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シビルの子  作者: 健人


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31.「私の、我儘さ」

 その夜。岩場の野営地で俺は1人焚き火を前に見張りをしていた。気が付くと俺以外は皆女で、着替えするにも――ミルサーク以外は――気を遣う事になっていた。5層で仕入れたテントは女性用として使い、俺はこれまで通り露天で夜をしのぐ。

 それにしても、砂漠の夜は冷える。俺は周辺から何とか掻き集めた細っちい薪を炎に放り込む。その時、背後から足音がした。


「隣、いいか」

「……ああ」


 振り向くまでもなく、ミルサークだと分かっていた。


「落ち着いたのか」

「ん? ああ、薬を飲ましてやった。明日になれば、元に戻っているさ」


 そうか、と俺は苦笑する。あの後、後始末が大変だったのだ。……特に、ドナホゥが。アイシャが『清浄』をかけたのだが、


「……何だか、まだ全身がヌルヌルしてる気がしますぅ」


 と青ざめた顔で言うのである。気の所為だ、で済ますのは容易かったが、ショッキングな体験をした時に気持ちのケアを怠り、後々まで引きずって心身に悪影響が出る、という事は冒険者には結構ある事だった。特にドナホゥは、圧倒的に実戦経験が少ないのだ。

 ならば気が済むようにしてやろう、と見つけた岩場で水浴びをさせてやる事にしたのだ。水場が無くとも、シャワー程度の量なら魔法でどうにかなる。


「……覗かないで下さいよぉ」


 ドナホゥはジト目で俺に向かって言った。


「別に、スッポンポンになる必要無いだろ?」

「直接肌を拭かないと、ダメな気がするんですぅ」

「まあ……好きにしてくれ。心配しなくても、お前さんの裸に興味は無いよ」


 俺が肩をすくめて言った瞬間、ドナホゥがキッとして喰ってかかってきた。


「興味が無いって、どういう事ですかぁっ! 胸ですか! おっぱいですか! ――やっぱり男ってそうですねぇ、そうなんですよねぇ!」


 どうも様子がおかしい。確かに普段から妙な奴ではあるが、さすがにこれは――。


「お、落ち着いてください、ドナホゥさん」


 言いながらアイシャが近づくとドナホゥは突然その胸を鷲掴み、アイシャは悲鳴を上げる。

「大体おかしいんてすよ! この胸で10歳だなんて! この胸で! この胸で!」

「落ち着け、馬鹿者」


 立ちはだかったミルサークを前に、なぜかアイシャまでがビクッとする。


「冒険者にとって、胸なんざ飾りだ。そうだろう?」

「こ、この脳筋破廉恥痴女め――」


 ミルサークが一歩踏み出し、2人は顔色を変えた 。ドナホゥはアイシャの胸を掴んだまま、揺れるミルサークの胸の肉塊を睨みつけた。――前門の巨乳、後門の爆乳。そんな言葉が俺の脳裏に浮かぶ。

 ドナホゥはアイシャの胸から手を離し、地面に両手をついて頭をガクリと下げ、さめざめと泣き始めた。


「〜〜神はっ! 死んだですぅっ……!」


 俺達は顔を見合わせた。


「魔物の血には、体に取り込むとある種の興奮作用を及ばすものがあると聞く。アントンアも、そうなのかもしれないな」

「……そう願うよ」


 色々と溜まっている事があるのは事実としても、あんな状態のドナホゥは見るに忍びない。


「しかしさすがだったな、昼間の戦いは」


 俺がそう言うと、ミルサークは小さくため息をついたように見えた。


「……そう見えるか」

「違うっていうのか?」

「全盛期の私だったら、一発で倒していたよ」


 冗談だろ、と迂闊には言えない迫力がその口調にこもっていた。


「一撃の威力が足りないから、何発も打つしかない。急所から微妙にズレているから、時間がかかる。……まったくもって、度し難いな」


 そう言って、片手で眼を覆う。


「……調子、良くないのか」


 彼女の眼の事だ。


「時々、眼の前が霞んで見えるようになってな」


 ミルサークの片目は完全に魔素に侵されて視力を失っている。残った目も影響を受けているのだろう。だからこそ、彼女は冒険者を引退した、筈なのだ。――だが、ミルサークは今、迷宮にいる。


「……訊いてもいいか」


 俺の言葉にミルサークは手を外して顔を上げる。


「何故、来たんだ?」


 迷宮内は、地上に比べて魔素濃度が圧倒的に濃い。残った目の事を考えるなら――。


「貴様と同じさ。やり残した事を、やり遂げる為に来た」


 そう言って、彼女は微笑んた。

 ――昼間、アイシャに話していた昔のパーティーの事か。


「7層だったか。何があったんだ?」

氷の巨人(フリムスルス)だよ」


 ……アレか。数少ない下層の情報の中で、脅威として伝わっている雪と氷の世界である7層の主とも言うべき全身が氷で構成された、巨大な人形の魔物だ。倒さねば階層を踏破出来ない、というものではなく、遭遇するかは運次第。むしろ遭遇する事は稀とも言われている。俺も遠目に見たことしかない。――が、


「戦ったのか」

「逃げられなかった、というのが正しいな」


 ミルサークは首を振った。俺は昼間耳にした、彼女の話しを思い出す。6層から下層への階段の位置は、地殻変動の度に変わる。見つけられずに疲労困憊し、脱落者も出て士気も最低の所でフリムスルスと遭遇、か。

