02.夫が不穏な顔をしています
「――レティ、朝だよ」
ノエルが優しく囁く声がした。
まだ覚醒していない、ふわふわとした頭で返事をする。
「ふにゃふにゃして可愛い。このまま屋敷から出したくないな」
いささか不穏さを滲ませた言葉が聞こえてくる。
おかげで目が覚めた。
見上げればノエルが妖艶な微笑みを向けてこちらを見ている。
朝からなんとまぁ、美しいお顔をしていること。
メイクをしなくてもいいなんて羨ましい。
そう思う事で、微かに感じる不穏さを敢えて無視した。
「で、出るわよ。仕事があるもの」
「仕事が好きなのはわかっているよ。……だけど、夢にまで出てくる理事長が居る場所に、レティを行かせたくないと思ってしまうんだよ」
ノエルに今日の夢を言い当てられてしまい、冷や汗が背を伝う。
「どうして理事長が夢に出てきたことを知っているのよ?!」
「寝言で呟いていたからね」
「うっ……」
「眠っている妻の口から他の男の名前が出てきたのだから、どうしようもなく嫉妬に苛まれているんだよ?」
「ううっ……」
こちらだって、見たくて見たわけではない。
エリシャの記憶にまつわる夢の一部分にすぎない存在だったのだから、どうか目くじらを立てないでいてほしいものだ。
(……だけど、ノエルが寝言で女性の名前を口にしていたら、私も妬いてしまうかもしれないわね……)
愛する人には、寝言でも自分の名前を呼んでほしいと思ってしまう。
そのような結論に至ると、ノエルが私のことを深く愛してくれている実感がして、胸がくすぐったくなった。
「ノエル、目を閉じて?」
「……ん」
紫水晶のような瞳がじっとこちらを見て、意図を探った後に瞼が閉じられる。
薄く形のよい唇にそっとキスをして顔を離すと――。
ノエルは頬を赤くして、何も言わずに片手で口元を覆っているのだ。
「……私に襲われたような反応ね?」
「初めてレティの方から朝のキスをしてくれたから、嬉しくて……感動で言葉を失った」
「なぜ?!」
あまりにも大袈裟な理由に呆れてしまう。
初めてキスをした日ならともかく、朝のキスに初めても二回目も数える人なんているのだろうか?
「レティだからだよ」
「何なのよ、その理由……」
ノエルは答えない代わりに微笑み、本日二回目のキスをしてくる。
しれっと腕を腰に回しており、これから身支度をしないといけないというのに、拘束されてしまった。
「……レティ、新しい治癒師には近づかないでくれ」
「セルラノ先生のこと?」
「ああ。どうやら彼は、メルヴェイユ国王陛下の差し金らしい」
「ええっ?!」
ノエルの話によれば、懇親会の後に黒い影の調査でラクリマの湖に行った際に、ルスと出くわしてそう告げられたそうだ。
ルスに伝えたいことがある時は、セルラノ先生を頼るよう言われたらしい。
ディエースの宮廷病院で働いていた人物がまさかと思ったが――。
かつてルスの家臣だったダルシアクさんもまた、ディエース出身という偽の肩書を持っていたのを思い出す。
(セルラノ先生……。温和な人だけど、意外にも不穏な世界の住民だったのね……)
思えば、挨拶に来た時に私を見て泣いたのは、ルスが絡んでいたのかもしれない。
接点を作るよう、ルスから指示をされていた可能性がある。
「どのみち、彼にはそろそろ挨拶したいと思っていたんだ。今日の放課後にでも会いに行くよ」
ノエルの笑みに不穏な気配が漂っている。
私を口説こうとしたことが相当許せなかったようで、それ以来、セルラノ先生のことになると禍々しいオーラを発するようになってしまったのだ。
そんな経緯があったからなのだろうか。
挨拶というよりも牽制をしに行こうとしている気がしてならなかった。
「それと――」
「そ、それと?」
お次は何だ、と身構える。
「もうすぐ始まる戴冠式の間は、絶対に私から離れないでくれ。みんなの注目が戴冠式に向いている隙を突いて襲ってくる輩も居るかもしれないから」
「ええ。わかったわ」
「行きたい場所があったら私がついて行くよ。自由を制限しないから安心してくれ」
「ノエルと一緒に……」
それなら、戴冠式でアロイスを三百六十度あらゆる角度から観察するのに付き合ってもらおう。
戴冠式は推しの晴れ舞台。
記念すべき日は思う存分に推し活を楽しむつもりだ。
この際、またノエルを推し活に誘うのもいいだろう。
――いい作戦を思いついた。
その名も、【一緒に楽しい計画を立ててフォーゲット☆アングリー作戦】!
同担として、戴冠式を盛り上げる計画を一緒に立てれば、少しはセルラノ先生への怒りも収まるかもしれない。
我ながら名案だ。
「ノエル、計画を立てましょう!」
「計画?」
「ええ、ノエルと一緒に楽しい思い出を作りたいから」
ノエルのは目元を綻ばせて優しい眼差しを向けてくれる。
(しめしめ、ノエルの怒りのゲージが下がったようね)
心の中でガッツポーズをする。
「いい案だね。レティは何をしたい?」
「王宮をぐるっと一周回りたいわ」
「探検するのもいいかもしれないね」
「いいえ、真の目的はアロイスの観察よ!」
「観察?」
推し活初心者のノエルはの為に解説しよう。
「戴冠式ではありとあらゆる角度からアロイスを眺めたいのよ。だから、立ち入り禁止区域以外の全ての場所からアロイスを観察するわよ! 推しの晴れの日の姿を目と心にしっかりと焼き付けるの!」
「ありとあらゆる角度から観察……」
「ええ、きっといつも以上に素敵な装いのアロイスを見られるわ!」
戴冠式が楽しみ過ぎて、早口で喋ってしまった。
ハッとしてノエルの顔を見ると、ノエルは先ほどと変わらない笑顔のまま。
ノエルも楽しみにしてくれているようで嬉しい。
「同担のノエルが居てくれるから、一人で推し活するよりもっと楽しくなると思うわ!」
「……」
ノエルはゆっくりとした動きで寄り掛かってきた。
「どうしてそう解釈するのだろうか……」
その声はどことなく落ち込んでいるようだ。
私の肩に頭を乗せ、ずんと体重を掛けてくる。
「気乗りしないのなら無理強いしないわよ?」
「……いや、一緒に行く」
その後、使用人が起こしに来るまで離れてくれなかった。
同担というポジションが憎いノエルなのでした(*´艸`*)




