10.ファビウス侯爵(※バージル視点)
「君の協力者になろう。エリシャ・ミュラーの呪いを解くのはもちろん、彼女に想いを伝える手伝いをするよ」
人好きのする笑みを浮かべたファビウス侯爵がそう提案してきたのは、数日前のことだった。
図書館でファビウス先生と出くわした翌日に現れ、そう告げてきた。
――ノエル・ファビウス。
ファビウス侯爵家の当主で、腹違いの兄。
父上の悪行が暴かれて以来、一部の大人たちから《隠された王子》と呼ばれる存在。
本人の口から直接語られたことは無いが、父上の悪行で一番被害を受けてきたのだから、王族には相当な恨みを募らせているだろう。
「……俺の手伝いをして、あんたに何の利益がある?」
「おや、利益のために動いていると思われるなんて心外だね。私はただ、妻の教え子を助けたいだけだ」
「……」
恐ろしいほど穏やかで、裏が無いように感じさせる振舞いだ。
まるで心からそう思っているように錯覚させられる。
俺が恨むべき王族であるのを知っているはずなのに。
「本当の目的があるはずだろ? でなきゃ、あんたが俺を助ける義理なんてこれっぽっちも無いはずだ」
「やれやれ、疑り深いね。敢えて言うなら、妻の憂いを取り払いたいのさ。いかなることであろうと、レティの不安の種になるのなら取り除くつもりだ。――もしもレティが運命に翻弄されるのであれば、どんな手を使ってでも運命を曲げるつもりだよ」
凪いだ湖面のように落ち着いた声。
それなのに、聞いていると心の奥底で胸騒ぎがした。
紫色の珍しい色の瞳が、ゆっくりと細められる。
「さて、まずは接し方について説こう。エリシャさんには紳士的にエスコートすること。今の君は粗野な態度だから彼女を怯えさせている。――そして、彼女が不安そうな表情を見せたら心に寄り添ってあげることも覚えておいてくれ」
「教えてくれと頼んでいないが?」
「断っていいのかい? 彼女に逃げられてばかりで、接し方に悩んでいるのだろう?」
「~~~~っ」
先ほどまでの不穏な気配は霧散し、ファビウス侯爵は愉しそうにエスコートの講釈を始めた。
厄介で油断ならない人物だが、そんな様子が、クロヴィス兄様よりもアロイス兄様よりもずっと身近に感じられた。
本当の目的は何なのか、考えてみたところで何もわからない。
結局、真意を掴めないまま、エリシャの解呪に必要な材料を探しに行く日を迎えた。
材料集めは順調に進まなかった。
「……っ、レティ!」
先生たちが目の前から消え、ファビウス侯爵はひどく動揺していた。
しかし、先生と一緒に消えた使い魔から連絡があり、落ち着きを取り戻す。
どうやら先生たちは妖精の仕業で、別の空間に移動させられたらしい。
使い魔の話によると、先生たちがいるのはこことは別の空間。
幸いなことに全員無事で、この場所と繋がっている通路を見つければ戻って来られるそうだ。
「犯人にはお仕置きが必要だね」
ファビウス侯爵は笑顔を浮かべているのにも拘わらず、強烈な殺気を放っている。
何故かその言葉が聞こえてきたのと同時に空が真っ暗になり、雷鳴が轟いた。
「どうしてこんな天気に……?」
先ほどまでは雲一つない晴空だったのに、まるで魔法のように一瞬で天気が変わってしまった。
隣にいるエリシャが不安そうに空を見上げている。
エリシャは雷が苦手だ。
ただうるさいだけの天候に怯える理由がわからないが、幼い頃からずっと雷を怖がっている。
ふと、ファビウス侯爵に言われた言葉を思い出した。
――『彼女が不安そうな表情を見せたら心に寄り添ってあげることも覚えておいてくれ』
(声を掛けたらいいのか? ……いや、そうするとエリシャはいつも逃げてしまう)
どうするべきかわからず、舌打ちすればエリシャが飛び上がってしまった。
(くそっ。どうしたらいいんだよ?!)
やっと再会できたのに、こんなにも近くにいるのに、見えない壁があるような隔たりを感じる。
こっちを見てくれたら
声を掛けられたら
触れられたら
きっかけが生まれるのを待とうとしている自分に気が付き、嫌気がさした。
「エリシャ、――」
決意してエリシャと向き合ったその時、視界の隅に不可解な光が見える。
「くそっ、妖精の魔法か!」
エリシャの腕を掴んで引き寄せる。
あっという間に光が近づき、エリシャが居た場所にいくつもの蔦が伸びてきた。
「バ、バージル殿下! あ、あの、あの……!」
「いいからじっとしていろ。俺が守るから心配するな」
「……!」
蔦には黄色の花が咲いている。恐らくは、花の妖精の仕業だ。
図書館で読んだ本によれば、嫉妬深い性格の花の妖精は、魅了の呪いを感じ取ると攻撃してくることがあるらしい。
(花の妖精なら苦手なものは……火!)
「ファビウス侯爵! 今から火炎魔法を使うから手伝え!」
「わかったよ。応援するからカッコいいところを見せるんだぞ」
「~~~~っ」
ファビウス侯爵は防御魔法を発動させている。俺やエリシャに当たらないように何度も小さな盾を出現させて蔦の攻撃を防いでいるのだ。
はっきり言って効率が悪い方法だ。俺たちを覆う結界を作る防御魔法を使えば消費魔力も少ないだろうに。
(まさか、俺のためにわざと……?)
そんなありがた迷惑な予感がしたが、癪だから気づかないふりをした。
火炎魔法の呪文を唱えて蔦を燃やせば、ファビウス侯爵が森の木々に防御魔法をかけて火から守る。
炎は蔦を辿り、攻撃してきた妖精にまで達した。
森中に妖精の悲鳴が響く。
満身創痍の妖精が逃げようとすると、ファビウス侯爵が銀色の手袋をつけた手で捕まえた。
腕の中でエリシャが微かに動いた。視線を下げると目が合い、心臓が大きく軋んだ。
「バ、バージル殿下、助けてくださってありがとうございます」
「べ、別に、感謝されるようなことはしてねぇよ」
「ひいっ。ごごご、ごめんなさい!」
「なんで謝るんだよ?」
「ひぇっ! ごめんなさ――あ、あの。そのっ……!」
必死で言葉を続けようとするエリシャを見ていると、少しは以前の距離に戻れたのかもしれないと安堵した。
ただ、ファビウス侯爵が妖精を尋問し始めたせいで不穏な空気がまたやってくる。
この時の尋問の所為で、俺もエリシャもしばらくは悪夢を見ることになる。
◇
それから程なくして、先生と合流した。
「二人とも、無事でよかったわ」
「ああ、俺たちは無事だったよ。俺たちは」
「ええ? 何かあったの?」
「……」
口止めをされているわけではないが、ファビウス侯爵の尋問を言うのは憚られた。
その尋問でわかったのは、花の妖精はエリシャを攻撃しただけではなく、先生たちを別の空間に移動させた犯人でもあったらしい。
ファビウス侯爵は、大切な妻に危害を加えた妖精を断じて許さなかった。
懲らしめられた妖精が生きて帰れたのかはわからない。
あの時に見たファビウス侯爵の顔を、一生忘れないだろう。
久しぶりに黒幕なノエルを書きました。
レティ以外には相変わらず隙がないようです。




