15.音楽祭(三)
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バージルに支えられて立ち上がったエリシャは、オドオドと視線を彷徨わせる。
「ええと、どの歌がいいでしょうか?」
と、私とバージルにリクエストを聞いてきた。
急に歌えと言われたものだから、何を歌えばいいのかわからず戸惑っているようだ。
(ゲームの中のエリシャは、音楽祭の課題曲を歌っている最中に覚醒したわね。ならば課題曲を歌ってもらおうかしら?)
せっかくなのだから、彼女の光の力を引き出すきっかけになりそうな選曲がいいだろう。
「では、課題曲を――」
「じゃあ、昔聞かせてくれたあの歌にしてくれ」
提案すると、私とバージルの声が重なった。
驚いて目を瞬かせている間に、バージルはもう一度「昔聞かせてくれた、あの歌だ」とエリシャにごり押しする。
先ほどまで反対していたくせに、よほど歌ってほしい曲があるようだ。
「あの歌って、どの歌? 二人にとって思い出の歌があるの?」
「――っ、う、うるさいな!」
バージルは目尻を釣り上げて睨みつけてくる。
耳まで真っ赤になっている顔で睨まれても怖くない。むしろ可愛く思えてしまう。
好きな子との思い出の曲をずっと覚えているなんて、やはり健気で一途なキャラクターだ。
「バージル殿下にとって思い入れのある歌のようね。それならその歌にしましょう。なんて名前の歌なの?」
「え、ええと、もしかして『真昼のお月様』でしょうか?」
「……ああ、そうだよ。昔よく歌っていただろ」
それはノックス王国に古くから伝わる子供向けの歌で、平民も貴族もみんな知っている歌だ。
バージルはエリシャが歌の事を覚えてくれていたのが嬉しかったようで、照れているような、拗ねているような、調子で投げやりに返事をした。
「あの歌ですね。そ、それでは、歌います……!」
緊張した面持ちのエリシャの背に、手を当てる。
大丈夫だよ、と気持ちを込めて。
「気負わずいつも通りに歌えばいいわ。魔法薬学準備室で歌ってくれたようにね」
「は、はい!」
「あなたの歌声には癒しの力があるから、魔物と戦う私たちを応援する気持ちで歌ってくれると嬉しいわ」
「先生……わたくし、先生とバージル殿下の為に歌います!」
エリシャは小さく拳を握り、決意を固めたような顔つきになる。
そして彼女が歌い始めると、ディディエとフォートレル先生のもとに避難している生徒たちが彼女を見つめた。
初めは「こんな時に歌うなんて」と眉を顰める生徒もいたが、いつの間にか静かになり、みんな耳を澄ませるようになった。
――やがて、楽器を持っている生徒が伴奏し始めた。
(エリシャの声が変わったわ)
他の生徒たちの伴奏で緊張が解れたのか、エリシャの歌声がどんどん伸びやかになる。
「――あら? 魔物たちの動きが鈍くなったような気がするわ」
次から次へと襲い掛かって来た魔物たちを倒す為に絶えず火炎魔法を連射していたが、今では魔法印の様子を見られるほど余裕が出てきた。
すると、淡く輝く光の粒子が風に乗って流れているのに気付いた。
「この光はどこから――?」
見渡してみると、その光はエリシャの周囲から現れている。
そしてその光が地面に触れると、焼け焦げていた地面に草花が芽吹き、育ってゆく。
(植物が再生している――光の力が覚醒したんだわ!)
