3.過去編 その3「おめでとう」
それから3人での迷宮探索が始まった。想像以上に、俺達の相性は良かったらしい。最前衛が俺で、次がアキル。後衛にファティ。これまで俺が手間暇かけて倒していた魔物が、3人がかりならばほぼワンターンで倒せる。効率が上がれば、魔石の回収率も上がる。国へ魔石を納めるのは癪だが、少なくとも俺達の評価は上がり、待遇も――僅かだが――良くなる。そうなれば、探索がさらに進む。
稼ぎを上げる為に冒険者は迷宮を下へ、下へと潜っていく。下層ほど魔物は強くなるが、回収される魔石のサイズも大きくなるからだ。この迷宮の厄介なところを挙げるとキリがないのだが、代表的なものは3つ。一つ一つの階層の広さが非常に広い事。端から橋に行き着くまで一週間以上かかった、という話がある程だ。そして、各階層へと繋がる階段は、上層行きと下層行き、それぞれ1つずつしか存在しない事。砂に埋もれた一粒の塩を探し出すようなものだ。
そして最も厄介なのは大体1週間に一度、大きな地殻変動があるという事だ。地形が一変してしまうのである。つまりマッピングが無駄になってしまう。さらに「大体1週間に一度」というのがキモで、言い換えればほぼランダムなタイミングで発生すると言ってもいい。探索中に巻き込まれると、『飛翔』の魔法を使えでもしなければ、生き残るのは運任せだ。
ただ階段の位置は固定である、というのが幸いで、1層から5層までの階段の位置は特定されていた。なので、魔物にやられさえしなければ、5層までは比較的容易に行けるようにはなっていた。先人に感謝である。
加えて迷宮探索をある程度容易にしたのが、冒険者が左手首に着けている腕輪の存在だ。元々はギルドが迷宮に潜っている人数やその位置を把握する為に作られた魔道具で、潜る前に支給され、探索中は装着の義務が課されている。容易に外す事も出来るのだが帰還の際には返却しなければならず、紛失すると罰金だ。冒険者達の不満を抑える為に、幾つかの機能が追加されている。位置情報の表示と、瞬間帰還機能だ。
位置情報といってもざっくりなものだが、判明している階段との距離を測る事位は出来る。瞬間帰還はその名の通り、どの階層からでも瞬時に地表へ戻れるというもの。だがそれには別売りの小型スティックが必要で、そいつがバカ高い。平均的な冒険者の稼ぎ三ヶ月分以上の値段なのだ。命あっての物種というのは事実だが、それだけの手持ちがあれば装備や回復薬の購入に充てるだろう。『スティックを買う奴は腰抜けだ』と言われる程で、買う者は殆ど居ないのが現実だった。
一度死にかけた3層を呆気なく突破して、俺達は5層へと辿り着いた。ここは地殻変動が発生しないという特殊な階層で、魔物の数も多くなく、完全ではないがセーフティゾーンのような扱いとなっていた。それ故――。
「驚いたな。迷宮の中に街がある、とは聞いていたけど、ここまで立派なものだなんて」
俺は眼を見張った。周囲には魔物避けの壁が築かれ、整地された道路の左右に立ち並ぶテントの数々。それら全てが何かしらを売っている店だ。道を歩くにも常に人を避けなければならない程に賑わっている。
「……迷宮の民、か」
店で売っているのは野菜や魔物の肉といった食料もあるが、大半は冒険者向けの装備や薬等。それらの正体は――。
「迷宮に引きこもって、死体剥ぎで稼いでる最低な奴らさ」
アキルが吐き捨てるように言った。そう。殆どが迷宮で命を落とした、冒険者の遺品だ。マタハット、という種族や民族がいるわけではない。彼らは皆、元・冒険者だ。『魔女の落し子』としての暮らしに絶望し、地上の生活を捨てて迷宮の中で暮らすことを選んだ人々。そんな彼らが迷宮の民、と自称してこの街を作ったのだという。
「俺はこんなところで、1銭たりとも使いたくはないね」
「そんな事言わないの。ここに拠点を構えれば、先の探索もしやすくなるでしょう? 魔素抜きの泉もあるって言うし、何より補給ができるのは有り難いわ」
迷宮探索は、際限なく続けられるものではない。補給の問題もそうだが、一番の問題は迷宮内に存在する『魔素』だ。魔法のエネルギー源として無くてはならぬものであると同時に、人体に有害である事でも知られている。具体的には、<眼>だ。体内に魔素が蓄積すると徐々に視神経が侵されて瞳を金色に染め、最終的には失明に至る。マタハットが皆目深にフードを被っているのは、金色の瞳を隠すためだと言われている。迷宮内には飲んだり浴びたりするとある程度の魔素を抜くことができる水を湛えた泉が存在しているのだが、それも地殻変動で移動する為、固定化された5層の泉は貴重な存在だった。……当然、使用料は取られるのだが。
「視力を失ってでも、迷宮に籠もりたいものかね」
