第八話 還る世界
最後は誰だって一人かもしれない
けれどそれは孤独ではない
気づけば、モモの目の前には、サルビアがしゃがみ込んでいた。不安げにモモを見つめながら、両手をぎゅっと握りしめている。その肉球からは柔らかな感触と温もりが伝わってきて、心ごと包み込まれているようにも思えた。
「……ありがとう。もう大丈夫」
モモが笑顔を浮かべると、サルビアは飛び込んでくるようにモモに抱きついた。
「忘れていてごめんね」
サルビアは答えることなく、ただ首を横に振る。さらさらとした毛並みが頬にあたり、くすぐったくて、モモは首をすくめてしまう。
サルビアを抱きしめながら、彼女の奥に立っているイツキを見る。その表情には最初のころの穏やかな笑みが戻っていた。見回してみると、先ほどまで倒れていた二股の尻尾の人影が消えている。
「ここに留まるための繋がりが失われたからね。速やかにご退場願ったよ」
モモは、サルビアから身体を離して立ち上げる。サルビアもまた、立ち上がりその横に並んだ。
足元に落ちてしまったカバンを手に取ると、「ちりん」と鈴の音が鳴った。
(この鈴のついたお守りも、このご神木の近くの神社でもらったんだっけ)
まだはっきりとしない意識の中で、モモはそんなことも思い出す。
「結局分からないままの事はあるけれど、とにかくこれで帰れるの?」
「この場所に来ることになった記憶は思い出したんだよね」
モモが頷く
「君の居た世界と繋がるための記憶、その「忘れ物」を思い出したのなら帰れるよ」
「どうすれば帰れるの?」
モモの言葉に、イツキは少し黙ると、肩をすくめる。
「え?分からないの?」
これだけ「忘れ物」を見つければ、「帰れる」と言っておいて、と思ったが、それは言葉にはならなかった。
「本来、片道だからね」
「……あんまりからかうのは趣味がいいとは言えないよ」
その様子を見ていたサルビアが、尻尾を揺らしながらイツキを睨む。
「嘘は言ってないよ」
「伝えるべきことを伝えないのはいじわるでしょ!」
イツキが楽しそうに告げた言葉に、サルビアは尻尾をピンと立たせて叫ぶ。
顔を見なくても、怒ってるって分かるな、とモモは思う。
「で、どういうこと?」
とにかく帰る事は出来るらしいが、モモは二人が何を話しているのかついていけなかった。自分が意識を失っている間に何があったというのか。
「君は大切に思われているね、って事かな」
サルビアがイツキを睨みつけて、小さく息を吐く。
「……薄雪のおじさんが送ってくれるって」
「薄雪のおじさんって、薄雪草のうさぎのお父さん?ワゴンの?」
サルビアが頷く。
「でも、居なかったよね」
「繋がりの戻った今なら、ワゴンの所にいるはずだよ。まぁ、もしも居なかったなら、その時はその時。別の方法を考えるけどね」
少年は微笑みながら、モモにとっては怖いセリフをさらりと言った。少年の得体の知れなさは元からなのかもしれない。
「さて、あまりのんびりしている時間はない。向こうも君のことを心配しているだろうし、何より、この領域を長時間保つのは、実は……結構厳しい」
「え?」
「さっき僕の領域にするために、本来この世界に繋がっていたこの場所に無理矢理僕のを繋げ直したからね。早くここから出ないと、呑み込まれて帰れなくなるよってこと」
イツキが今までで一番晴れやかな笑顔を浮かべる。モモは頬を引きつらせると、サルビアの手を取り、森の中に繋がる道に向かって走り出す。
「それ、早く言ってよ!」
▽▲▽▲
森を抜けた先には、ナノハナの姉弟が心配そうに待っていた。その後ろには、もう一人。この世界では初めて見るが、それが薄雪草のうさぎのお父さんであることは、今のモモなら一目で分かった。
「平坂の入口まで送っていってもらえれば、あとは自然とかえれるはずだから」
イツキのその言葉は、薄雪草のうさぎのお父さんに向けた言葉なのか、モモに向けた言葉なのか。
慌ただしくモモはワゴンの助手席に乗せられる。急いで車の窓を開けると、乗り出すようにしてサルビア達を見回した。
「……危ないよ」
苦笑いするイツキを睨みつけると、モモはナノハナ姉弟、サルビアとそれぞれ握手する。
「みんなはどうなるの?」
「あるべき場所に還る。それだけだよ」
「……大丈夫、また会えるから」
サルビアが笑いかける。
「会いたいと思えば、いつでも、ね」
ナノハナ姉も笑顔を向ける。
「もう帰っちゃうの?」
ナノハナ弟が姉の顔を見上げて尋ねたのを見て、姉は弟の頭を撫でた。
「また、遊ぼう」
モモがそう言うと、ナノハナ弟は途端に笑顔に変わる。くるくると変わる表情は万華鏡のようで、愛しく、美しい。
「またね」
モモが言った
「またね」
「またね」
ナノハナ弟が、それに続くように少女たちが、別れの言葉を告げた。それを待っていたかのように、ワゴンが走り始める。
「イツキ君も、ありがとう!」
あっという間に、遠く、小さくなる彼の姿に、モモは大きく手を振る。少年もそれに応えるように手を振り返してくれた。……そんな気がした。
その姿か見えなくなるかどうか、というところで、モモの意識は薄れ、視界はホワイトアウトした。
最初は誰だって一人かもしれない
生まれたばかりのその瞬間に
母との繋がりが断たれたとしても