10.おぞましい場所
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マルロー公の後を追った私たちは運よく扉が閉まる前に滑り込めた。
中に入れてひと安心したのも束の間で、目の前に広がるおぞましい光景に言葉を失う。
広いが窓のない室内は魔法灯の灯りが頼りで薄暗くて気味が悪く、おまけに空気が澱んでいる。
(この臭いは何なの……?)
鼻をつく異臭があまりにも酷く、息をするのさえ苦しい。
目を凝らすと、室内の至る場所に魔術の触媒らしき材料が無造作に置かれている。それに床には赤黒い染みが広がっており――ここで何が行われていたのか想像できてしまった。
(ここで……魔術の実験をしていたのね)
ノエルから月の力を奪うために水面下で行われていた禁忌の魔術。
ジュリアンもその実験の被害者で、長らく苦しめられていた。
(いったい、どれだけの人がここで実験台にされたのかしら……?)
昨年の学園祭でノエルが苦しんでいた姿を思い出してしまい、足が震える。
そんな私を、ミラが抱き寄せてくれた。
背中を撫でてくれる手に安堵して息を吐く。
「ヤニーナもエルヴェシウス伯爵も、こんなゴミを残して捕まりやがって……!」
マルロー公は不満をぶつけるように机の上の書類を床に投げ捨てると、棚にある本や触媒も手あたりしだい放り投げた。
バサバサと紙が落ちる音やガラスが割れる音が反響する。
「面倒なものは全部片づけておいてくれたらよかったものを。どうして私がわざわざ始末しなければならない?!」
押しつけられたと言わんばかりの怒りようで物に八つ当たりをしている。
気が済むまで床の上に物を落とすと、肩で息をしながらそれらを睨みつけた。
「まあいい、ここにある物を全部燃やそう。そうすれば持ち出さずに証拠を消せるし、この忌々しい部屋ともおさらばできる」
まさかの発言に正気を疑う。
王城で火事を起こすなんて放火罪だけでは済まないというのに。
衝撃を受ける私の隣で、ミラがげんなりした声で「バカなの?」と小さく呟いた。
隣にいるダルシアクさんにいたっては呆れてものも言えないといった表情で黙っている。
(まずいわ。止めないと王宮で火事が起これば王城内にいるアロイスが危ない……!)
この部屋にはたくさんの触媒や魔法印があるから、それらが炎に反応したら何が起こるかわからない。
手についた埃を払うように打ち鳴らすマルロー公を見て、私とミラとダルシアクさんは顔を見合わせた。
もう隠れてはいられない。
今すぐにでもマルロー公を取り押さえないと、本当にこの部屋を燃やしてしまいそうだ。
「私が取り押さえますから、二人はこの部屋から出て近衛騎士を呼んできてください」
ダルシアクさんの指示に頷いて踵を返したその時、暗闇がぶわりと膨れ上がった。
「なっ、何が起きたの?!」
部屋の空気が揺れ、魔法灯の灯りを点減させる。
「くっ……!」
マルロー公の呻き声が聞こえて振り返ると、黒い影がマルロー公に襲い掛かかり、口元と首元を覆っていた。
首を絞められているようで、マルロー公は苦しそうに藻掻いている。
(このままでは死んでしまうわ……!)
マルロー公がしてきた事や、彼の考えはそう簡単に許せるものではないけれど、ここで見捨てるわけにはいかない。
駆けだす私を、ミラが慌てて呼び止める。
それでも足を止められなかった。
「は、放しなさい!」
黒い影に向かって叫んだその時、影がびくりと揺れた。
(動揺している……?)
するすると黒い影が動き、マルロー公から離れて暗闇の中に入ってしまった。
解放されたマルロー公は首元をさすりながら――私を見た。
「ゴホッ、なんだ! どうしてここにお前たちがいる!」
しっかりと私を指差して大声を上げる。
どうやら姿が見えているらしい。
(ええっ?! どうして?!)
もしかしてと思って外套のフードを探ってみると、いつの間にか脱げてしまっていた。
「いっ……いつの間に……」
「さっき走った時よ。もう、こんな奴なんて放っておけばいいのに」
そう言いながら、ミラが私の前に立ってマルロー公から庇うように背に隠した。
ミラの足元ではジルが毛を逆立ててマルロー公を威嚇している。
そしてダルシアクさんはというと、立ち上がろうとしているマルロー公に駆け寄って取り押さえた。
「くそっ、鼠のように入り込みやがって! ここを出たらお前たちを騎士団に突き出してやる!」
「はぁ、呆れたものです。今のあなたの姿を見て、誰が信じるものですか」
ダルシアクさんは藻掻くマルロー公を拘束しながら大きく溜息をついた。
「フン、私にはぺルグラン公の庇護があるから問題ない。私がお前たちに脅されてここに連れて来られたということにしてお前たちを監獄送りにしてやる!」
「おめでたい人ですね。あれだけの罪を犯した人間を庇ってくれるもの好きなんていませんよ。ましてやあなたのように、他者を顧みない人間なんかを守る者なんて」
そう言い、ダルシアクさんはマルロー公の腕を掴む力を強めた。
ミシミシと音がしそうなほど力を入れており、マルロー公が痛みに呻いている。
「私にこんな扱いをしたら後で後悔するぞ! お前たちはまとめて死刑にしてやる!」
一際大きな声でマルロー公が叫び、辺り一帯にこだました。
鼓膜を突き破りそうなほどの大声に耳を塞いだ瞬間、部屋の扉がバタンと音を立てて開いた。
(あれ……なんだか、部屋の中の気温が急に下がったような?)
扉が開いた途端に、ひやりとした冷気が扉の外から流れ込んできているような気がする。
(この冷気……以前に感じたことのある……)
ノエルの機嫌が急降下した時に起こるあの現象と全く同じだ。
(も、もしかして……)
ゆっくりと顔を扉の方に向けると、そこには何故かメルヴェイユにいるはずのノエルと、ルスと、そしてアロイスがいるではないか。
おまけにその後ろには、宮廷騎士団の騎士たちとドーファン先生もいる。
(ど、どうなっているの?!)
混乱する私の前でノエルはマルロー公を見下ろし、美しく微笑む。
ぞくっとするほどの冷気を漂わせて――。
「私の妻をどうするおつもりなのか、聞かせてもらいましょうか?」
地を這うような低い声で、マルロー公に問いかけたのだった。
ようやくノエルの帰還です!お帰りノエル!
そして、他作なのですがお知らせをさせてください(><)
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