俺には分からん、とアキルは首を振る。仕方あるまい。目的がある俺達と、漫然と暮らす事を選んだ彼らとでは生き方が違うのだ。割り切って、利用出来るものはさせて貰えばいい。
拠点となる部屋を借りて、俺達は5層より下の攻略を開始した。10人単位で臨むのが妥当とされている階層をたった3人で攻略しようというのだ。これまで以上に慎重に、かつ大胆に、という意識を共有して、俺達は進んだ。
だが予想に反して、探索は容易に進んだ。運もあったのだろう。未知の魔物と遭遇する事が増えたがさほどの苦戦はせず、6、7、8層を突破した。ともすれば緩みそうになる俺とアキルの気持ちを引き締めさせてくれたのは、やはりファティの存在だ。パーティーのリーダーは何となくアキルという事になっていたが、精神的支柱は間違いなく彼女だった。
後から思えば、俺達は互いに依存し過ぎていたのかもしれない。失った家族を、互いの中に求めていたのかもしれない。
だから――崩れる時は、一瞬だった。
◇ ◇ ◇
「話がある」
5層の拠点に戻って一息付いた頃にアキルが切り出した時、何となくその内容の想像はついた。だから、
「次に地上に戻ったら、俺達結婚しようと思っているんだ」
と、聞かされてもショックは無かった、と思う。
「……そうか」
いつも通りに俺は言った。いつも通りに言えた筈だ。
「何で今、って思うよな。当然だよ。……まぁ、俺のワガママさ。前から、8層をクリアできたら結婚してくれって、言っていたのさ」
「だからって何も今、言わなくったって……」
ファティは全身でため息をつくように肩をすくめた。今回の探索で、数ヶ月の間探していた9層への階段をようやく発見したのだ。戻って早々の報告なのだから、アキルが如何にこの時を心待ちにしていたのかがわかろうというものだ。
少々呆れてしまったのも事実だが、アキルがそれだけを目的に迷宮探索をするような男ではない事くらい、俺でも知っている。
「いや、その――ネジドには申し訳ないとは、思うさ。けどホラ、こういうのは、早く伝えた方がいいだろ?」
あまりの慌てっぷりに苦笑するしかない。アキルなりに、俺に気を遣ってくれているのだろう。確かに、ファティは魅力的だ。何度勘違いをしてしまいそうになったか分からない。だが――。
気にするな、そこまで自惚れちゃあいないさ。
俺は口のすぐそこまで出かかったセリフを、必死に舌の奥に押し込んで押しつぶす。
「おめでとう」
ゆっくりと、俺は言葉を絞り出した。「タイミングはあれだが、まぁやっぱりな、という感じだけどな」
2人は顔を見合わせて照れ笑いを浮かべた。
「――ありがとう。お前は、そう言ってくれると思ってたよ。今まで通りに、これからも宜しくな」
「……ああ」
翌日も探索の予定だった為、その場はそれで終わりとなり、俺は装備の補充の為に外へ出た。それは嘘ではなかったが、一人になりたかったのだ。アキルの言う通り、俺達の関係はこれまでと何も変わらないのかもしれない。――いや、それは無い。やはり何かが、何かは変わる。変わってしまうだろう。それが、俺には寂しかった――寂しい? 寂しいって何だ。ここは共に喜び、祝うところだろう。祝わなければならないだろう。分かっている。分かりすぎるほど、分かっている。だが――分かるもんか。分かってたまるか。クソ喰らえだ。
気が付くと大通りを外れ、細い路地に迷い込んでいた。俺は一度大きく息をついて、頭をかく。
……落ち着こう。関係が変わるも変わらぬも、俺次第なのだ。俺が我慢すれば、全て今まで通り。それでいいじゃないか。俺が。俺さえ我慢すれば。
ふと視線を感じて、俺は上を見た。2階建ての建物の窓際。そこから外を覗いている。
……子供?
バカな、あり得ない。迷宮の中に子供が居るなんて。
帽子がズレて、慌ててそれを押さえる。もう一度そこを見た時、小さな影は消えていた。
何だったんだ? 見間違え? いや、視力には自信がある。5つ位の子供だった――マタハットの?
「……まさか、な」
余計な事に関わるべきではない。さっさと用事を済ませよう。歩き出そうとした時、ふとその店が目に入った。子供のような影がいた建物。ファティの言葉を思い出す。
「大通りの店以外からは、買っちゃダメよ。そこで売れないってのは、要は表に出せない品って事なんだから。地上に持ち帰った時にどんな言いがかりをつけられるか、分からないわよ」
表に出せない品。言い換えれば、レアな物があるという事だ。
……祝の品を、買うか。
ふと思い付いて、俺は苦笑した。何が祝、だ。全ては俺自身の為だ。この下らない自尊心を維持する、それだけの為の。
俺は入口に下げられた布を脇に避けて、中に入った。