集結』の魔法で呼び寄せる事になっている。


 ――確認完了。


「そんじゃ、行きますか」


 アキルの言葉に、俺達は互いの眼を見る。自然と笑みが浮かぶ。


「我らに、幸運を」

「幸運を!」

「……幸運を」


 拳を叩き合わせて、儀式は終了。アキルは剣を抜き、ファティは魔法詠唱の準備をし、俺は扉に手をかける。


「……なぁ」

「なんだよ?」


 僅かに、アキルの声が上ずっているのを感じる。


「これを開けたら地表だったりしたら、どうする?」


 少しだけ妙な間があって、ファティが吹き出した。


「それも、いいかもね! 帰りの手間が省けるじゃない」

「……冗談じゃないぜ」

 アキルが大きく息をつく。「何だって起こり得るのが迷宮なんだからな。特にお前が言うと、本当にそうなっちまう気がする」


 良い感じに緊張が解れたようだ。が、俺自身はどうだ。扉を押そうとする掌が、手袋の中で細かく震えているのが分かる。それを抑えたくて、俺は力を込めて扉を押し開けた。――溢れる光の洪水。視覚が完全に塞がれ、俺は『探知』の魔法を展開する。周囲に、大きな生物はいない。だが魔法とて万能ではない。最終的には自分自身の肌で感じる感覚が頼りだ。魔物がいれば、獣のような匂いがする筈――。


 俺は回復してきた眼を凝らした。


 そこは一見、のどかな場所に見えた。俺達は高台の上に立ち、そこからなだらかに広がった草原を見下ろしていた。草は少し冷たさを感じる穏やかな風に揺れ、太陽の光に照らされた青々とした香りをマスク越しに俺の鼻腔へ届けている。

 最も低い場所と思われる所には池と呼べばいいのか、湖と呼べばいいのか、俺には判断できない程の大きさの水辺があり、そこからまたなだらかに登って地平線と思しき部分は森が覆い隠していた。

 俺達が、生まれて初めて見る風景。だが、3人の気持ちは一致していたに違いない。『美しい』、と。


「――魔素濃度は?」


 俺は我に帰り、声を上げた。


「――大丈夫。むしろ……地表みたいに薄いわ」


 ファティの返事が少し遅れたのも無理はない。ここまでの階層とはまるで異なる穏やかさ。罠でないかと疑うが、行う全ての探知の結果が、周囲に敵影が無い事を示している。

 俺はゆっくりとマスクを外した。アキルは早々に外したマスクを片手に、大きく深呼吸をする。


「こりゃあ……ちょっと、意外だったな」


 魔物が闊歩する洞窟か、巨木が立ち並ぶ薄暗い森の奥にひっそりと佇む魔女の家。それが俺の想像だった。確認したわけでは無いが、2人も同じようなものだろう。


「ちょっと2人共、油断は禁物よ」


 そうは言うが、ファティの声もいつもより緩んでいるように聞こえる。俺はともすればここからずっとこの景色を眺めていたい、と思う気持ちを何とか押し留めて、眼下の水辺を指した。


「とりあえず、あそこまで行ってみるか。ずっと、ここにいるわけにもいかないだろう」

 

いつものフォーメーションで歩き出す。俺、アキル、ファティの順。


「……本当に、ここが地表だったらねぇ」

 後方から、ファティの声が聞こえる。「扉を抜けると地表の、しかも壁の外だった――なんて、素敵じゃない?」


「もしそうなら、もう魔女退治はやめるか?」

「そうかな――そうかもね」


 俺の言葉に、ファティが楽しげに応える。


「俺は、続けるぜ」

 アキルが反論する。「そうでなきゃ、貯めた魔石が無駄になっちまうからな!」


 どこまで本気で言っているのやら。そんな他愛のない会話をしつつも警戒は怠らずに俺達は歩を進める。障害物の殆ない草原。奇襲は受けないだろうが、発見されやすくもある。集団を組むタイプの魔物に見つかると厄介だ。

 が、結論から言うと何の脅威も無く、あっさりと俺達は水辺に到着してしまった。まるでピクニックである。振り返るとかなり登った場所にある丘の上に、扉の頭がわずかに見える。扉が見える範囲、というマイルールは破っていない。


「……思ったより、大きいな」


 これなら湖と呼んでもいいだろう。迂闊に水に触れる事はしない。以前、調べもせずに迷宮内の池に両手を突っ込んだ冒険者の話を聞いたことがある。喉が乾いていたらしいが、水に手を入れて引き上げると、その手は消えていたという。勿論、物理的にだ。さらに悲惨だったのはその水が強酸だったとかでなく、()()()()()()()()()()()という魔力を持った水だったという事だ。つまり水に触れた冒険者の手は一瞬にして老化し、腐って崩れ落ちたのだ。怪我であれば魔法による治療もできるが、老化には回復の手段が無い。結果として、ほんの一瞬の注意不足でその冒険者は一生を棒に振ることになった。


 ――魚でも泳いでいれば、安心できるのだが。


 水辺を見つめるが、魚影は見当たらない。生き物が全く見当たらない、という事になるとそれはそれで問題だが。その時、上空を漂っていた鳥が一羽、羽を閉じたかと思うと一直線に急降下して、水面に突っ込んだ。そして次の瞬間嘴に何かを咥えて浮き上がり、再び上空へと舞っていく。


「……大丈夫みたいだな」


 アキルの言葉に俺は頷き、手を浸してみる。飲むには煮沸した方が良いだろうが、冷たく透き通った、美しい水だ。


「魔素抜きの水でもないみたいだけど――ここなら、必要ないわね」


 いつの間にかファティは履物を脱いで、踝まで水の中に入っていた。


「ねぇ、ちょっと水浴びしていい? こんな機会、滅多に無いじゃない」


 ファティは一度水から上がると、返事を待たずに荷物を下ろしている。


「手早くな」


 アキルは諦め顔で、そっちの監視を頼むと俺に言った。

 水浴びをするという事は、無防備な姿を晒すという事だ。全裸になる事は無く、武器も手放さない。パーティーであれば必ず複数で行い、交代で周囲を警戒する。


 女は綺麗好き、と聞いた事はあるが、ファティは人一倍そうなのではないかと思う。魔力に余裕があるのもあって、隙あらば自分だけでなく、俺達にも『清浄』の魔法をかけてくる。アキル曰く、学校を卒業して直ぐは汚れるのが嫌だからと魔物の解体も出来なかったとの事で、これでもかなり慣れて来たらしい。

 ……まぁ確かに、薄汚れたファティの姿は想像できないし、常に綺麗でいて欲しいとは思う。俺はこっそりと視界の隅に、ファティの姿をとらえる。濡れた衣類が貼りついて、体の線が露になった姿。――やはり俺には、眩しすぎる。


 無理やり視線を引っぺがすが、時折聞こえる水の弾ける音がいつになく俺の心を乱す。集中しろ、と口の中で独り言つ。落ち着くのだ。これまでと、いつもと変わらない。『探知』の魔法を張りつつ、感覚を研ぎ澄まして周囲を警戒する。風が、草原を走る音がする。小鳥がさえずりながら飛び立つ。のどかで、静かな空間。……静かな?


「……ファティ?」


 違和感を感じて振り返った俺が目にしたのは、まるで時間が止まったかのように平らで、周囲の美しい風景を映す水面――それだけだった。


 アキルが血相を変えて水の中へ入っていく。


「ファティ!」


 悲壮な叫び声が、響き渡った。

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