33.「戦《や》るか」 「戦《や》るぞ」
氷の巨人。情報の少ない6層以下の魔物の中では、名前が伝わっているだけでも「情報がある」と言うべきなのかもしれない。しかし俺の知る限り「遠目から確認した」ものばかりで、「戦った」というものは無く、攻略に役立つような情報は皆無だった。
いや、そりゃそうだろう。その圧倒的なサイズ、質量、存在感。俺も一瞬気圧された。誰もが立ち向かうよりまず、逃げる事を考えるだろう。しかし、この程度で気圧されてどうする。魔女の迫力は、この比ではなかった筈だ。
――だが、どうするか。俺は改めて巨人を観察する。人型といっても「人のような形」をしているだけで、文字通り「人形」という方が正確だろう。腕や胴体は円柱状の簡素な形で、それが細いパイプのようなもので繋がっている。頭部も同様で、顔というものがあるのかもよくわからない。おそらくだが、生物ではない。<氷でできた人形>というのが正しいのだろう。
「……妙ですね。近づいてきません。というか――立てないんですかね、あれ」
アイシャの言う通りだった。巨人は膝立ちの状態でその場を動こうとしない。
「もしかしたら、手負いかもしれんぞ。右腕を見ろ」
俺達は横一列に並んで目だけを塹壕から出す。ミルサークは地面についた巨人の右前腕部を指した。
「形がおかしい。歪んでいる。多分溶かされた後に固まったんだ。脚にも何か、問題があるのかもしれん」
手負いの魔物、か。その可能性は考えなかった。魔物同士の争いか、他の冒険者の成果なのか。
「相手が動けないなら、逃げましょうよぉ。無理に戦う事ないじゃあないですか」
ドナホゥが言った瞬間、巨人が少し首をもたげた。
「~~しゃがめっ!」
俺達が一斉に頭を下げたその直後、巨人の発した『氷針』がその上を通過する。いや、『針』などというチャチなものではない。大人の人間1人分以上はありそうなサイズと質量を持った無数の氷の柱が、空気を押しのけて空中を飛んで来たのだ。凄まじい音と風の圧が俺達を上から押し潰す。帽子を持っていかれそうになり、俺は慌てて頭を押さえた。無限に感じた時間だったが、実際にはほんの数秒間だったのかもしれない。
音が止んだのを確認して、俺達は互いに顔を見合わせた。
「……逃げましょう、すぐにぃっ!」
ドナホゥの顔色が青を通り越して紫色に見える。その時、巨人が咆哮を発すると同時に地面が揺れた。どこかで氷が崩れたのだろう。山びこのようにあちこちから衝撃音が聞こえてくる。
――来る。
巨人が腕を使って、こちらに近づこうとしていた。
「逃げるとしたら、どうすればいいと思う?」
俺は皆に尋ねる。「奴の動きは鈍い。『飛翔』を使って、飛び越えるか?」
「却下だ。さっきの『氷針』の威力を見ただろう。空中では避ける術が無い」
ミルサークが一蹴する。
「塹壕を掘りつつ横から回り込む、というのはどうでしょう」
「ダメだな。『氷針』を下に向けて撃たれたら、塹壕ごと吹っ飛ぶぞ。それに相当遠回りをしなきゃならん」
アイシャの意見に俺が首を振る。
「閃きましたぁ! いっその事崖を下りて、最初の道を行けばいいんじゃないでしょうか!」
「阿呆ぬかせ。あちこちで氷が崩れているのが聞こえんのか? 崖下の道を行こうなんぞ、ミンチにしてくれと言ってるようなものだ」
「そこまで言わなくったって……。じゃあ、どうすればいいってんですか……あ?」
不満気に呟いたドナホゥは、視線を合わせてニヤリと笑った俺とミルサークを見て言葉を止めた。「ま、まさか――」
「戦るか」
「戦るぞ」
ドナホゥは頭を抱えてうずくまる。もうやだこの脳筋共、という言葉が聞こえてくるようだ。
「安心しろ。俺はそこまで脳筋じゃない。奴を一時的に行動不能にすればいいんだ。一撃喰らわせてな」
「その考え方が十分脳筋だってんですよぉっ!」
「どのみち、あいつを何とか出来ないようじゃあ、魔女には勝てないさ。……それに、俺達の連携も確認しておきたかったしな」
俺は魔素剣を取り出し、芯棒を伸ばす。
「先頭は私が行くぞ。本来の役割ではないだろうがな」
アラクァ・バルトを展開しつつ、ミルサークが言った。
考えていた対魔女戦の陣形は、俺とリドワンが最前衛で剣を振るい、アイシャとドナホゥが後方からの魔法支援。ミルサークは2人の護衛兼、可能ならば2次前衛として攻撃参加、というもの。リドワンがいない現状では、臨機応変に対処するしかない。
「アイシャ、『火炎』で塹壕を掘ってくれ。奴に向かって一直線だ」
「え? でも――」
「さっきの塹壕を掘りつつ進む、ってのは悪くない。奴に近づく為の手段としてな」
「で、でも一直線じゃあ、『氷針』の一撃で……」
「撃たれる前に叩く、という事か」
ミルサークが両拳を叩き合わせる。「いいじゃないか、私好みだ」
……シンプルな攻撃の方が、効果がある場合もある、か。
俺はリドワンの言葉を思い出していた。
「全員で突っ込むぞ。時間は掛けない。奴に近づいたら俺が突撃する。一撃喰らわせて気を引いてる間に、全員そのまま背後へ離脱だ。先頭はミルサーク、アイシャ、ドナホゥ、俺が殿だ。アイシャは魔法でミルサークのフォローを。ドナホゥは全体の防御を担当。――いいな?」
全員が視線を合わせて頷いた。
「『身体強化』、かけますぅ」
ドナホゥが全員に魔法をかける。自分でもかけられるが、前衛の魔力は出来るだけ攻撃の為に使いたい。その為のパーティーだ。
アイシャの両手が発光し、巨人の方を向く。
「……いくよ」
「頼む」
先程よりも下に狙いを定めて、『火炎』を発する。氷を深くえぐりつつほとばしる紅蓮の炎。しかし巨人の発した氷の壁が、再びそれを阻害する。
「行くぞっ!」
ミルサークが駆け出し、俺達も続く。氷の蒸発で、水蒸気が立ち込めている今がチャンスだ。奴が視覚で俺達を認識しているのかは分からないが。
「『氷針』、来ますっ!」
アイシャが叫んだ。その瞬間、水蒸気を吹き飛ばして極太の氷針が上空を走った。――いいぞ。狙いがズレている。しかし、思っていたより巨人までの距離がある。あまりの大きさに、距離感が狂っていたのか。自分の中に感じる焦りを抑えつつ、脚を動かす。ドナホゥの息が上がっている。止まるようだったら抱えて走る事も考えていたが、何とかなるか?
