閑話:全て欲しいのに(※ノエル視点)
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馬車に乗るとすぐに、レティの手が視界を覆った。
「いい? 絶対に目を開けないでね?」
「ん」
本音を言えばレティの顔を見ていたいのだが、言われた通り目を閉じる。
レティの手が下に下がり、頬を包んでくれる優しい感覚に胸が高鳴った。
ゆっくりと時間をかけてレティの香りが近づく。
早く触れてほしいもどかしさに苛まれてレティの名前を呼ぶと、応えるようにして唇が重ねられた。
柔らかな熱が何度も触れて、その度に胸の奥が温かさで溶けていくような心地がする。
それが言いようもなく幸せで愛おしい。
「レティ、」
「どうしたの?」
もう無茶はしないでくれと、そう伝えられたらどんなにいいだろうか。
あなたは安全な場所で、ただ穏やかな生活を送っていてほしい。
危険や不穏なものからは全て遠ざけて、変わらない日常の中で笑っていてくれたらいい。
――しかしそれは私の我儘で、彼女は望んでいない。
「どうして私には何も言わずに潜伏している魔術師たちを探し出そうとしたんだい?」
「うっ……」
たとえ目を閉じていてレティの表情が見えなくても、声だけでレティが気まずそうにしているのが伝わってくる。
頬に添えられている手の上から掌を重ねた。
「私からレティを奪うのはレティ自身であっても許さないよ」
「ノエル……でもね、私は自分だけが安全な場所にいるのは嫌なのよ」
レティは自分の身に危険が及ぼうと生徒や大切な人たちを守りたい。
私は何があってもレティを危険に晒したくない。
けれど――。
「わかっているよ。無茶をしないでくれとは言わないことにする」
「え?!」
お互いに譲れないものがあるのはわかっているし、私はレティの意思を踏みにじるようなことをしたくない。
簡単には望むようになってくれないと、つくづく思い知らされる。
しかしそのようなわずらわしささえも、レティに関わることであれば愛おしくも思う。
だから私は、レティと私の、お互いの望みが上手く交わる在り方を模索していきたい。
「一人で抱え込まないで、私に話してほしい。一緒に悩もう。だからもう、レティが一人で危険に立ち向かう事だけは止してくれ」
「……わかったわ」
レティはまるで叱られた子どものようにしおらしく返事をした。
「ノエルは私のことを心配してくれているのに……、ノエルには何も言わずに魔術師たちを探し出そうとしてごめんなさい」
「謝らないでくれ。レティには安全でいて欲しいと思うのは私の我儘でもあるのだから」
この世でたった一人の最愛の人を失いたくない。
欲を言えば、あなたとの時間を誰にも奪われたくないとさえ思っている。
(本当は、全て欲しいよ)
元気な笑顔も、明るい声も、優しい色の瞳で見つめてくれるあの眼差しも、全て独り占めしたい。
とめどなく溢れる想いを胸の中に閉じ込められず、「愛しているよ」とだけ伝えてレティに口付けた。
(……さて、マルロー公たちはどうしてくれようか)
運命がそう定めていたとはいえ、レティの気を煩わせるようなことを企ている奴らは二度と日の当たる場所には出て来られないように懲らしめてやりたい。
(しかし……、私が手を下さずとも奴らからは運命よりも早くに破滅の一途を辿りそうだ)
魔法薬学準備室の妖精たちからの報告によれば、今日の放課後に理事長とマルロー公が学園で会っていた。
彼らの会話を妖精たちから聞いたのだが――、その内容は耳を疑うようなものだったのだ。
◇
「全く、あの出来損ないどもがとんでもない失敗をしてくれた!」
「ええ、本当に、とんでもないことをしてくれましたね」
二人が話していたのは王宮に潜伏させていた魔術師らのこと。
マルロー公は顔を真っ赤にして憤っていたらしい。
「奴らには身をもって失敗の償いをしてもらおう」
「当然です。あなたの家臣も諸共に償ってもらいましょう」
「……は?」
泡を食ったような表情を浮かべるマルロー公に、理事長は静かに告げたそうだ。
「私の大切な息子を危険に晒した罪を償ってもらいますよ」
彼は王宮で騒動が起きた際にサミュエルさんがその場に居合わせたことに対して言及したらしい。
「ま、まて! あれは偶然、貴殿の息子が王宮に居る日に起こったんだ!わざとではない!」
そもそも、魔術師らが潜んでいる王宮に息子を寄越した理事長の思惑が気になる。
わざと息子を危険に晒して奴らを陥れたように思えるのだ。
まだ何一つとして目的を果たせていないだろうに、何故早くも奴らの首を絞め始めたのだろうか。
レティの話では、先代の国王と王族に恨みを抱いているらしいが――。
クレメント・ぺルグランの考えが読めない。
彼は一体――何を望んでいる?
妖精たちの報告を聞いてから、謎が深まるばかりだ。
◇
「ノエル、約束だから飲んでもらうわよ?」
レティの声で現実に引き戻される。
目の前には回復薬が入った瓶が近づけられており、躊躇すると恨めし気に睨まれた。
「まさか、約束を破るつもり? お母さんはノエルをそんな風に育てた覚えはないわよ?」
「……待ってくれ。今すぐ飲むから母親役を降りてくれ」
また彼女が母親になり切り始めては困る。
レティがこれ以上、母親役を続けないように、瓶を傾けて回復薬を飲んだ。
「これは……、今までに飲んだ回復薬とは違う……」
清涼感のある香りと味。
そう伝えるとレティは、これはベルクール領の薬師直伝の製法で作ったから一味ちがうのだ、と得意げになって教えてくれた。
「レティらしい味だな」
「え?! どういうこと?!」
爽やかで安らぎを感じるからだと言えば、レティは頬を赤くして照れてしまった。
(せめて今だけはひとり占めさせてくれ)
レティの腰に腕を回して抱き寄せる。
小さく呻く彼女の瞳を眺め、髪を指先に絡ませ、胸の中に居座り続ける独占欲を満たした。




