32.「〜〜で、デッカイ!」
7層は以前言った通り、雪と氷の世界だ。6層とのギャップが凄まじいが、階段という経由地点がある事で何とか頭の切り替えが出来ている。
基本的には6層と同様に『光壁』を展開しての行軍になるが、足元からの寒さは防げない。その為足の防寒装備を5層で仕入れて来ていた。
「この装備は凄いですねぇ。靴底のトゲトゲのおかげで、安心して進めますよぉ。さすが、リドワンさんのオススメですねぇ」
ドナホゥは先日の騒動等どこ吹く風、といった調子で笑う。
「魔物の皮を滑り止めに使うとはな。昔は、金属製のスパイクを使ったんだが」
ミルサークが感心したように顎を撫でる。
「クアルシュっていう、魚の魔物の皮てす。料理の時、スパイスをすりおろしたりするのにも使ったりするんですけどね」
幸い天候――というのも変だが――は安定しており、魔物の襲撃も無い。行軍そのものは順調だった。しかし、
「……何か、反対方向に行ってません?」
ドナホゥの言う通りだった。8層への階段の正確な位置は分からないものの、腕輪のおかげでおおよその位置は分かる。しかし道なりに進むと、そこからどんどん離れて行くのだ。
深く積もった雪の中をラッセルしながら進むのは現実的ではない。昔、しびれを切らしたアキルが『火炎』を使って道を切り開こうとしたのだが、結果として大規模な雪崩を引き起こし、散々な目にあった事がある。
従って、出来るだけ積雪の無い氷上を選んで進む事になるのだが、それを見越したように罠のような一本道が伸びているのが、これまたいやらしい。
「……どこかで、思い切るしかないな」
「道を外れるって事ですかぁ?」
「この道の先に階段があるって保証も無いしな」
「そりゃまぁ、そうですけど……」
と――正面に巨大な氷の壁が見えた。崖と言うべきか。道はその手前で曲がり、切り立った崖に挟まれた暗く細い空間へと続いている。
「どう思う?」
崖の前で立ち止まり、ミルサークに意見を求める。
「嫌な感じだな。罠、とまでは言わないが……厄介な地形なのは間違いない」
同感だった。前後から挟まれたら袋のネズミだし、崖の上からの襲撃もあり得る。となると――。
「登る、か」
「マジっすか……?」
ドナホゥがあんぐりと口を開ける。
「『飛翔』を使えばそこまで苦労しないだろ。偵察してくるから、魔法をかけてくれ」
「じゃあアイシャちゃん――」
「アイシャはずっと俺達に『光壁』をかけてるんだぞ。少しは気を遣え」
「分かってます、分かってますよぉ」
ドナホゥの両手が光り、俺の体が浮き上がる。少しは年上の矜持というものが残っていたらしい。
4層でアイシャを背負っていた時のように俊敏に動けるか、と思ったがダメだった。それでも以前の感覚からはずっと速く上昇し、頂上に達する。振り返って下を見ると、3人の姿が思った以上に小さく見えて、俺は少し身震いする。
崖の上は想像していたより積雪は無かった。所々に氷の小山があるが、見晴らしも悪くない。少なくとも崖下の道を進むよりは安全そうだ。念の為『探知』を展開したが、魔物の影は無い。
崖下の3人を呼び寄せる。やはり『飛翔』を複数人に同時にかけるのは負担が大きいようで、1人ずつ上がってくる事になった。最初にアイシャ、次にミルサーク、最後にドナホゥ。
「……はぁ、疲れました」
到着するなり、ドナホゥは座り込んで息を付く。
「ご苦労。これで先日の件はチャラにしてやろう」
「そ、それはもう済んだ事じゃあ――」
ミルサークに抗議しようとしたドナホゥの口が止まった。
「……どうした?」
その視線は俺達の後方に向けられている。
「――伏せてっ!」
視線を追って振り返ろうとした俺を、アイシャが叫ぶと同時に押し倒して上に覆い被さる。次の瞬間、凄まじい突風が俺達を襲った。細かい氷の粒が弾丸のように体に突き刺さる。俺はアイシャの腕を掴んでその場に固定しようと力を込める。もし吹き飛ばされたら、崖下に一直線だ。
俺とアイシャは何とか踏みとどまったが、間に合わなかった者がいた。ミルサークだ。ただでさえ他人より大きい体の正面から、もろに突風を喰らった。堪えようとした体を風を孕んだマントが引っ張り、ミルサークの巨体は呆気なく虚空へと吹き飛ばされる。
「~~ギルド長っ!」
ドナホゥが伸ばした手を辛うじて掴むが、突風は周囲の氷雪ごと二人をまとめて吹き飛ばしていた。
「つかまってくださぁいっ!」
横からの突風は無くなったが、落下による下からの風が襲う。ドナホゥは改めて『飛翔』を発する。同時がけは負担が大きい。が、やるしかない。まずは自身にかけて、次に――。
その瞬間、ドナホゥは頭に衝撃を感じた。
「何――?」
上から落ちてきたレンガ大の氷塊が、直撃したのだ。
「ドナホゥっ!」
