08.夫の特技は暗躍です
その翌日、ナルシスはまたオリア魔法学園にやって来た。
今日のナルシスは昨日とは打って変わり、悲壮感が満ちた表情でリアを抱きしめている。
彼らの後ろにはグリフォンの馬車が控えており、御者がそわそわとした表情でナルシスを窺っている。
「リア、くれぐれも、あの狼くんには気を付けるんだぞ?」
「もう! ストレイヴさんに対して失礼だよ。それに、早く馬車に乗らないと御者が泣きそうな顔をしているよ?」
「あと五分だけこうしていさせてくれ」
本当にあと五分だけで終わるのかが疑わしい。
今日はリアと会ってからずっとこの調子なのだ。
腕の中にリアを閉じ込め、放そうとしない。
「何故なんだ……、何故、卒業後もディエースに留まることになったんだ……」
「国王陛下が直々にお願いしてくれたんだから、すごく名誉なことだよ! 頑張ってきてね!」
「しかし……リアとずっと離れたままだなんて、あんまりだ!」
「長期休暇には帰って来られるじゃない」
ナルシスは急遽、王命により卒業後もしばらくはディエースに滞在することになったのだ。
二国間の友好を示すための取り組みで、現地のディエースにある魔塔で一年、魔術の研究に従事するよう通達があったらしい。
「お兄様、ディエースに着いたらすぐに手紙を書いてね。私もすぐに手紙を書くから」
「ああ、毎日リアに手紙を送ろう」
「さすがに毎日だと多いような気が……」
ナルシスは困惑するリアに泣きつき、手紙を一日一度は出すよう約束をさせてしまうのだった。
「ほら、もう時間だよ。お兄様がディエースに到着した時に届くように手紙を書くから、楽しみにしていてね」
「私が居ない間に身の回りで起こったことは、全て手紙に書くんだよ!」
さすがにその約束は監視みたいでよくないのでは、と突っ込みたいところだったが、隣に居るイセニックが「束縛が過ぎるだろ」と言って代わりに抗議してくれた。
「お兄様がディエースで活躍している間に、私もルーセル家の魔術師として胸を張れるように勉強を頑張るね!」
「リア……! ああ、お互いに頑張ろう」
ナルシスを乗せた馬車が走り出し、大空を駆け上がる。
学園から遠く離れ、馬車が米粒くらいの大きさになってもまだ、ナルシスは窓から身を乗り出し、リアに手を振っていたのだった。
◇
「ナルシス様は無事にディエースに戻ったようだね」
「ええ、アロイスからの命令で長期滞在が決まったそうなの。リアとの別れを惜しんでいたわ」
放課後になり、お迎えに来てくれたノエルに昼間の出来事を話した。
「溺愛するリア嬢と離れさせるのは心苦しいのだが、彼らの将来の為だから耐えてもらわないとね」
「……と、言いますと?」
まるで、ノエルが自ら二人を離れさせたかのような言い方に、違和感を覚えた。
ノエルは今日買って来てくれた花束の中にある真っ赤な薔薇を見て、不敵に微笑む。
(何か隠しているわね)
第六感がそう訴えかけてくる。
そして、このままにしてはいけないと警告しているのだ。
円満な夫婦生活において隠し事はタブーだと、この世界のお母様が言っていた事を思い出す。
ここは一つ、【シンプル☆スピーディーな質問で即時解決作戦】!
