40.「お前ぇ……」
底に下りると、俺は懐から一枚の魔符を取り出した。発動させると複数の小さな光が俺を中心に円を描いて広がる。
「そんな弱い光じゃあ、近くしか見えないじゃないですか。『照明』、使いますよぉ」
「いいんだよ、これで」
俺は手を振ってドナホゥを止めた。この魔法の目的は照明ではなく、ガス探知だ。有毒なガスを検知すると、色が変わる。火山帯、それも地下となると、どこに有害なガスが溜まっているか分からない。眼に見えず、『探知』の魔法も効かない分、魔物より厄介なシロモノだ。正直に言えば『照明』も使いたい所だが、魔物に発見される可能性が格段に高まる事を考えると、おいそれとは使えない。
「随分とニッチな魔法だな」
「そうでもないんだぜ。この層でなくたって、火山や洞窟はあるからな。まぁ、自分で唱えるって奴は確かに殆どいないと思うが、ベテランなら魔符の1枚は持っておくものさ」
「ネジドさんが、用意周到すぎるんですよぉ。あたしも初めて見る魔法ですぅ」
「しかし、奥へ進むと完全に光が届かなくなるぞ。明りがそれだけという訳にはいくまい」
「それは――」
「私が、先頭で行きます」
アイシャがその金色の瞳を光らせた――訳はないだろうが、俺には何となくそのように感じた。
「私、見えてますから。皆さんは足元だけ気を付けてください」
そう言ってアイシャはとりあえず、風上――といっても一本道だったが――へと歩き出す。開いた穴からの光も、確かにすぐに届かなくなってしまう。が、彼女は臆する事無く進んで行く。
「できるだけ、高い所を通ってくれ」
俺が言うと立ち止まって頷いたが、油断すると結構距離が開いてしまう程にペースが速い。
「――凄いな。あれは、マタハットだからか」
ミルサークの息が少し上がっている。
あの金色の瞳には、何が見えているのだろう。俺達とも他のマタハットとも違う、それこそ『シビルの子』だけにしか見えないものが何か、見えているのだろうか。
それにしても魔素が濃い。8層まで来てただでさえ濃くなっているのに、この濃度はちょっと異常だ。『探知』を唱えても散らされてしまう。
「ね、ネジドさぁん。……ちょ、ちょっと待ってくださぁい」
表情は見えないが、ドナホゥが大分やられているのがその口調から分かった。
「ほら、掴まれ。アイシャ、ちょっと休憩しよう。――アイシャ?」
気付くと姿が見えない。
「そこから、下りになっているようだな」
ドナホゥを引っ張りつつミルサークが指した高台に上がると、下から風が吹き上げてきた。近くの地面を見ると、滑り降りた跡が残っている。俺達がいる場所を縁として、すり鉢状の地形になっているようだ。風の動きからみて、かなり広い空間になっているように感じる。
目を凝らすと、金色の瞳が振り返ってこちらを見上げているのが分かった。
「あれ、アイシャちゃんですか? 眼が光ってるの。……言い方悪いですが、魔物みたいですねぇ」
「魔物が手を振るかよ」
ドナホゥの言いたい事も分かる。俺が苦笑しつつ言うと、
「手なんか――振って、るんですか?」
彼女はおずおずと答える。
「見えるだろ、ホラ。こっち向いて手を振ってんじゃねぇか。急ぐぞ」
「え? えぇはぁ……。はい」
生返事のドナホゥに俺は内心首を傾げる。ガスの発生は無さそうだ。まぁこの環境だ。普段より体力を消耗するのも確かだろう。
「そこから下に滑り降りる。ドナホゥは俺が抱えて一緒に行くから、後から付いてきてくれ」
「……了解だ」
ミルサークは俺の言葉にゆっくりと頷く。
「口をおさえていろよ。舌を噛むかもしれんからな」
ドナホゥは慌てて両手で口をおさえた。
マントをそり代わりにして底へと降りる。さほど凸凹していない――と思ったら最後に衝撃が来て、ドナホゥが「むぉっ!」と妙な悲鳴を上げた。埃を払いつつ尻をさすっていると、程なくミルサークも降りてくる。
「こいつは……凄いな」
彼女は周囲を見回して目を丸くした。「何だこの柱は?」
そう。すり鉢の底には柱のように、無数の岩が乱立していたのだ。まるでかつては上に支えていた天井があり、それが抜け落ちてしまった跡のような荒涼感を感じる。自然に――迷宮内のものを自然と言っていいのか分からないが――できたのだろうか。
「……全く、見通しきかないですねぇ。上を行きますか」
ドナホゥに言われるまでもなく、そのつもりだった。俺は手近な岩に登り、アイシャを捜す。が、また先に行ってしまったのか姿が見えない。と――。
突然柱から飛び降りて駆け出した俺を見て、ミルサークとドナホゥは目を丸くした。
「――ネジドさんっ?」
「来てくれ!」
2人は慌てて俺の後を追う。
「一体、どうしたんですかぁ、って、それ――」
追いついたドナホゥが、俺の足元に横たわった人物を見て息をのむ。
「昨日の人……?」
それは、昨日俺達に話しかけてきたマタハットだった。ミルサークがかがみ込み、脈を見る。が、すぐに首を横に振った。確かめるまでもない。体内の魔素の動きが止まり、抜けかけている。死んでから――いや、殺されてからそう時間は経っていない。
殺された。何に? 違う、誰に? だ。
「正面から心臓を刺されているようだな。小さな穴が空いている」
死体を検分していたミルサークが言う。
魔物がこんなに綺麗に獲物を殺すとは考えづらい。何より正面からの傷というのが重要だ。殺したのは人間。まさか、アイシャ? いや、それは無いだろう。理由が無い。ならば――。
「……2人とも、眼をつぶってください」
ドナホゥが短く言って、俺達が疑問を挟む間もなく魔法を発動した。上空で弾ける閃光。
――何だ? 『閃光』? 目くらましに使われる補助魔法だ。
「そこおっ!」
次いで発せられる『爆裂』。少し離れた柱の根元を破壊し、数本を巻き込みながら崩れ落ちる。ドナホゥの意図を察したのは、土埃の奥に人影を見たからだった。1人。いや、2人。
「お前ぇ……」
その男は片手でアイシャを抱えたまま1つ、咳払いをした。――もう1人のマタハット!
