11.一進一退
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学園に戻る頃にはとっぷりと日が暮れて夜になっており、澄んだ色の満月が空に浮かんでいる。
満月の夜は大掛かりな魔術を発動させるのにちょうどよい。
いつもより魔力が増大してくれるおかげで成功確率が上がるのだ。
「場所は裏庭が良さそうね。移動しましょ」
裏庭は人気がないから、誰かがやって来て魔法が中断される心配はないだろう。
魔法薬学準備室から解呪に必要な材料を運び出し、夜の裏庭へと運ぶ。
恋煩いの花、新しいウンディーネが作ってくれた水の鏡に、新月の夜に宵闇の中で作られた銀の鋏。――そして、ノエルが魔術省の伝手を使って手に入れてくれたプーカの鎖。
プーカは妖精の一種で、化けるのが上手で気まぐれな性格で、どこにいるのかわからない。
おまけに機嫌を損ねると何を仕掛けてくるのかわからないのだ。
近づくのは危険だけど、それでもノエルはユーゴくんと一緒にプーカを探しに行ってくれた。
鎖は一見するとなんの変哲もないようにみえるが、プーカが牝馬に化ける時に使うもので、プーカの強い魔力が込められているらしい。
「さあ、ミュラーさん。解呪に挑みましょう」
「はい……!」
小さく拳を握り応えてくれるエリシャは、期待と不安が混ざったような複雑な表情をしている。
右手と右足が一緒に前に出ているような状態で、ノエルが地面に書いてくれた魔法印の上に歩み寄る。
すると何を思ったのか、バージルがエリシャの前に立ち通せんぼして、
「……お、おい、何かあったら俺が助けるから、し、心配するなよ」
噛まずに言えたらもっとカッコよかったであろう台詞を口にしてエリシャを励ました。
(あら、もしかすると、ゲームの中のバージルよりも早くに成長したのかもしれないわね)
ゲームでは、転校してきたエリシャに何かと厳しい言葉をぶつけていたせいで彼女に無視されるといった経緯を通して言葉を改めていたのだから、今の二人はシナリオとは違う展開を迎えているに違いない。
「それではエリシャさん、後ろを向いてメガネを外して」
ノエルの言葉に従い、エリシャは私たちに背を向けてからメガネを外す。
「解呪を始めるよ」
私とノエルとバージルは解呪を担う。
ジルとトレントとサミュエルさんには側に控え、不測の事態に備えて見守っていてもらっている。
ミカが調べてくれた呪文を唱えると、恋煩いの花が光を宿す。ふわん、ふわんと光る様は何かを誘っているようだ。
それにつられるようにして、エリシャの瞳から蝶のような光の幻影が現れて花にとまる。
(あれが魅了の呪い……)
呪いを可視化するのには高度な魔術の技量が必要で、私一人では絶対にできなかった。
今の解呪はノエルが先導してくれているから成立しているようなものだ。
ノエルが次の呪文を唱えると、プーカの鎖が蝶に巻きついて捕らえる。
そのまま鎖は蝶を道ずれにして水の鏡の中に入ってしまった。
鎖と魅了の呪いを取り込んだ水の鏡が眩く輝く。
ぱしゃんと水が跳ねる音がしたかと思うと、光を失った。
目の前にはエリシャと、地面に置かれて満月を映している水の鏡だけが残されている。
「エリシャさん、もう大丈夫だよ。振り返ってみて」
ノエルが声を掛けると、エリシャは逡巡した。
果たしてこのままメガネをかけずに振り返っていいものなのか、悩んでいるようだ。
そんなエリシャの元にバージルが歩み寄り、彼女の顔を覗き込む。どうやらしびれをきらしてしまったらしい。
「バ、バージル殿下! わ、わたくしの目を見てもなんともありませんか?」
「あ、ああ。なんとも……ねぇよ」
「ううっ……」
エリシャがぷるぷると小さく震える。
そんな彼女の姿を見て、バージルは慌てだした。
「ど、どうしたんだ?! どこか痛むのか?! 何か不安なことがあるのか?!」
「いいえ、違うんです。とても嬉しくて、嬉しくて……。こんなにも嬉しい時にも、涙って出るんですね」
呪いが解けた喜びの涙なのだと、何度も説明した。
これまでに悩んでいたことや、傷ついていたことを、ぽつりぽつりと零す。
幼い頃、とある令嬢の誕生日パーティーに招待された時、悪戯でメガネを取り上げられてしまったせいで、近くに居た異性たちに魅了の呪いが発動して大変な騒ぎになったらしい。
そのせいで両親がパーティーに参加していた家門の元に行って謝罪する姿を何度も目にして、エリシャは自分を責めてふさぎ込むようになっていた。
「バージル殿下、解呪に協力してくださってありがとうございました。それに森の中では妖精からわたくしを守ってくださってありがとうございます。今度お礼をさせてください」
そう言って泣き笑い、バージルを抱きしめる。
バージルは顔を真っ赤にして照れている。両の手が彷徨い、宙を掻いているのが可笑しい。
「あ、ああ。おう。これくらい……大したことねぇよ」
ぎこちないながらも片手はエリシャの背にまわし、もう片方の手でエリシャの頭をぽんぽんと撫でた。
(よしよし。上手くいっているようで安心したわ)
にんまりとして見ていると、こちらの視線に気付いたエリシャが飛びのくようにしてバージルから離れてしまった。
「あ、す、すみません! わたくしったら、呪いが解けて浮かれてしまいました!」
「……」
可哀想なことに、バージルの手はまだエリシャの頭を撫でているような体勢のまま固まっていた。
モブがメインキャラクターたちの邪魔をしてしまい、非常に申し訳ないと反省する。
なにはともあれ、エリシャの不安が一つ消えてくれてホッとした。
もしシナリオ通りにこの世界が動くのであれば、彼女にはまだまだ多くの困難が待ち受けているのだ。
そんな忙しいヒロインが抱える不安を、少しでも多く取り除いてあげたい。
そう安堵している時に事件は起こった。
「本当に本当に、ありがとうございます! ……あの、今度ミカ様にもお礼をしたいのですがお会いできますでしょうか?」
「ミカに?」
ミカは今、エリシャに魅了の呪いをかけた歌の妖精にお説教しているところで、今日は妖精の世界にいる。
……おそらく、犬の姿で。
しかしエリシャはきっとミカの本当の姿が犬であるなんて知らないし、彼が妖精であるのも知らないのだろう。
「ええ、魅了の呪いが解けたら……、ミ、ミカ様にこの気持ちを伝えようと思っていたんです。わたくし、ミカ様に恋をしています……!」
「えっ?!」
人を惑わす魅了の呪いを持っている時は、呪いのせいで恋愛に臆病になっていたのだという。
(恋は自由よ。自由だからいいのだけど……)
ぐぎぎ、と錆びた機械のごとく首を動かすと、バージルはどこともない一点を見つめている。
「バ、バージル殿下……その、大丈夫?」
「……べ、別に」
「別に?」
「……」
沈黙が彼の絶望した気持ちを物語っている。
決して大丈夫ではなさそうだが、バージルはエリシャをエスコートして寮まで送った。
心配していたが、バージルは翌日には魔法薬学準備室に来て、ノエルにアドバイスを求めていた。
失恋しても諦めずエリシャに想いを寄せるバージルの健気さは、ゲームと変わらないようだ。
バージルの片想いはまだまだ続くようです……。




