12.幼馴染の二人
※第九章の閑話:報せに齟齬がありましたので修正しました。
モーリア家の領地にあるセラの聖遺物は「魔導書」ではなく「棍棒」です
マルロー公たちの襲撃に備える中、音楽祭の開催日が刻一刻と近づいている。
(結局、音楽堂ではエリシャとバージルに進展が無さそうだったわね)
休み明けに二人の様子を観察していたけれど、特にこれといった変わりはなかった。
(ゲーム通りの時期ではないからなのか、それとも、ゲームとは流れが変わったから何も起こらなかったのか……)
今回のイベントで変化が起こらなかったものの、今のエリシャとバージルの関係はゲームの中の彼らよりも良好だ。
(だから、エリシャはきっかけがあればバージルに惚れると思ったんだけれどなぁ)
ゲームでの最推しはジュリアンだったが、この世界でバージルの健気な姿を見ていると、彼と結ばれて欲しいと思ってしまう。
(――あら、噂をすればなんとやらね)
裏庭を横切ろうとしたその時、エリシャとバージルの姿が見えた。
「エリシャ、こんなところで練習していたのか?」
バージルはここに来たばかりのようだ。裏庭の隅に居るエリシャに話し掛けている。
(こ、これは何か始まりそうな予感がする!)
私は柱に身を隠し、息を潜めて二人の会話に意識を集中させる。すると足元に居るジルが、ジトリとした目で睨んできた。
「やい、小娘。盗み聞きとはいい趣味をしているな」
「しっ。声が大きいわよ。それにこれは盗み聞きではなくて、若者たちを見守っているだけよ」
「やれ、物は言いようだな」
ジルは大きな欠伸をすると、退屈そうに毛づくろいを始める。その間、私は二人の会話に意識を向けた。
「どうして一人で練習しているんだ?」
「わたくしなんかの為にみんなの貴重な時間を使うわけにはいかないので」
「はぁ? 誰がそう言ったんだ? 言った奴の名前を教えろ」
「え? いいえ。誰にもそのような事は言われていません」
「……なるほど。エリシャがそう思ったんだな」
「そ、そうです――ごめんなさい」
「なんで謝るんだよ」
するとエリシャは叱られていると勘違いしたのか、また「ごめんなさい」と謝る。
俯く彼女の姿を見て、バージルは眉尻を下げた。
「責めているんじゃない。聞いているだけなんだから謝るな」
「え、えっと……バージル殿下が怒っていたので……謝りました」
「ああ、怒っているよ」
「ひえっ! ご、ごめんなさい!」
「だから、むやみに謝るなって」
バージルは力なくため息をつくと、その場に座り込んだ。片手で頭をガシガシと掻き、もう一度ため息を零す。
「エリシャがエリシャ自身を大切に想っていないから腹が立ったんだよ。もう少し自分を大切にしろ。あと、少しは我儘を言え」
「我儘なんて言えないです」
「……そうだな。エリシャは昔からそうだった」
昔の事を思い出しているのか、バージルはぼんやりとした眼差しでエリシャを見つめる。
侯爵令嬢だったエリシャは、幼い頃に何度かバージルと顔を合わせていた。
「初めて会った日だって、熱があるのに友人を守る為に無理にパーティーに参加していたな」
「あの時は……上着を貸してくださってありがとうございました。おかげで汚れたドレスを見られずに済みました」
「全く、友人を庇って自分からジュースを浴びに行くなんてどうかしている」
「す、すみません……」
当時、エリシャの友人はとある貴族令嬢からいじめられており、そんな彼女を守る為にエリシャは風邪をひいていたのにもかかわらずパーティーに参加していた。
いじめの加害者である貴族令嬢はわざとエリシャの友人にジュースをかけようとして――それをエリシャが庇ってドレスを汚してしまったのだ。
その様子を見ていたバージルはエリシャの為に自分が羽織っていた上着を掛けてやり――そこから二人の交流が始まった。
「……エリシャ、すまない」
「ど、どうしたんですか?」
「俺はエリシャの家が――ブロンデル侯爵家が没落していく様を、ただ見ている事しかできなかった」
バージルの表情は曇っており、その視線はゆっくりと下げられ地面を見つめる。