「随分、乱暴な事をしますね。『シビルの子』に何かあったら、どうするんです?」
男は口を開く。慇懃無礼を絵に描いたような口調。アイシャは気を失っているのか、ピクリとも動かない。ドナホゥは、男に向けて指を差す。
「やっぱり、あんたでしたか。どこかで見たと思ったんですよ。あんたはマタハットなんかじゃあ、無い。……あたしと同じ、スパイですね?」
男は答えない。だが、見えている口元が歪んだのが、肯定の意味なのだろう。ドナホゥがどこで見た、というのはつまり4層か。そういえば何となくだが、俺もあの口元をどこかで見た見たような気がする。4層? いや、もっと前の――。
「……アイシャに何をした?」
「ご心配無く。眠って貰っているだけですよ。殺すというのは、本当に最後の手段なので」
魔法をかけられた気配は無い。薬か何かか?
「隣国のスパイか。マタハットの中に潜り込んでいたとはな。視力を失ってでも、仕える価値がある国なのか?」
ミルサークがアルクァ・バルトを展開する。――頼むから、はやってくれるなよ。
「ああ、この目ですか。まさか。私は貴女とは違いますよ。片方でも視力を失うような、馬鹿な真似はしません。――ほら」
男はフードを脱ぎ、顔面に手を当てた。掌が光り、それが外れた時、金色だった瞳の色が変わっていた。その顔を見た瞬間、俺は思い出した。
「確か――ルフーブ、とか言ったか」
「おや、憶えていて下さったとは。光栄ですね」
その目が少し見開かれる。2層で初めて会った、タリスカに使われていた新米冒険者――だった筈だ。しかしどうだ。あの時のおどおどとした頼りなさは、今は微塵も感じられない。落ち着き払ったその態度。こいつは――間違い無く、相当の経験を積んだ手練れだ。
「4層で、死んだかと思ってたぜ」
「あの人にも、困ったものでしてね」
ルブーフは肩をすくめる。「やる事なす事、力ずくのゴリ押しでして。ま、馬鹿だったので、取り入るのは容易でしたが」
いや、違うな。タリスカは基本的に自分以外は信用しない奴だった。粗野に見える態度や行動にも、彼なりの意味や矜持があった。……ま、馬鹿だという点には同意するが。
「ただまぁ、感謝すべきなのでしょう。貴方と面識があったというのは僥倖でした。おかげで、『シビルの子』を見つける事ができましたからね」
……こいつ、本当に若造なのか。顔は造りもので、実年齢はひょっとして俺よりも上なのではなかろうか。
「新米冒険者から、マタハットに鞍替えしたってワケか?」
「状況に応じて立場を変えるのは、スパイの基本ですよ。何年も同じ立場で安穏とするなど、愚の骨頂です。余計な思い入れや立場が出来て、身動きが取れなくなる。――また、裏切る可能性も高い。その女のようにね」
「あ、あたしは――」
ドナホゥは一瞬体を震わせたが、ルブーフを睨みつけて言った。「あたしは、自分がしたいようにしたいと思っただけです。確かに、スパイとしては失格かもですね。でもそんなの、クソ喰らえですぅっ!」
「だ、そうだ」
俺はドナホゥの肩を叩く。「お前さんも、裏切ってみたらどうだ? 隣国だって、どうせロクな国じゃあないんだろ」
「冒険者という名の国の奴隷に、言われたくは無いですね」
ルブーフは口の端を上げて痛いところを突く。「ま、ご心配無く。私もやりたい事をやってますし、裏切る算段も整えてますので」
「……どういう意味だ?」
「『シビルの子』を欲しがっているところはいくらでもある、という事ですよ」
ルブーフはそう言うと、フードを被り直した。
「――さて、それでは失礼しますかね」