単刀直入に聞き出してみるのが一番だ。
「ノエル、私に何か隠しているでしょう?」
「何を隠していると思う?」
予想に反して、ノエルはすぐに教えてくれなかった。
こうなったら、プランBを発動するしかない。
その名も、【ネゴシエーションで粘っちゃうぞ☆作戦!】
強硬手段ではあるが、質問しても答えてくれないのであれば、交渉するのみだ。
「誤魔化すつもりなら、考えがあるわ」
「考え?」
「教えてくれるまでは出発前のキスは禁止ね」
「わかった……。教えるよ」
よほど禁止されたくなかったのか、あっさりと白状し始めた。
この機会に出発前のキスを止めようとしていた私は、複雑な気持ちでノエルの告白を聞く。
「アロイスにナルシス様を推薦したのは私だ。魔術省の伝手を使い、ナルシス様が二国間の架け橋になるよう筋書きを用意したんだ」
「え?! あれはノエルの仕業だったの?!」
「仕業とは人聞きが悪いな。偉大な魔術師家の次期当主が大きな功績を残す為に後押ししただけだよ?」
口ではそう言っているけれど、確信犯の笑みを浮かべているから恐ろしい。
たった半日で、侯爵家の令息を他国に押しとどめるよう国王を動かすなんて、スケールが大き過ぎる。
「完璧主義のナルシス様は生半可な気持ちで取り組みはしないないだろう。だから、リア嬢たちが卒業するまで――シナリオが終わるまで、ナルシス様がオリア魔法学園に転校してくる可能性が消えたはずだ」
「そ、そうね。ナルシスならきっと、やり遂げるまでノックスには帰ってこないわ」
恐らく、ディエースの魔術師たちを凌駕する功績を残そうと、無我夢中で研究に取り組むに違いない。
本人たちの未来の為とはいえ、前作の元・黒幕(予備軍)の策略に乗せられてしまったナルシスト先輩に同情した。
「これで、レティが気に掛けなければならない生徒が一人減ってくれたね」
「……うん?」
「ああ、こっちの話だ」
ノエルの言葉が妙に心に引っかかったのだけれど、何に引っかかったのか、明確にできない。
「レティの憂いを取り除けて良かったよ」
「あ、ありがとう」
「この調子で残りの人物の問題も片付けていこう」
一難去ってまた一難、と言うべきなのかもしれない。
これからまた、ナルシス以上に大きな嵐が襲来してくるような気がした。
ナルシスの次――ゲームでは最後に登場する攻略対象の姿が、脳裏を過る。
(そう言えば、彼が襲撃犯たちに誓約魔法をかけた件についてもまだ、解決していないわね)
ルーセル師団長が彼の名前を口にした時、最初は驚いたけれど、彼の経歴を考えると納得してしまった。
――ジュリアン・エルヴェシウス。
魔法応用学の臨時講師として現れる、最後の攻略対象だ。
「レティ、浮かない顔をしているね」
「え? そ、そうかな?」
「……」
ノエルは質問に答えてくれず、何も言わずに私の頬に触れた。
「また、不安を抱えているのに私に教えてくれないのか」
「あ、えっと……そんなつもりではなくて……」
「前世の記憶を思い出し、不安になっているのだろう?」
図星を突かれてしまい、心臓が大きく跳ねた。
そのような些細な感情さえも、ノエルには詳細に伝わってしまっているような気がする。
「ひと段落ついたから、例の約束を履行してもらおうかな?」
「や、約束……!」
「レティはもちろん、覚えているよね?」
夫は、人間を惑す魔性の生き物のように、妖しく美しい微笑みを浮かべる。
私はさながら、蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れない。
「も、もちろん、覚えているわ。お願いは決まった?」
「ああ、レティの時間がほしい」
「私の時間?」
ノエルは優しい力で私を上に向かせる。
紫水晶のような瞳は今日も綺麗で、引き込まれそうになる。
「この週末、領地にある別荘で二人きりになりたい。一日だけ、レティの時間を全てくれないか?」
「え、そんな事でいいの?!」
何でも願いを叶えてもらえるというのに、意外にも簡単な願い事で驚いた。
「ああ、邪魔者が居ない場所でレティと二人きりになりたいと、ずっと思っていたんだ」
ノエルは願い事を口にすると、紫水晶のような瞳をとろりとさせて私を見つめた。
攻略対象を強制退場させた元・黒幕なのでした。




