閑話:ある男の記憶【三】
更新お待たせしました!
新章もよろしくお願いいたします。
卒業式が一週間後に差し迫った、昼下がり。
庭園で、エリシャ・ミュラー――いや、両親ともに侯爵家に戻ったエリシャ・ブロンデルの姿を見つけた。
彼女はどこか、気落ちしているように見える。
「――くっ」
彼女の姿を見た途端、体の中であの化け物が暴れ始めたのだ。
殺せ、と私に呼びかけてくる。
そんなこと、するものか。
だが、必死に抑え込まないと、化け物に意識を奪われそうだ。
もしかすると、今がエリシャ・ブロンデルと話せる、最後の時間なのかもしれないと悟った。
化け物は、私の魔力を糧にして、随分と育ってしまったのだ。
「ブロンデルさん、ここでなにをしている?」
声をかけると、エリシャ・ブロンデルは飛び上がった。
「り、理事長! 足音が聞こえませんでしたので、気づけず申し訳ございません」
「ああ、私は足音を消すことが得意だから、気にしないでくれ」
「そのような特技があるのですね」
「ああ、子どもの頃――貧民街で生きていくには、そうするしかなかった」
「え、貧民街……?」
エリシャ・ブロンデルは目を見開いた。
私はこれから、彼女に本当の私のことを話す。
彼女はきっと、混乱するだろう。
冗談を言っていると思っているかもしれない。
それでも、私は彼女に伝えたい。
私が生きた証を、誰かに覚えていてもらいたいから――。
「私は……実は、前ペルグラン公爵夫妻の亡くなった子どもの身代わりだ」
エリシャ・ブロンデルが、息を呑む気配がした。
「本当は、平民の中でも貧しい夫婦の元に生まれた。父親は体が弱く、私の目が開いていない頃に亡くなった。だから母親が働きながら育ててくれたが、母親は仕事帰りに貴族が乗った馬車に轢かれて、亡くなった。何もかも失った私は、貧民街で生きる術を学ぶしかなかった」
「そう……だったのですね。……ですが、どうして足音を消さなければならなかったのでしょうか?」
小さな声で零して、エリシャ・ブロンデルは唇を震わせた。
私を心から労わる眼差しを向けてくれている。
純粋な彼女は、私の言葉を信じてくれているようだ。
「君は知らないだろう? 子どもの命を道端の小石くらいにしか思っていない連中が、この世にはたくさん居るんだ。私はかつて、そのような場所で生活をしていた」
今からずっと昔のことなのに、思い出そうとすると、鮮明に思い出せる。
「息を潜め、他者の悪意を敏感に感じ取り、いつ死ぬかもわからない日々を過ごしてきた。そんなある日、王都の街中で、私の運命を変える人と出会った」
私の恩人で、大切なあの人の姿を思い浮かべる。
美しい金灰色の髪に、紫色の瞳。
その瞳には、凛とした意志の強さが宿っていて、私はその瞳が好きだった。
「その人は、私がとある貴族の財布を盗もうとして失敗したところを、助けてくれた。その人は踊り子をしていてね、貴族の相手を心得ていたから、言葉巧みに貴族を説得してくれた。おかげで、私は命拾いしたよ」
エリシャ・ブロンデルは、息をしているかも怪しいほど静かに、私の話に耳を傾けている。
だから私は、話を続けた。
私は幾度となく彼女に助けられたことを。
そして、彼女と出会って初めて、女神の存在を信じたということも。
「私との出会いがきっかけで、彼女は貧民街の子どもたちの実情を知ったそうだ。そして、貴族たちから得た報酬で食べ物を買っては、私たち子どもたちに与えてくれた。幼い頃の私は彼女に懐いて、彼女を実の姉のように慕っていたよ。彼女が聞かせてくれた子守唄が好きで、何度も強請って聞いていた……」
柄にもなく、目の奥が熱くなる。
ずっと忘れていた、悲しみと言う感情が、彼女のことを口にすると、蘇ってきたようだ。
「だが、ある日、彼女は会いに来なくなってしまった。どれだけ待ち続けても、現れなかった。そんな中、私はぺルグラン公爵夫妻に拾われた。貴族になればまた、彼女と再会できるかもしれないと考えた私は、一縷の望みにかけてぺルグラン夫妻の提案を受け入れ、彼らの子どもの身代わりになったんだ」