彼女の歌声に込められている力が、傷ついた大地を癒したのだろう。
「くそっ! エリシャに近づくな!」
バージルの声がして振り返ると、
魔物たちがエリシャを取り囲んでいる。
恐らく魔物たちも、この光の力の出所がエリシャだと気づいたのだろう。
「エリシャ!」
「ミュラーさん!」
私とバージルが魔法で魔物たちを撃退しようとしたその時、地面を突き破るようにして植物が生え、魔物に絡みつく。
次いで、木々に絡まっていた蔦が四方八方から伸びて魔物たちを捕らえて身動きを封じた。
「一体、何が起こっているの?」
茫然と見守っていると、目の前に妖精たちが姿を現わした。
いつもは魔法薬学準備室に居る妖精たちだ。
『エリシャをいじめる奴らは許さないの~!』
『えいっ! えいっ!』
『エリシャを傷つけたらメッなの~!』
妖精たちが頬を膨らませて魔物たちを睨みつけている。
滅多に人前に現れない妖精たちなのに、エリシャの危機を察知して駆けつけてくれたようだ。
「見て! 魔法印が消えていくわ!」
生徒の声がして魔法印を見てみると、煙を立てながら消えていっているではないか。
(エリシャが覚醒したから、光の力が魔法印に掛けられている闇の魔力より強くなったんだわ)
魔法印が消えるまで、エリシャは様々な歌を歌い続けた。
ブロンデル侯爵領の民謡や、ノックス王国の国民なら誰でも知っている昔ながらの歌や、流行りの曲まで。
思いつく限り歌を紡ぎ続けた。
「ミュラーさん、ありがとう。もう大丈夫よ」
魔法印が完全に消えるのを確認して、私はエリシャに声を掛けた。
すると、妖精たちがあっという間にエリシャを取り囲む。
『エリシャ、足の怪我大丈夫~?』
『痛いの痛いの飛んでいけ~!』
「ありがとうございます。そんなに痛くないので大丈夫ですよ」
エリシャは柔らかに微笑んで妖精たちを安心させようとしている。
けれど、バージルに支えてもらって立っているくらいなのだから、本当はとても痛いに違いない。
「助けてくださったみなさんに、なんとお礼をすればいいか……」
『じゃあ、なでなでして~!』
「……え?」
きょとんとするエリシャに、妖精たちはずいずいと詰め寄る。
「あなたたちがお菓子を要求しないなんて珍しいわね。どういう風の吹き回しなの?」
『僕たちそんな食いしん坊じゃないの~! たまには他の対価がほしいの~!』
撫でるだけなんて、妖精が求める対価にしてはあまりにも安い。
あれだけの魔法を行使して身を守ってくれたのには破格の対価だ。
「だ、だけど、わたくし……」
『えいっやあっ! って手を伸ばしたら大丈夫なの~』
一体の妖精がエリシャの前に現れて、目を閉じて撫でられ待つ。
「え、ええと……」
エリシャは妖精を見て、それから自分の掌を見た。
「ミュラーさん、無理しなくていいのよ。妖精たちだって撫でてくれたら嬉しいけれど、無理強いするつもりは無いと思うから」
「だ、だけど……わたくしは……」
微かに震えるエリシャの手を、バージルが両手でそっと包んだ。
「妖精たちに感謝したいし、変わりたい――だろ?」
「――っ、はい!」
「大丈夫だ。エリシャは魅了の呪いが解けて変われた。だから妖精への恐怖心も乗り越えられるはずだ。エリシャの変化を隣で見てきた俺が言うんだから間違いない」
そう言い、バージルはエリシャの手をゆっくりと離した。
みんなが見守る中、エリシャは胸の前でぎゅっと手を握りしめ、妖精を見つめる。
「え、えいっ……やあっ!」
伸ばした片手は妖精の頭に触れ、ふわりと撫でた。
「ふ、ふわふわ……」
『僕のこと、怖い?』
「い、いいえ。ふわふわで、柔らかくて、か、可愛いです」
『えへへ。でしょ~?』
『私も撫でて~』
『次は僕だよ~』
エリシャは妖精たちに囲まれて微笑んでいる。
――妖精たちがわらわらと集まるから、一見するとエリシャが襲われているようにも見えるほど大人気だ。
「おい、一度に集まるな」
『きゃ~! ツンツンした王子が来た~!』
『イガグリ王子が焼きもち焼いている~!』
「誰がイガグリだって?」
バージルが間に割って入ると、妖精たちはきゃあきゃあと楽しそうに悲鳴を上げて逃げて行った。
「ミュラーさん、妖精への恐怖心を克服できたようね」
「はい! ファビウス先生のおかげです」
「そう言ってくれると嬉しいわ。だけどね、あなたやバージル殿下、そして妖精たちがみんな頑張ったから克服できたのよ」
「わたくし、バージル殿下にもお礼を言ってきますね!」
「ええ、そうしてらっしゃい」
元気よく駆けていくエリシャを見て、嬉しさと不安が胸の中をかき混ぜる。
「これからきっと、忙しくなるわね」
覚醒したヒロインを、この世界は放っておかないだろう。
今はまだゲームが始まる前だけれど、物語の歯車が動き始めるかもしれない。
――そんな、悪い予感がした。