大切な人が苦しい思いをしているのに何もできず、無力感に苛まれ続けているバージルは、どこにもやり場のない思いを抱え続けている。
「気にしないでください。あれはバージル殿下の所為ではありませんから」
「……せめて気にする資格くらいは持たせてくれ」
「え?」
きょとんとして首を傾げるエリシャに、バージルは自嘲気味な笑みを向けた。
「……悪い。邪魔したな。俺が居ない方がいいだろうよ」
「じゃ、邪魔ではありません!」
「気にするな。今の俺は誰からも邪魔者扱いされている出来損ないの第三王子なんだからさ」
そう言い、立ち上がって踵を返そうとすると、エリシャは慌てた様子でバージルの前に立ちはだかった。
「ま、待ってください」
「は?」
「あ、あの……えっと……」
突然の事に驚くバージルは動きを止め、エリシャを見つめる。そしてエリシャは、震える声で言葉を紡いだ。
「わ、わたくしの歌を聴いていただけませんか? 誰かが居ないと……寂しいです、から」
「気を遣わなくていい。はっきり言って、邪魔だろう?」
「えっと、気を遣っている訳では!」
「顔に全部書いてあるぞ」
「――っ!」
指摘されてしまい、エリシャは慌てて顔を覆った。そんな彼女を見て、バージルは優しい笑みを浮かべる。
「安心しろ。ついでに昼寝でもしているから、俺の事は気にせず練習したらいい」
「あ、あの……ありがとうございます」
エリシャはコホンと咳ばらいを一つすると、課題曲を歌い始めた。優しくのびやかな歌声聞こえてくる。
「バージル、引き留めてもらえて良かったわね……!」
「やい、小娘。泣いているのか?」
「あのやり取りを涙なしで見られる訳が無いでしょう?!」
「わからんな」
「はぁ。猫には難しいようね」
「やい、小娘。俺様は猫ではない。高潔な猫妖精だ!」
ジルとお決まりの掛け合いをしていると、クスクスと笑う声が背後から聞こえてきた。振り返ると、人間の姿をしたミカが居るではないか。
「ミカ!」
「お静かに。あの子たちに気付かれてしまいますよ」
ミカは人差し指を立てて唇に当てる。その仕草にはっとして口を手で塞ぐと、彼は満足げに頷く。
「ノエルも学園に来ているの?」
「いいえ、私一人だけです。エリシャ様の事が気になりましたので、休憩をいただいてここに来ました」
「ほう、エリシャの為に……ね」
彼が個人的に動くなんて珍しい。それにミカは昔、人間を嫌っていたとノエルから聞いたことがある。
それなのにエリシャを気に掛けてここに来るということは、彼女に対して特別な感情を抱いているのかもしれない。
「ねぇ、ミカはミュラーさんの事、どう思っているの?」
「可愛らしい人の子だと思っていますよ。純粋な好意に優しい心の持ち主で――。あの子から向けられる感情は温かくて心地が良いです」
「もしかして――」
「ふふ、違いますよ。恋ではありません」
「言う前に否定されてしまったわ」
「レティシア様の目がそう語っていましたから」
そんなにもわかりやすい表情だったのだろうか、と自分の頬に触れてみる。
「恋ではないのに、どうしてあの子を気に掛けるの?」
「彼女には好意的な感情を抱いています。私の為に努力をする姿は、初めて出会った時のご主人様を思い出しますから」
かつて妖精の番犬として妖精たちを守っていたミカは、妖精狩りをする密猟者に瀕死の傷を負わされて動けなくなっていたところ、ノエルと契約をして一命を取り留めた。
そしてノエルはルーセル師団長と一緒に密猟者を襲撃し、ミカが守ろうとしていた妖精たちを助けたらしい。
だからミカは自分の全てをノエルに捧げるのだと、以前聞かせてくれたことがある。
「あの子の努力を最後まで見届け、そしてあの子の真心を全ていただきたいと思うのです。心が込められた贈り物は魔力の糧ともなりますからね。――妖精とは勝手な生き物でしょう?」
それでもミカの瞳は優しくて、身勝手さとはかけ離れた眼差しでエリシャを見つめる。
「さあ、どうかしら。あなたはあの子の気持ちを端から払いのけたりはしないから、優しい妖精だと思っているわ」
「買い被り過ぎです。妖精とは気ままで残酷な生き物なのですよ」
私たちはしばらく柱の陰に隠れ、エリシャの歌声を聴いていた。




