09.月の御方(3)
私とノエルは、国王陛下と王妃殿下の案内で王宮の奥へと進む。
中庭のような空間が現れると、その中央に東屋が四つ程繋げられたくらいの小さな神殿を見つけた。
「あそこは月の槍を保管していることから、『月の神殿』と呼ばれています」
月の神殿は歴代の国王が持つ指輪がないと入れないよう魔術が施されているらしい。
神殿の入り口で国王陛下が扉に手を翳すと、国王陛下が右手の人差し指につけている緑色の宝石に光が宿る。
その光が扉にまで伸びて当たると、扉がひとりでに開いた。
「どうぞ、お入りください」
国王陛下はそう言うと、神殿の中に足を踏み入れる。
私とノエルと王妃殿下もその後に続いた。
神殿の奥には大きな窓があるためそこから光が差し込んでいて明るい。
その大きな窓の下に石造りの台座があり、台座の上には長い槍が置かれている。
「あの台座の上に置かれているのが月の槍です」
私とノエルは月の槍に歩み寄る。
月の槍は、意外と何の変哲もない普通の槍だった。
刃も柄の部分も銀色で、装飾はなくシンプルなデザイン。ファンタジーゲームの初期装備にありそうだ。
女神から祝福を授かった特別な槍だから、神聖さを感じさせるような装飾が施されていると思っていただけに拍子抜けしてしまう。
「とても綺麗な状態ですね。ノックス王国の建国前から保管されているとは思えないほどです。……なるほど、保存に適した魔術を使っているのですね」
ノエルはそう言うと、台座に刻印された魔術印に顔を近づけて観察する。
どのような魔術が組み込まれているのか気になるようで、真剣な眼差しで印を見つめている。
「月の槍は特別な魔術をかけて保管されています。だから錆びついておらず、埃ひとつないのです」
国王陛下が呪文を唱えると、月の槍の周りで淡い光が現れては消えてしまった。
「盗難防止の魔法を解いたので、手に取ってみてください」
「ありがとうございます。それでは、早速試させていただきます」
ノエルは微笑むと、月の槍に手を触れる。途端に月の槍が光を帯びた。
ノエルと国王陛下の予想通り、月の槍はノエルの持つ月の力に反応しているようだ。
「えっ……形が変わった……?」
私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
槍の刃の部分が長くなり、柄との接続部分には月を模した装飾が現れた。おまけに柄の後部にも装飾が付き、そこには紫色の宝石のようなものが嵌めこまれている。
変化した姿に茫然と立ち尽くしている私とノエルとは違い、国王陛下と王妃殿下は歓声を上げており嬉しそうだ。
「月の槍が言い伝え通りの形に変わったわ!」
「先人と同じものを見ることができるとは感無量だ……」
やや興奮気味の二人から聞いた話だと、月の槍はグウェナエルが持っている間は今のような姿になっていたらしい。
魔物との戦闘後、知り合いの獣人に渡した途端に元のシンプルな形に戻ったようだ。
「ノエル、体はなんともない? 大丈夫?」
もしかして月の槍がノエルの魔力を消費しているのではないだろうかと心配になり、私はノエルに声をかける。
「魔力が満ちるような感覚がするが、問題ない。心配してくれてありがとう」
ノエルに悪い影響ないようで安心した。
その後、ノエルは月の槍に魔力を込めてみたが、これといって変化はなかった。
「伝承によれば、この月の槍を使って魔物を屠るグウェナエルの動きは美しく、神々しささえ感じられたそうです」
国王は感激に目を輝かせながら伝承を教えてくれる。
戦うグウェナエルの姿を見た国王は、彼が獣人たちを助けに来た武神なのかもしれないと思ったらしい。
しかしグウェナエルと女神が旅立つ前に謁見した時、セラが自分の正体を女神だと明かす一方で、グウェナエルは自らを『神から月の力を授けられた、ただの人間だ』と答えた。
「しかしルドライト王国の王族にとって月の力を持つ者――月の御方は救世主のような存在となりました。この度も息子の呪いを解いてくださりありがとうございます」
「いえ、あれはミュラーさんが解いたのであって、私は――」
「何を仰いますか! こうしてルドライト王国に来るために奔走いただいたと聞いております!」
ノエルが否定したが、国王陛下は否定をさらに否定した。そして輝きを上乗せした目でノエルを見つめる。
溢れんばかりの尊敬に満ちた眼差しに、ノエルがじりりと後退った。
ノエルは幼少期に当時のノックス国王を始めとする大人たちに虐げられてきたせいか、他人から純粋に称賛されると戸惑いがちだ。
「実は、当代の国王は月の御方の持ち物である月の槍を我が国で保管するのは気が引けたのです。ですので、グウェナエルがノックス王国が建国されて彼が国王になったと聞き、当代の王は使者を送って祝いの言葉を贈る際に月の槍を持たせて返そうとしたのですが、グウェナエルに断られました。月の槍はいつか、自分と同じように月の力を持つがルドライト王国に立ち寄った時に渡してほしいと言われたのです」
「そんな経緯があったとは……グウェナエルはなぜ自分の末裔に渡そうとしたのでしょう?」
ノエルは小さく呟くと、顎に手を添えて思案する。グウェナエルの考えを推測しているのだろう。
(たしかに不思議よね。敢えて他国に保管してもらう理由があったのかしら?)
考えてみるけれど、それらしい理由が思い浮かばない。
「こうしてお返しすることができて嬉しいです。ファビウス侯爵、ぜひ月の槍を受け取ってください」
国王陛下が嬉しそうに勧めると、ノエルは月の槍と国王陛下の顔を交互に見る。
「……いいのですか?」
「ええ、この時のために我々ルドライト王国の王族は月の槍を保管してきましたから」
「……」
ノエルは月の槍に視線を移してじっと見つめる。
ややあって魔法の呪文を唱えて槍を小さくすると、上着のポケットに入れた。
「ありがとうございます。ちょうど、今のノックス王国には月の槍が必要なのかもしれないと考えていたところでした」
ノエルはそう言うと私に歩み寄り、腰に手を回して抱き寄せてくる。
「――愛する妻を守るためにも、ね」
そして蕩けるような笑みを浮かべ、私に囁いてきたのだった。