30.「ち、痴女……っ!」
6層。ここから迷宮探索はさらに難易度を増す。魔物の強さも勿論だが、環境の変化が凄まじいのだ。
「〜〜話には聞いてましたけどぉ、凄いですねぇ!」
ドナホゥの愚痴も皆の耳には途切れ途切れにしか届かない。周囲に渦巻く砂嵐の音にかき消されてしまうからだ。6層は見渡す限り砂、砂、砂が広がる、灼熱の世界。5年前はファティの『光壁』を流用した魔力の防御壁を纏い突破したのだが、暑さだけはどうにもできず難儀したのだ。『光壁』の中を『冷却』で冷やした空気で満たせれば、と考えたのだが、属性の異なる2つの魔法を同時に発し続けるのはファティであっても困難だったのである。――もっともアキルだけは自分で『冷却』をかけていたのだが。
しかし今回は――。
「こんなに快適に6層を進めるなんて、何だか気がとがめてしまうな」
ミルサークが顎を撫でながら言う。アイシャの存在はやはり大きい。全員分の『光壁』と『冷却』を苦も無く発し続けている。直射日光――というのも妙な話だが――の暑さだけは如何ともしがたいが、快適である事は間違いない。
「ギルド長さんは、何層迄行った事があるんですか?」
休憩時に、アイシャがミルサークに訊いた。
「うん、私か? ――7層までだよ。その時は、10人以上のパーティーを組んで挑んだのだがね。全員分の食料に加えて、各層対策の装備も山盛りだ。移動速度も遅くなるし、脱落者は出るし、士気が最低レベルの所を魔物に襲われたりで、散々な目にあったもんだ」
ミルサークはさらっと笑って答えたが、その言葉の奥に一体どれだけ過酷な現実があったのか。冒険者の間では過去を尋ねるな、というのは不文律だ。出自は勿論、迷宮内での体験についてもである。それらは立派な「財産」であって、気軽に訊いて良いものでは無い。だから、ミルサークが片目を失った経緯なども、俺は知らない。
……まぁ、アイシャが訊く分にはいいだろう。同時に俺の耳にも入ってはしまうのだが。
6層より下は大人数のパーティーを組まなければ攻略は難しい、と言われているという事は、以前言ったかと思う。その理由が先ほどミルサークが言った、「荷物の運搬」という問題だ。6層が熱砂の砂漠、7層が雪と氷に包まれた森、というように環境が極端に変わるのだ。それぞれの環境に魔法で対処できるレベルの魔法使い等滅多にいない。だから通常はそれぞれの環境に応じた装備を抱えて移動する事になる。そうなると闘いに特化した人員と荷物運びに特化した人間に分けた方が効率が良い、となり自然にパーティー人員が増えるという訳だ。
「……今、俺達以外に6層以下に潜っているパーティはどれくらいいるんだ? ギルド長なら知ってるだろ?」
「今潜っているのは、確か3パーティー程いた筈だ。何処にいるかまでは、さすがに分からんがな」
以前も言ったかもしれないが、5層より下を目指すパーティーは多くない。他の冒険者に出くわす危険はほぼ無い、と言っていいのかもしれない。アイシャのおかげで環境対策もバッチリだ。だとすると今一番気に掛けるべきは――。
「――どこかで、魔物と戦っておきたいな」
水を飲んでいたミルサークが、眼を見張る俺を見てニヤリと笑う。
「お前の考えている事位分かるさ。まだ、この面子で戦った事がないからな。連携とかを確かめたいんだろう。まぁ、心配するな。最下層へ着くまでには、何度も魔物と戦う事になるさ」
俺は肩をすくめた。魔女とどう戦うか。その為の陣形は重要だ。俺と、リドワンが前衛。切り込み部隊なのは決定済。となると残りの3人は後衛、というのが定石なのだが――この女が後衛に向いているとはとてもではないが思えない。確か彼女の戦闘スタイルは――。
「――何か来ますっ!」
アイシャの鋭い声に、俺は我に返る。足元から伝わる地響き。砂の表面が震えて流れる。
「じ、地面の下から、ですかねぇ?」
「落ち着け。とりあえず今は――」
振動が次第に大きくなる。俺は後ろで立ち尽くしていたドナホゥに思い切り体当たりを喰らわせた。
「散開しろ! 固まっていたらダメだ!」
直前まで俺達がいた場所の地面が一瞬盛り上がったかと思うと、次の瞬間には凄まじい音を立ててへこんだ。砂が地面に吸い込まれているのだ。
「な、何ですかぁ、アレ!」
「アントンアだ。流砂に獲物を巻き込んで、その体液を吸う。……巻き込まれたら終わりだぞ」
砂漠の代表格と言ってもいい虫型の魔物だ。獲物がかからない事を悟ったのか、地面を振るわせて移動を開始する。砂中から細長いいくつものトゲというのか牙というのか――を持った巨大なハサミが飛び出したかと思うと、あっと言う間に姿を消した。
「……デカいな。かなりの大物だぞ」
ミルサークが喉を鳴らす。
「何でちょっと、嬉しそうなんですぅ?」
「静かにしろ。奴が獲物の位置をどうやって探知していると思う?」
ドナホゥは少し考えてから急に声をひそめ、
「お、音、ですか」
「1つの説、だけどな」