白目を剥き、がくりと首が垂れる。
「おい、起きろ!」
回復魔法をかけるが、目を覚ます様子は無い。ドナホゥ自身にかけた『飛翔』のおかげで、落下速度は抑えられている。が、それも徐々に勢いを増していく。
どうする。ミルサークは『飛翔』を使えない。2人共倒れになるよりも、『身体強化』をかけてドナホゥを上に投げ、自身の落下の衝撃は『身体強化』に賭けるしかない、か。生きていさえすれば、回復魔法で何とでもなるだろう。……完全に元に戻る保証は無いが。
そう瞬時に判断した時、どこからか声がした。
「〜〜つかまれっ!」
ハッとして顔を上げたミルサークと俺の目が合った。俺は下からすくい上げるように2人を確保し、片手に握ったローブに魔力を込めて操作する。崖の上に固定された部分を支点に振り子のように振れるが、一回転する程の勢いは無い。上昇の勢いが止まった所で俺はローブの長さを一気に短くした。3人分の肉塊はローブに引かれ、壁面に向かって突進する。
「ぶつかるぞっ!」
「大丈夫だ! ――アイシャっ!」
俺の声に応じたかのように上からもう一本のロープが落ちてくる。それはまるで生き物のように俺達のロープに巻き付くと、一気に上へと引き上げた。俺達は崖上の更に上空へと舞い上がり、そのままアイシャのロープに引かれて内陸側へと引き下ろされ――アイシャの両隣へと着地した。
「〜〜助かったぜ!」
俺は無意識に止めていた息を吐き出した。
「いいコンビネーションだったな。あんな短時間に打ち合わせたのか?」
「いえ、ロープを放り投げられただけですよ」
ミルサークはアイシャの言葉に目を丸くする。
「『身体強化』をかけていきなり崖に向かって駆け出すから、びっくりしましたけどね。おじさんもロープ持っていたから、何となくやる事分かったんです」
――4層でロープの使い方を教えておいて良かったよ。
正直、アイシャが俺の意図を汲んでくれるかは賭けだったのだが、ここまでスムーズに事が運ぶとは。
「……成程な」
ミルサークが口の端に笑みを浮かべる。「いいコンビだよ、お前達は」
「そんな事より、アイツを何とかせにゃ」
何故か顔を真赤にして俯くアイシャを横目に、俺はアイシャが『火炎』で地面を抉った簡易塹壕から首を出して確認する。偵察した時には氷の小山と判断した一つの塊。それがゆっくりと動いている。
――氷の巨人。
何故気付かなかったのか。俺は唇を噛む。
「理屈は分からんが、奴の偽装は完璧だ。動き出すまで気付くのは難しい。貴様の落ち度ではないよ」
先程の突風は、巨人が腕を振ったからだという。
「……てことは、俺達の存在に気付いているんだよな?」
にしては妙だ。動いてはいるが追撃は無く、近づいて来る様子も無い。自分のテリトリーに入って来た
者だけに反応する? いや、俺達が今いる場所は、先程と殆ど変わっていない。それに――。
「……あれ、寝そべっているんですかね。人型には見えないんですが」
隣で目を凝らしていたアイシャが呟いた。
その通りだ。氷の巨人はその名の通り、人型の魔物の筈。が、動く氷の塊は全くそうは見えないのだ。
「よく分からんな。牽制してみるか。……どのみち、ここでじっとしている訳にもいかんだろう」
言いながら、ミルサークは地面に横たえていたドナホゥを引き起こす。地表を這う風が細かな氷の粒を運び、塹壕の中に溜まり始めていた。
「おい、起きろ。いつまでも寝ていると死ぬぞ」
雪払いも兼ねてドナホゥの体を何度か揺すると、ようやく目を覚まして頭を押さえた。
「あてて……何が、どうなったんですぅ?」
「一難去ってまた一難、だよ。――アイシャ、頼めるか」
俺の言葉にアイシャは頷き、両手を光らせる。
「『火炎』で、やってみます。頭、下げてください」
俺達が従うと同時に彼女は魔法を発した。何の気負いもなく動かしたように見える掌の先から凄まじい勢いで火炎が飛び出し、後方へも熱風の余波が飛ぶ。それは地面を覆った氷を蒸発させながら目標へ向かって――轟音と同時に起こる地響き。真っ白な煙が沸き上がる。いやあれは――水蒸気?
「やったですか?」
俺はそう口走ったドナホゥの頭を押さえつける。
「やってねぇよ。……防がれた」
アイシャも気付いているのだろう。唇の端を噛む。あわよくば倒してやろうという勢いで発射された火炎は、目標の手前に発生した氷壁によって完全に防がれていた。それの蒸発で発生した水蒸気は一瞬で凍り付いて風に吹き飛ばされ、視界がクリアになる。
その時、細かく地面が震えた。小山が徐々にせり上がっていく。聞こえてくる轟音は地響きなのか、それとも魔物が発した雄叫びなのか。
「〜〜で、デッカイ! 説明不要ですねぇっ!」
ドナホゥが目を丸くし、俺も思わず息をのんだ。二の腕を振り上げた、巨大な影がそこにあった。




