07.攻略対象の異変
攻略対象の一人、ナルシス・ルーセルは妹のリアにこれまでの事を謝罪し、彼女の善き兄であろうと誓った。
ゲームの中では孤独な悪役令嬢だったリアだが、この世界では家族を失わず、兄とは良好な関係を築き上げている。
めでたしめでたし、と言いたいところだったのがけれど――。
「あ、あら、ナルシスさん。こんにちは……その、とても早い到着に驚きましたわ」
「妹の学園生活が気になって仕方がないので、早く来てしまいました。今日はよろしくお願いいたします」
戴冠式の特別休暇が明けた今日、なぜかナルシスがオリア魔法学園を電撃訪問してきたのだ。
権力者に甘い学園長が融通し、朝一番に「ナルシス様の案内をよろしくね☆」とだけ言い残して私に全投げしたのだった。
攻略対象がオリア学園に足を踏み入れれば、何かしらひと波乱ありそうな気がしてならない。
それに、他のメインキャラクターたちと出会えば、シナリオの抑止力が働いてしまうのではないかと、不安になるのだ。
悩んでいると、ジルが尻尾で私の手を叩いてきた。
「やい、小娘。顔色が悪いぞ。スライムみたいな色になっている」
「ちょっと! 淑女に対してその例えはないでしょう?!」
デリカシーが無い例えだが、ジルなりに心配してくれているらしい。
私の足元にぴったりとくっつき、気遣わしい眼差しでこちらを見ている。
「ファビウス先生? 具合が悪いのですか?」
「い、いいえ! 大丈夫ですよ。ゆっくり見て行ってくださいね」
「ええ、リアに悪い虫がついていないか、じっくりと見ておきます」
「……うん?」
まるで、娘を溺愛する父親が、娘に言い寄る男性たちに目を光らせているかのような宣言だ。
本当の目的は男子生徒たちへの牽制なのでは、と疑ってしまうほど、剣呑な空気を漂わせている。
「天真爛漫なリアを狙う輩は排除しておかないと、心配でディエースに戻れませんから」
「は、はぁ……」
予測不可能な展開について行けず、頬がひくりと動く。
(ナルシスト先輩が、シスコンになってしまった――?!)
仲良しを通り越して、重度に妹を溺愛しているような気がしてならない。
全力で妹を溺愛するあたり、さすがは完璧主義のナルシスト先輩だと思ってしまう。
「リアの同級生たちにご挨拶しないといけませんね。教室を案内していただけますか?」
そう言うと、流れるような所作で上着のポケットから手鏡を取り出して髪や服を整え直す。
――『身だしなみは武器の一つだ。相手を圧倒するには身だしなみから入念に備えねばならない』
かつて、ゲームの中でナルシスが言っていた言葉を思い出してしまった。
どうやらナルシスは、妹の同級生たち――正確に言えば、同じクラスに居る男子生徒たちに宣戦布告する為に、装備を最終チェックしているようだ。
「お、穏便に学園を案内できるかしら?」
穏便な展開を全く想像できず、胃がキリリと痛くなった。
◇
ナルシスを教室に案内していると、女子生徒たちの視線を感じる。
どの生徒たちも頬を赤く染め、ナルシスの美貌に目を奪われているようだ。
オリア魔法学園の女子生徒たちを光の速さで虜にしているとは、なんて恐ろしい子なのだろう。
「ここがリアさんの教室ですよ」
「ふむ、昼休みだからあまり人がいませんね」
廊下側の窓から中を覗いたナルシスが、不意に体を強張らせた。
「――あいつら、リアに近づき過ぎだろう」
「え?」
ナルシスの地を這うような低い声に、背筋が凍る。
つられて中の様子を見てみると、リアとゼスラとイセニックが三人で話をしていた。
ゼスラとイセニックの名誉のために言っておくが、二人がリアにべったりとくっついているわけではない。
二人は適度な距離感でリアに接しているわけで……つまり、ナルシスの許容範囲が恐ろしく狭いだけなのだ。
「リアを狼たちから助けなければなりません!」
