04.義弟のやきもち
「旦那様、奥様、ご帰宅してすぐで誠に申し訳ございませんが、庭園に来ていただけますでしょうか」
ファビウス邸に到着すると、執事長がそう告げてきた。
緊急事態のようで、いつも冷静沈着な彼には珍しく、焦っているのを隠しきれていない。
「わかったわ。ノエル、行きましょう?」
「ああ、……ところで、何があったんだ?」
「オルソン様が魔獣に姿を変えてしまわれたのです」
「ええっ?! オルソンが?!」
なんでも、オルソンは帰宅するといきなり庭園に出て、フェンリルの姿になったらしい。
今は庭園で、お義父様とお義母様と一緒にいるのだとか。
「どうしてまたフェンリルになったのかしら? 以前、サラが完全に治癒してくれたはずなのに……」
「メルヴェイユの王族だったオルソンに限って、呪術にかかることはないと思うのだが……、一先ず会いに行こう」
庭園に行けば一匹の大きなフェンリルが眠っており、お義父様とお義母様がフェンリルを撫でつつ何やら話し掛けている。
「このフェンリルがオルソンですか?」
「ええ、そうよ。オルソンがフェンリルになったのを目撃した使用人が数名いるわ」
眠っているフェンリル――もとい、オルソンは、耳をピンと動かしてノエルとお義母様のやり取りを聞いている。
まるで不貞腐れている犬のような仕草だ。
一体何があったのだろうかと考えてみても、思い当たることがない。
「オルソン、何があったの?」
話し掛けると、大きな耳がこちらに向けられる。
ゆっくりと瞼が開き、人間の姿のときと同じ、深い青色の瞳が私の姿を映した。
「クゥゥン」
弱々しい声で鳴くのを聞くと、胸がツキンと痛む。
きっと悲しいことがあったのだろう。
そうと分かっているのに、目の前にある大きなもふもふを触りたくて堪らない衝動に駆られてしまう。
そっと触れてみると、手はふわふわもふもふの毛の中に埋まる。
「……レティ、嬉しそうな顔をしているよ」
「ハッ……! ち、違うのよ、ノエル! これはあまりにももふもふの手触りが良いから、条件反射でニヤついてしまったのよ!」
「クゥゥン」
オルソンは「もっと触って!」と言わんばかりもふもふの頬を押しつけてくる。
フェンリルの大きな体でそのような事をされると後ろ向きに倒れてしまいそうになった。
「オルソン、誰かに呪術をかけられたの? それとも、変身薬を飲まされてしまったの?」
「クゥゥン」
肯定か否定かわからないが、返事をしてくれる。
上目遣いで甘えてくるのが可愛らしくて、「どちらでもいいか!」と思ってしまいそうになった。
「変身薬を飲んだようだ。これがオルソンの近くにあったんだよ」
お義父様はその証拠に、オルソンがフェンリルになった時に近くに転がっていたらしいガラス瓶を見せてくれた。
受け取ったガラス瓶からは、変身薬特有の臭いがするから間違いないだろう。
「誰かに飲まされたのかしら?」
「クゥン」
返事の代わりなのだろうか、切ない鳴き声を上げて上目遣いをしてくる。
義弟のあざとい攻撃が心にダイレクトアタックしてきてクリティカルヒットを喰らってしまった。
「くっ……、やっぱりオルソンを撫でまわしたい……!」
「クゥン」
オルソンが手に頭を押し当ててくるのを、わしゃわしゃと撫でまわした。
「よ、よしよし。これはオルソンを励ましているのであって、決してもふもふの誘惑に負けたわけではないわよ!」
「レティ、少しも誤魔化せていないよ……」
「うっ」
ノエルに指摘されてしまい、気まずくなる。
それでもオルソンが甘えて擦り寄ってくれるのをいいことに、オルソンが人間の姿に戻るまで、思う存分撫でたのだった。
――やがてオルソンが人間の姿に戻ると、ファビウス邸の居間で家族会議が始まった。
「それでは、こうなった経緯を話してもらおうか」
ノエルは尋問の始まりを告げるようにオルソンに問いかける。
人間の姿に戻ったオルソンは、白いシャツに黒のスラックスといったラフな装いをしている。
最近は髪を伸ばしており、頭の後ろで結わえて肩に流している。
私があげたリボンを使ってくれているようで、見覚えのあるリボンがちらりと揺れた。
これまでは気づかなかったけれど……、改めて見ると、気だるげな雰囲気を纏った美青年に成長しているではないか。
さすがは前作の攻略対象だ。
大人になって、輝きが増した気がする。
「だって……義姉さんが獣人の生徒を愛おしそうに見つめていたのを見て悲しかったんだよ。だから俺も、フェンリルになってまた撫でてもらいたいと思ったんだ」
「えっ?!」
予想外の答えに驚いて声を出してしまった。
獣人を見たということは、オルソンはもしかして――。
「以前、仕事が早く終わったから義姉さんを迎えに行ったんだよ。そうしたら、義姉さんが獣人の生徒を目で追っていたから、嫉妬したんだ」
「そ、そうだったのね。声を掛けてくれたらよかったのに……」
「だって、耐えきれなかったんだよ。俺は義姉さんと一緒に居られる時間が少ないのに、あの生徒は俺よりもずっと長く義姉さんと一緒に居られるんだから!」
オルソンがうるうるとした瞳で見つめてくるものだから、それ以上は言葉が続かなかった。
「義姉さんが大の動物好きであることは知っているよ。動物ならまだ我慢できるけれど、生徒相手だと見ていて耐えられなかった」
ノエルと結婚してからと言うもの、オルソンには姉として接してきた。
そのためか、生徒に姉を盗られたと思っているようだ。
やきもちをやいてくれるのは可愛いけれど、今回のように周りを巻き込んでしまってはいけない。
「オルソン、寂しい思いをさせてごめんなさい。これからはもっと一緒に話す時間を作りましょう」
「嬉しい……、義姉さん大好き!」
「なんだって? レティとの二人きりの時間が減ってしまうではないか」
ノエルが小さく呟いているが、何を言っているのかまでは聞き取れなかった。
「そういえば、あの生徒たちは留学生だよね? 獣人はルドライト王国にしかいないはずだもん」
「ええ、そうよ。二人とも、ノックスとの親交を深めるために来てくれているわ」
「ふーん、そーなんだー」
オルソンはすっと目を細めて、「ルドライト王国、ねぇ……」と、意味ありげに呟いた。
「今度、二人がクラスのみんなと馴染めるように、ラクリマの湖で親睦会を開くのよ」
「えー! いいな、俺も行きたい!」
「それなら、今度オルソンが非番の日にみんなでピクニックに行こうね」
「うん」
オルソンは上機嫌な笑みを浮かべて抱きつきにきたのだけれど――、横に座っていたノエルが片手であしらって追い返してしまった。
オルソンはレティのおさがりのリボンと、レティからプレゼントしてもらったリボンを大切に使っています。
※プレゼントの方は、オルソンのリクエストでレティの瞳と同じ色のリボンです