 ……最悪だな。


「ああ、最悪だった」


 知らず、口から出ていたようだ。


「――復讐でもしようってのか?」

「まさか」

 ミルサークはふっと笑い、「当時でも敵わなかったのに、今の私ではな。……ただ、もう一度行きたかったんだ。行って、気持ちの整理をしたかったんだ。今回が、その最後のチャンスだと思った」


「そうか」


 薪がパチッと爆ぜて、俺は新たなものを追加する。


「……怒らないのか? 貴様を利用した事に」

「正直に言えば、ムカついている。――あんたが、正直に言ってくれない事にな」


 しばらく無言の時間が続いた後で、ミルサークがぽつりと言った。


「すまん」


 俺は手を上げて、それ以上を止めさせた。察しの悪い俺でも、想像が付く。パーティーの中に、恋人でもいたのだろう。……それを、失った。

 しかし、ミルサークは話を続けた。


「……戻ったら一緒になろう、と約束していたんだ。今思えば、フラグでしかないがな。炎魔法が得意で、フリムスルスを足止めするには、彼が殿をつとめるしか無かった。1人で、な」


 俺がまだ、冒険者として駆け出しだった頃の話だ。当時はまだ、瞬時帰還も殆ど出回っていなかった。


「分かってるさ。もう何度も地殻変動が起こって場所の特定など出来ないだろうし、死体が残っている保証も無い。……だから、私の我儘さ」


 ――俺と同じ、か。


 先程言われた言葉を思い出す。ギルマスの時、色々と俺に気を遣ってくれていたのは、そういう理由もあったのだろう。


「どうせ、7層も通らにゃならないんだ。気にする事はないさ」

「……簡単に言ってくれる」


 ミルサークは苦笑を浮かべたようだった。


「だが――ありがとう」


 想定外の言葉を聞いて俺は返事に困り、無言で薪を焚べた。


「……休めよ。順調に行けば、明日には階段に辿り着ける。見張りは俺だけでいい。魔素抜きの水も飲んでな」

「では、お言葉に甘えよう」


 ミルサークはゆっくりと立ち上がり――ふらっとよろけた。俺は反射的に立ち上がり、その巨体を支える。


「どうした――」


 訊こうとしたその時、ミルサークが俺の腰に手を回してぐいっと引き上げた。気付くと俺は、彼女に両腕で抱きしめられていた。その両腕に、ぐっと力がこめられる。


「……それ以上力を入れられると、背骨が折れそうだ」

「デリカシーの無い奴だな。こういう時は、黙ってされるままにしていればいいんだ。別に取って食おうとは言わんよ」


 同じ高さで向き合ったミルサークが、柔らかく微笑む。甘い香りがするのは、紅茶のせい――だよな。

 彼女は俺を地面に下ろすと頭をポン、と叩いた。


「じゃあ、おやすみ」

「……おやすみ」


 少し離れたテントへと戻るミルサークの背中を見ながら、俺はそっと息を付く。


 ……俺と同じ、か。


 何かを失った者には、支えが必要だ。例えその場しのぎであったとしても、その穴を埋めてくれる人間が絶対に必要だ。俺にとってそれは、娼婦のアブラだった。彼女は自分が一時しのぎの存在である事を理解しつつ、俺を支えてくれた。


 ミルサークにとってのアブラは、俺だったのだろうか。こんなに気の利かない支えなど、役立っていたとは思えないが。

 薪の爆ぜる音に、俺は再び我にかえる。……アブラは今、何をしているだろうか。

 

 長い夜に、なりそうだった。


 ◇ ◇ ◇


 テントの中ではドナホゥが小さく寝息を立てていた。時々、顔をしかめて唸っているが、まぁ心配はあるまい。アイシャはテントを出る前と変わらない姿勢で、横になっている。ミルサークは奥のスペースに、横向きになって体を横たえる。仰向けになるにはスペースが足りないのだ。


「……眠れないのか」


 声をかけると、アイシャの肩がビクッと動いた。


「聞いてたんだろう? この眼のせいか、私は魔素の動きに敏感なんだ」


 テントを出る時から視線を感じていたし、こっそりとテントを抜け出してこちらの様子を伺っていた事にも気付いていた。……あの馬鹿は、全く気付いていなかったようだが。


「聞いてたなら、分かったろ。お前さんの想い人を横取りする気はないさ」


 その途端、アイシャがバネに弾かれたかのように飛び起きる。


「お、想い人だなんて――」

「胸が出てるぞ、ちゃんと仕舞え」


 アイシャは慌てて胸の前を合わせる。どれだけ立派な体をしてようが、中身は10歳の少女なのだ。父親の無事が確認できるまでは、父代わりのような感情だったのだろう。しかし実の父が無事な事を確認できた今、その感情はどう変わるのか。


「……ミルサークさん」


 再び横になり、しばらくした後でアイシャがぽつりと言った。


「何だ」

「……来てくれて、ありがとうございます」

「何だ、いきなり」

「いえ――まだ、ちゃんとお礼を言って無かったな、って」


 ……律儀な奴だな。まぁ、色々な意味が込められた「ありがとう」なのだろう。


「早く寝ろよ」


 ミルサークは一言そう言って、寝返りを打った。

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