2.過去編 その2「魔女を倒すこと」
翌日の夜、俺達はとある酒場の2階に集まった。アキルが指定した場所だ。冒険者向けの店だが1階程荒れておらず、話をするにはうってつけではある。が、
「聞かれ放題だと思うが……」
飯時を少し外れているとはいえ、店はほぼ満席だ。
「別に聞かれたらまずい話をするわけじゃない」
まぁ座れよ、とアキルに促されて円卓の椅子へ腰を下ろす。周囲から向けられる好奇の視線を感じながら。自分でも、アキル達と卓を囲む事に違和感を拭えないのだから、何も知らない周囲からしたらさもありなんだろう。
「まぁ、まずは乾杯しようぜ」
運ばれてきたエールのジョッキをアキルは配り、それを掲げた。
「久し振りの再会と、ネジドの無事の帰還に」
「乾杯」
「乾杯」
俺は苦笑しながらジョッキを合わせる。
「本当に何年振りかしらね。卒業式以来?」
一気にジョッキを空にしたファティが、おかわりをオーダーしつつ言った。
「ギルドでも、不思議と会わなかったな。タイミングって奴だろうけど」
アキルは半分程になったジョッキを円卓に置く。「でも、名前は聞こえてたぜ。《死にたがり》のネジドってな」
俺は無言でエールを少し、口に含む。ソロで迷宮探索をする奴は稀だ。決まったパーティーを組んでいない奴でも、ギルドで即席のパーティーを組んで探索に挑む。役割分担をして効率が上がるし、何より安全だ。にも関わらず、ソロを貫く俺についたあだ名が《死にたがり》。呼びたいやつには呼ばせておけばいい。
ファティの3杯目のジョッキと同時に、つまみの類が運ばれてくる。
「じゃ、本題に入ろうか」
ウエイトレスが離れると、アキルはおもむろに口を開いた。「ネジド、俺達とパーティーを組まないか。いや、組んでくれないか」
俺は無言でアキルの眼を見た。まだ酔うほど飲んでいない。緊張感が混じった、真剣な眼差しだ。ファティは――もう酔い始めているかもしれないな。紅く染まり始めた頬と細めるその眼の深い黒さに、何とも言えない色気を感じてしまう。
「……何故だ。お前達に、何のメリットもないだろう」
「メリットならあるさ。優秀な前衛が加わってくれれば、俺達の負担が減る。今よりもっと、稼げるようになる。……それに何より、目的が同じ仲間を手に入れられる」
……目的が、同じ?
改めて2人の顔を見る。
「魔女を倒すこと」
ファティが既に空にしたジョッキの縁を指でなぞる。「ほうぼうで、そう言っているんでしょ?」
「……お前達も?」
「その為に迷宮に潜ってる」
――嘘は言っていない。自分の直感を信じるならば、だが。
迷宮の最深部に居るという魔女。『魔女の落し子』を生み出した元凶。この迷宮は10層まであるというが、10層に足を踏み入れて、戻ってきた者はいない。なら何故10層まで、と言えるのかと問われると困るが、とにかくそう伝わっているのだ。
「5層までなら、ペアでも行けるっていうけどな。6層より下になると大人数の探索隊レベルの徒党を組まなきゃ厳しいって話は知ってるだろ?」
「……もし俺が入ったって、たった3人だぞ」
「十分だろ?」
アキルはつまみの腸詰めを木のフォークで突き刺して口に放り込む。「冒険者学校のワン、ツー、スリーが揃えばさ」
「――俺は、5位だぞ。知ってて言ってるのか」
「いーや、3位だよ。憶えてるだろ? 模擬戦で俺に勝った事があるのは、お前だけなんだぜ」
そういえばそんな事もあった、ような。
「別に、誰が1位だろうが、どうだっていいじゃない」
果たして何杯目だったか、ファティがジョッキを空にして、「重要なのは、目的を同じにした実力者が3人、ここに集まっているって事よ。でしょ?」
正直にいうと、自惚れでなく剣技に限ればアキルに勝る自信があった。素早さを活かして相手を翻弄し、長剣と短剣の二刀流で相手を削っていく。欠点は一発の攻撃力に欠ける事と、魔力が低い事。