「……会えたの、でしょうか?」
「いいや、会えなかった」
声が、震えそうになる。
「……今から二年ほど前に、彼女によく似た人物と出会ったんだ。もしかすると、彼女の子どもなのかもしれないと希望を持ったが、その人物は本当の母親を知らないのだと言っていた。だから、私はその人物の周辺を探った。情報屋を使い、裏の世界まで手を伸ばして調べたよ」
絶望がのしかかってくると同時に、化け物が囁いてくる。
早くその体を寄越せ、と。
「そうしたら、彼女はもうこの世に居ないということがわかった。先代の国王に手籠めにされて、奴の子を――男の子を産んだから、殺されたんだ」
「――っ」
エリシャ・ブロンデルが両手で口元を覆った。
その目には、うっすらと涙の膜ができている。私のために、泣いてくれているようだ。
「やっとの思いで再会できると楽しみにしていたのに……一瞬にして絶望へと落とされたよ」
もっと早くに探し出していれば、未来が変わっていたのだろうか。
子どもの頃に、養父母に訴えかけていれば、彼女を助けられていただろうか。
オリヘンにある彼女の墓の前で、私は、ただひたすら後悔していた。
「だから私は復讐を決意し――先代の国王に手をかけた。先代の国王を野放しにしていた王族や貴族を許さない」
私はエリシャ・ブロンデルの姿を見つめた。
「光の力を持っている、あの人間を殺してや……る……」
自分の意思とは反して、口走る。
手も足も、私の言うことを聞かない。
もうじき、意識を完全に奪われるだろう。
意識を奪われた時、〝私〟は完全に消滅してしまうのだろうか。
自分が自分でなくなることや、消えてしまうことに、恐れはない。
ただ、エリシャ・ブロンデルの成長を見届けられないことだけが心残りだ。
あの子はきっと、あの人と同じくらい、心優しい大人になるだろう。
口惜しいが、自分が蒔いた種なのだから、しかたがない。
オリヘンに封印されていた邪神を解き放ち、それが変化した黒い影を自分の体に宿したときに、いつかこの化け物に体を奪われるとわかっていたのだから。
死は怖くない。
あの人がいない、そしてあの人のことを忘れてしまった世界で生きることに、辟易していたのだから。
できることなら、もう一度あの人会いたい。
(とはいえ、死んでもあの人のいる場所には行けないだろうな。私はもう、あの人に会えない)
私とは違い、あの人は善良で、真っ直ぐで、眩しかった。
きっと、今頃は天国にいるだろう。
罪を犯し続けた私は、そこに行けない。
そうわかっていても、私は仇討ちをした。
私の大切な人とその子どもを苦しめ、殺した奴らや許せなかった。
もう復讐を終えて、エリシャ・ブロンデルが光の力を使いこなせるようになったから、あとは化け物に身を委ねるだけ。
(エリシャ・ブロンデル。どうか、私を殺して世界を平和にしてくれ)
言葉を話すことすらできなくなってしまった私は、化け物に抗いながら、彼女に祈る。
久しぶりに、祈ったものだ。
祈りなんて何の力にもならないと思って止めたというのに、今更になってまた祈りの力を頼るとは。
思わず、自嘲気味に笑った。
私は目を閉じた。
(もう、好きにしていいぞ)
私は体の中にいる化け物に話しかけた。
暗く冷たいなにかが、体の中を染め上げていく。
(ああ、そういえば……卒業証書を渡してあげることが、できなくなってしまったな)
そう思ったことを最後に、私の意識が途切れた。
私の好きな心に傷を負ったイケオジを描く回でしたので、時間がかかってしまい申し訳ありませんでした…。
また、小説家になろうラジオ大賞に向けて新作短編を投稿しましたのでお知らせです!
1000字以内のとても短いお話ですが、よろしければお楽しみくださいませ。
前から書いてみたかった、魔女が少年を育てるお話です。
『忌み嫌われた魔女は、押し付けられて育てた王子によって、舞踏会に呼び出される』
▼URLはこちら
https://ncode.syosetu.com/n9618ln/