そう思った時、そのドナホゥが声を上げた。
「う、うえ、上ぇっ!」
俺は眼を見張った。上空に巨大な氷の柱が浮いている。それも無数にだ。次の瞬間、その中の1つが凄まじい勢いで真下に落ちた。地面が揺れ、空気が震える。俺達の脚が一瞬止まる。塹壕にヒビが入り、細かな破片が飛ぶ。
「〜〜止まるなっ!」
「分かってる!」
次々と氷柱が落下してくる。前方に1本! アイシャが『爆裂』を発してそれを粉砕し、ドナホゥが『光壁』で破片を防ぐ。塹壕に落ちた破片はミルサークが吹き飛ばし、俺達は走り続ける。落下した柱が雪を巻き上げて視界を塞ぐ。
と――視界が開けた。そこには、巨大な動く氷の塊があった。
「乗れっ!」
ミルサークが振り返る事なく指で俺を呼ぶ。自分を足場にして飛べ、という事か。俺がジャンプしてその肩に乗ろう――とした瞬間、ミルサークは身を翻してアラクァ・バルトの拳を俺の足裏に当てた。
ちょっと待て。まさか――。
そのままミルサークは力の限り腕を振り、俺は凄まじい勢いで上空へ飛ぶ。巨人の頭部よりもさらに上へ。無機質な円筒形の頭部がゆっくりと傾き、そののっぺりとした側面が俺の方を向く。顔、か? 上等だ。そののっぺらぼうに、表情を刻んでやる。あの巨大な『氷針』を作るだけの空間は無い。俺は魔素剣を両手で下に向けて構え直し、刀身を発した。
――刀身の発光が反射したのかと思った。巨人の頭部に数本のピンク色の筋が上下左右に走ったかと思うと、横に細い線となりそれが2本、上下に並んで光った。
……目?
それだけではなかった。バキッと音がしたかと思うと、目の下の部分にヒビが入り、ギザギザの断面を露わにしながら下に動いていく。そう、人間が口が開くように。ぽっかりと空いた空間が青白く発光する。
〜〜まずいっ!
俺は咄嗟に『飛翔』の魔符を取り出して発動する。空中で止まった俺の下の空間を、濁流のように巨人が吐き出した何かが通過した。それが何かを確認する間もなく、斜め下から感じるプレッシャー。巨人の右手が俺を振り払おうと飛んでくる。
「このっ!」
『飛翔』をかけた分だけ奴の狙いがズレたのか、飛んできたのが指先だったのが幸いだった。俺が振った魔素剣はその巨大な指を数本まとめて殆ど抵抗感を感じる事も無く切り落とした。その切れ味に内心仰天したが、驚いているヒマは無い。
魔素剣を巨人の上腕部に突き立て、そのまま腕を足場にして俺は走――ろうとして、一瞬足を止めた。火傷の跡のように歪んだ前腕部。その中に――。
巨人が俺を振り払おうと腕を動かし、俺は走り出す。前腕から上腕を経由し、肩へ。勢いそのまま飛び降りる。下を確認する余裕は無い。仲間はうまく通り抜けたと信じるしかない。
残った『飛翔』の力で舞い降りながら捜すと、小山の陰に隠れている三人の姿が目に入った。それなりに距離は取れていたが、まだ巨人の攻撃範囲内だ。
「おじさんっ!」
「すまん、しくじった!」
雪を蹴散らしながら着地し、小山の陰に駆け込む。奴の方を振り返ると、右腕から水蒸気を立ち上らせながらゆっくりとこちらに方向転換をしようとしていた。
「……しつこい奴だな」
「奴の敵に対する執着心は、異常な程だよ」
ミルサークが苦々しげに言う。
成程。誰かが残って足止めをしなければ、逃げ切れなかった訳だ。
「もう一度、やるか。逃げるにしても、これではな」
「……ああ。だけど、その前に確認しておきたい事がある」
俺の言葉に、ミルサークは怪訝な顔をする。俺は遠眼鏡を取り出して手渡した。ただでさえ携帯用でちゃちなそれが、ミルサークの手に乗ると本当にオモチャのように見える。
「右腕だ。歪んだ部分。見てくれ」
「何なんですぅ?」
「いいから。『光壁』、頼むぞ」
俺は首を振り、ドナホゥを制する。
――まさかとは思うが、念の為だ。
ミルサークは身を乗り出して遠眼鏡を覗いていたが、すぐに息をのんだのが分かった。
「――デルガーム……」
……やはり、か。
その呟きを聞いて、俺は唇を噛んだ。