剣技は自衛ができる程度だが、圧倒的な魔力をもって魔法で攻めるファティ。そのファティと変わらない程の魔力を持ちながら、剣技も一流――俺には劣るが――のアキル。総合力で見れば、俺が二人より下なのは間違いない。自身の至らなさを痛感させられたばかりだ。この2人と一緒ならば――。
「……1つ、訊いてもいいか」
なんなりと、とアキルは両手を広げる。
「どうして、魔女を倒したいんだ?」
「どうして、って――当たり前だろ? 俺達『魔女の落し子』なら、皆一度は考える筈だ」
その通りだ。しかしヘブロンに送られてそれなりに安定した日々を過ごす中で、いつの間にか差別を当たり前の事として受け入れ、納得し、奴隷へと成り下がる。自分が奴隷だという事も認識できずに、日々を暮らす。――だが俺は、我慢できなかった。俺の迷宮探索の目的は、一言で言えば『復讐』だ。俺を捨てた家、国、そして、元凶である魔女への復讐。どう繕っても暗い、ドロドロとした目的。このキラキラとした2人が、そんなものを持っている筈が無い。大方、『魔女の落し子』への差別を無くしたいとかの前向きな、多勢を惹きつけるようなものに違いない。もしそうなら、決して俺と相容れる事は無い。
俺は黙って、2人の眼を交互に見た。このまま2人が無言を貫くか、想像通りの事を言えば、席を立つつもりだった。その時、唐突にファティが口を開いた。
「――みんな、壊れちゃえばいいのよ。私達は、そう思ってる。ネジドもそう思わない?」
一瞬混乱した。
「アスカリ家って、聞いた事無い?」
俺は首を横に振る。
「昔から、王の側近を務めているのよ。……私の無くなった苗字」
……つまり、貴族様って事かよ。俺は唖然とする。アキルを見ると肩をすくめて、
「俺も、彼女と同じようなもんさ。しかも長男なんだぜ。運命ってのは、酷いもんだよな」
俺達『魔女の落とし子』は苗字を持たない。正確に言うと、『魔女の落し子』となった時点で、捨てさせられる。それが貴族のものだというなら――当人が受けるショックは計り知れないだろう。
いつの間にか置かれていた新たなジョッキを、ファティは一息で空にする。……おいおい、大丈夫か?
「酔ってないわよぉ」
口周りの泡を拭いつつ、憂いを含んだ艶めかしい視線を送られると、何か勘違いしてしまいそうだ。
「家も、国も、魔女も大っきらい!」
そのまま卓に叩きつけられたら確実に砕けていただろうジョッキの下に俺は辛うじて手を差し入れて、ジョッキを救う。
「……俺達は、いずれこの国を出る。魔女を倒してな」
唐突に声を潜めて、アキルが言った。「その為の準備もしているんだ」
「準備って?」
嫌な予感しかしなかったが、俺は反射的に尋ねていた。
「魔石を貯めてる。昔のツテから、流して貰ってな」
マジか……。迷宮から冒険者が回収してくる魔石はギルド――つまり国へ引き渡す事になっている。魔石の流通は国によって完全に管理されていて、横領や密輸等が発覚したら、死罪は免れない。
「魔女を倒したら、迷宮から魔石は取り出せなくなる。そうなると、魔石の価値は今以上に高騰するだろう。この国で売り払ってもいいし、他の国に持ち出したっていい。まぁ、先行投資って奴さ」
取らぬ狸のなんとやら、という言葉が浮かんだが、この2人なら自分の力でそれを成し遂げる可能性があるのも事実だ。
「……思ったより、悪い奴だったんだな。知らなかったよ」
俺はため息を付きながら言った。この話を聞いてしまった以上、俺も既に仲間という訳だ。この場所にしても、最初から人目につかない場所を指定すると、俺に怪しまれるかもしれない。そう考えたのだろう。つまり一言で言えば、俺はこの2人に完全にハメられた、という訳だ。
「でもまぁ、ちょっと安心した――いや、嬉しかったよ。俺より悪い奴がいてくれるなんてね」
2人が同時にニヤッと笑みを浮かべた。
「それじゃ――」
「ああ、一緒にやろう」
俺は左手を握り、差し出した。2人も同様にして、3人で拳を合わせる。――拳合わせ。まんまのネーミングだが、冒険者同士での結束の確認と、幸運を祈る儀式だった。