「ナ、ナルシスさん?!」
ナルシスは私が止めるよりも先に教室の扉を開いて中に入ってしまった。
「やあ、そこの狼くんたち。うちのリアに近づかないでくれるかい?」
「お兄様?! どうしてここに?」
リアは目を丸くして驚いており、彼女の様子から察するに、ナルシスはリアに訪問の事を告げず、抜き打ちで来たのだろう。
すると、イセニックがナルシスをギロリと睨んだ。
「間違えるとはなんと無礼な! このお方は狼ではなくドラゴンの――」
「吠えるなんて弱者がすることで見苦しいよ、金色の狼くん?」
ナルシスも負けじと笑顔に圧を込めて対抗する。
「お、お兄様! もう止めてください!」
私は胃をキリキリとさせ、リアはあわあわと慌てふためき、ゼスラはにこにこと微笑んで二人を見守っている。
「いやはや、ルーセル殿の兄君であったか! 妹の様子を見に来るとは、兄妹仲が良くて何よりだ!」
「ゼスラ殿下! 暢気な事を言っていないで、まずは二人を止めてください!」
「ルーセル! ゼスラ様に命令するな!」
「狼くん、うちの妹に怒鳴らないでくれるかな?」
メインキャラクターたちは午後の授業が始まるまで賑やかに騒いだ。
そして、一時中断したナルシスト先輩の宣戦布告は、放課後にまた再開される。
「狼くん、うちのリアをジロジロと見ないでくれるかい?」
「うるさい! ゼスラ殿下の近くに居る人間を見張る事が俺の仕事なんだ!」
「……みんな、よく飽きないわね……」
ナルシスは相変わらず、イセニックに対して異様に当たりが強い。
二人が火花を散らしている側で、リアとゼスラが二人を見守っている。
この言い合いは夜まで続きそうだ。
げんなりとしていると、仕事終わりのノエルが魔法薬学準備室にやって来た。
「ノエル、ナルシスト先輩が重度のシスコンになっているわ……このままでいいのかしら? でも、すれ違うよりはいいのよね……?」
こっそり耳打ちすると、ノエルは二人をちらりと一瞥する。
「あの状態だと、リア嬢に求婚する令息たちは苦労しそうだね」
「うぐっ……。だ、大丈夫かしら?」
こめかみを押さえて唸っていると、ノエルが微笑んで「大丈夫だよ」声を掛けてくれる。
「最悪の事態は回避できているのだから、一先ず安心するべきだろう?」
「そ、そうなんだけど……」
ナルシスト先輩もリアも、幸せそうにしているから……まあ、結果オーライだと思うことにする。
「だけど、油断は禁物だわ。もしもナルシスがシナリオ通りに留学を中断してオリア魔法学園に転校してきたらと思うと、不安なのよ」
ナルシスがオリア魔法学園の生徒になれば、必然的にシナリオの脅威がまた一つ増える事になる。
もしも、何らかのきっかけがあってエリシャに一目ぼれしてしまい、ゲームと同じようにリアに冷たく接するようになったら――……。
不吉な未来を想像してしまい、眩暈を覚えた。
「しばらくはディエースから出られないようにできたらいいのだけれど、難しいわよね」
シスコンになったナルシスはリアにべったりくっついており、片時も離れたくなさそうだ。
今日オリア魔法学園を訪ねてきた理由の一つには、彼女と離れたくないという思いもあったはず。
まさかとは思うが、ナルシスはリアと同じ学園に居る為に留学を中断したりしないだろうか、と嫌な予感がしてゾッとするのだ。
「……そう、か。しばらくはナルシス様をノックスから遠ざけたい、と……」
ノエルは顎に手を添えて、考え込む素振りを見せる。
「彼がレティの憂いになり得るのなら、対処しなければならないね」
「ノ、ノエル? なんだか含みがあるように聞こえたんだけど、不穏な事を考えていないでしょうね?」
「不穏な事なんて少しも考えていないよ? レティは私のことを何だと思っているんだい?」
前作の元・黒幕(予備軍)です、と答えそうになるのを堪えた。




