母親たちの祈り
その世界は狂っていました。憎悪の神が心が醜悪だと言う人々が暮らしているだけあって、価値観が狂っていました。
生き物というのは、種が絶滅の危機にあれば、滅ばないように本能が働くものです。生命の危機にあるから生殖行動をしたくなるように、絶滅しかけているからこそ母体となって優秀な遺伝子を残す女が多く生まれる。それが自然の本能です。
その世界では、女は下等な生き物だと虐げられていました。夫が妻を虐げるだけでなく、父親が娘を虐げ、息子まで母親を虐げる、そんな異常な世界でした。
憎悪の神は自分を産んだ母親を慕わず虐げる、この世界の人間は歪だ、と思いました。
この世界に生まれた女は地獄に生まれたも同じ。
憎悪の神が知る世界の中でも一番、酷い世界だと思いました。
『どうか、娘が生まれませんように』
母親の祈りの多くがそうでした。自分と同じ苦しみを我が子には味合わせたくない、という母心でした。
『どうか、娘が死にますように』
娘が生まれた母親はそう祈ります。父親や兄弟に殴る蹴るの暴行を受け、いつも飢えている娘の姿を見ていたくないからです。
『どうか、娘の夫が死にますように』
娘が嫁に行った母親はそう祈ります。男に取り入ることが上手い女は一握りだけで、それ以外は数人いる妻という名の奴隷の一人。良い待遇をしてもらう為に、男に取り入らねばならない世界です。
傍に母親もいない心身共に最悪な地獄。そこから逃げ出すには、娘が死ぬか、娘の夫が死ぬかの二通りだけ。
憎悪の神はそんな祈りを捧げなければならない世界の人々を醜い、と滅ぼしてしまいたかったのです。
祝福の女神はその博愛の精神から、憎悪の神と取り引きをしました。
この世界を滅ぼすのを止める代わりに、愛し合う二人の間にのみ、子どもが生まれるように、と。
10年間は誰も気付きませんでした。
20年後。政略結婚させたくても、娘がいないことに気付いた貴族が遠縁や平民の娘を養女にしました。
30年も経てば、侍女もメイドも中年しかいなくなりました。
40年後。一握りの女以外はもう女は生まれませんでした。いくら泣き喚いても、自給自足の生活をするしかありません。
だって、この30年間に生まれた女はほとんど王侯貴族と結婚してしまい、平民は女と結婚できなくなりました。後20年もすれば、平民は平均寿命を迎えて死に絶える。そんな状態です。
一部の男が妻を愛していても、権力を持つ男たちは妻を愛さず、生まれた娘を奪い取っていった結果でした。
祝福の女神もこの結果には仕方がない、と受け入れました。