俺は4層でも使った光弾を取り出す。6層以下の情報が少ない、というのは以前言ったかもしれないが、出現する魔物についても同様だ。しかし、俺には経験がある。音に寄ってくるのならば、そいつをエサにすれば良いのだ。次に流砂が起こった所にコイツを投げ込み、釣り出してやる。
振動を感知しようと集中していると、肩を叩かれた。
「ここは、私に任せて貰おう。……久々の実戦だし、肩慣らしが必要なんでな」
ミルサークがそう言って、笑みを浮かべた。
「5層で十分、暴れたんじゃないのか?」
「人相手じゃあ、本気は出せんよ」
ミルサークの両拳にはいつの間にか、金属製のグローブが装着されている。目にするのは何年振りだろうか。彼女は具合を確かめるように何度か掌を開閉させると、静かに言った。
「――展開」
手の甲にはめ込まれた魔石が光を放つ。すると手首の部分が金属音を立てて動いた――かと思った次の瞬間、前腕部までを覆う装甲が展開し、ガントレットと化した。無骨ながらも威厳を感じさせる形状。白銀色に光るそれは、間違いなく希少金属ミスリルだ。
これがミルサークの代名詞とも言うべき武具、『アラクァ・バルト』。
「……どういう仕組みなんだ?」
「そんなもん、私が知るか」
ミルサークは笑って両拳を叩き合わせた。何とも形容しがたい、澄んだ金属音が響く。
「離れていろ。おびき寄せる」
アイシャが『飛翔』を唱えて、俺とドナホゥを宙に浮かせる。ミルサークを囲むように、それぞれ距離を取った三角の位置に布陣した。
ミルサークは改めて金属音を響かせる。2度、3度。しかし魔物は反応しない。
「……邪魔だな」
そう呟くと、彼女は纏っていたマントを脱ぎ捨てた。
「ち、痴女……っ!」
その姿を目にしたアイシャが眼を丸くし、ドナホゥが思わず呟く。ビキニアーマー、というのだろうか。防御よりも動きやすさを優先した、露出度の高い――いや、非常に、異常に高い装備。この姿で攻撃を躱しつつ、アラクァ・バルトで拳を叩き込む。バリバリ近接型の徒手空拳スタイル。俺が知っている彼女の戦い方は、そうだ。
ミルサークはさらに拳を叩き合わせて一際大きな音を立てた。次の瞬間ぐっと身を屈めたかと思うと、宙へ飛び上がる。
――何をする気だ? 魔物はまだ探知できていない。
当然『身体強化』をかけているのだろうが、『飛翔』も使っているのではないかと思う程の高さだ。その頂点で身を翻すと、勢いそのまま落下して右腕を地面へと叩きつけた。
……気のせいか? 彼女が叩きつけた右腕がその直前、光をまとっていたような。もしかして――。
俺は改めて地中を探る。が、動きは無い。そうだろう。いくらアラクァ・バルトでの一撃とはいえ、相手が砂では音も衝撃も吸収されてしまい、魔物を誘い出す程の効果は……待てよ、吸収? 何処に? 決まってる。それは――。
その時、地面が揺れた。が、様子がおかしい。地中からの動きは感じる。が、動き回ってはいない。真っ直ぐに地表を目指している。まるで、何かに追い立てられているかのように。そして――ズン、という衝撃音と同時にドナホゥのすぐ側に巨大なハサミが飛び出したかと思うと悲鳴のような鳴き声をあげつつ、魔物はその巨体を現した。砂に擬態する薄茶色の体。いや、毛だ。全身に生えた薄茶色の毛が、その一本一本が針金のように揺れて金属のような音をたてている。それらの毛を巨大化したような極太の節くれだった脚がワキワキと動く。
「で、でたぁっ!」
ドナホゥが悲鳴を上げて、『光壁』を展開しようと手を伸ばす。俺も飛び出そうと魔素剣の柄に手をかけた。が、それらは既に遅きに失していた。ミルサークだ。
凄まじいスピードで魔物に接近したかと思うと、その拳をさらけ出された魔物の腹に叩き込んだ。一発だけではない。何発もほぼ同時に、だ。風が彼女の拳に向かって吸い込まれる。周囲に響く澄んだ金属音は、その拳が魔物を破壊する音なのか、拳が風を切る音なのか。
音が止んだ。一瞬の静寂。魔物も、ミルサークも動かない。――と、ミルサークが構えを解いて数歩下がる。その瞬間、魔物が弾けた。腹が破けて濁った血液と臓物が混じったシャワーが降り注ぐ。脚が四方八方に飛び、鋭く尖った槍のように地面に突きさる。
「……凄い」
アイシャが思わず呟きを漏らす。……これが、元トップクラスの冒険者の戦い。俺も、実戦で見るのは初めてだ。
中身を殆ど失った魔物の外殻が、グシャッと音をたてて崩れ落ちた。
「討伐完了、だな」
ミルサークはマントを拾って肩にかける。返り血の一滴すら浴びていない、完璧な勝利。
「まあ、そうだな。……素材回収もへったくれも無いが」
「外殻は使えるさ。ま、我々には必要無いだろう?」
それは、そうなんだが。何かもっとこう手心というか、何というか――。何となく、魔物に同情してしまっている自分がいた。
「あのう……」
アイシャが遠慮がちに声を上げて、俺達は振り返る。指した方を見て、俺は苦笑した。――そうだ。魔物より先に、同情してやらねばならない奴がいたな。
全身に魔物の血液を浴び、首に臓物の一部を巻き付けたドナホゥが、口をパクパクと開閉しながら呆然と宙を見つめていた。




