09.またもや黒幕に捕まる
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「ふぅ。今週も忙しくてあっという間に過ぎたわ」
放課後になり、私はジルと一緒に庭園を歩いて温室へ向かっている。
明日からの休日に備え、薬草たちの世話をするところだ。
「やい、小娘。明日はご主人様との外出だから今日は早く寝ろよ」
「はいはい、寝坊なんてしないわよ」
夕日の色彩がかかった庭園の花たちの美しさを堪能しつつ歩みを進めていると、花のアーチの向こう側に見知った人物を見つける。
「あら、理事長だわ」
「うむ、それなら隣に居るのはあの性根腐った男だな。あの丸々とした形を見ればわかる」
「……ええ、マルロー公のようね」
応接室か理事長室で話せばいいものを、理事長とマルロー公が二人で立ち話している。
しかも会話が白熱しているのか、マルロー公が丸い体を跳ねさせて何かを訴えているのだ。
「気付かれないように息を殺して通り過ぎましょ。うっかり盗み聞きしていると思われたら厄介だわ」
「嫌な予感がするな。小娘がそう言うと、十中八九と言っていいくらい相手に見つかりそうな気がするぞ」
「もしかして私、フラグを立ててしまったのかしら?」
軽口を叩きつつ足早に通り過ぎていると、
「――おや、ファビウス先生。こんなところでお会いするとは奇遇ですね」
ジルの予想が的中し、理事長に呼び止められてしまったものだから心臓が大きく跳ねた。
やはり私はフラグを立ててしまったようだ。
「あ、あら、ごきげんよう。今日はいい天気ですね」
取り敢えず無難な挨拶を返して切り抜けようとするが、なぜか理事長がじわじわと近寄ってくる。おかげで足元に居るジルが毛を膨らませ、臨戦態勢を構えている始末。
(ひぇ~……完全にロックオンされているわ)
さりとて逃げる術も戦う術も無い私は、このままここに残ってどうにかやり過ごすしかない。
一先ず、淑女スマイルをキープして人畜無害なモブらしさを醸し出そう。
「ファビウス先生に話があるので少しお時間をいただけますでしょうか?」
「わ、私に、ですか?」
「ええ、サミュエルについて少し話したいのです」
「か、かしこまりました」
「マルロー公、そう言う訳ですので、話の続きはまた今度にしましょう」
理事長はマルロー公が何か言いかける前に話しを締めくくると、優雅な所作で礼をとり、私にエスコートの手を差し出す。
「生徒の事だから理事長室で話した方がいいだろう」
暗に逃げ道を塞がれてしまったような気がしてならない。そして私は、理事長室に連れて行かれることになる。
◇
(本当にサミュエルさんの話をする為に連れて来たのかしら?)
二度目の理事長室を訪れた私は、生きた心地がしないままソファに腰かける。
もしも理事長たちが内密な話をしていたとして、それを聞かれたから消そうと思われていないだろうか。
「ファビウス先生、いかがしましたか?」
「い、いえ。何でもありません」
見つめ過ぎたようで、視線に気付かれてしまう。こんなにも高性能な察知能力と攻撃力を持ち合わせた黒幕と戦う事になったら、私は秒で灰になる事だろう。
理事長は学園が雇う使用人にお茶の準備を言いつけると、差し向かいの席に座った。
(ああ、緊張する)
黒幕を前にして震えを我慢している私とは正反対に、理事長はソファの背もたれに身を預けて悠然としている。
「逃げる口実に使ってしまい申し訳ありません。彼は一度話始めると長くて困っているのです」
「そ、そうでしたか。お役に立てたようで嬉しいです」
「言い訳がましくなりますが、サミュエルの事でお礼も言いたかったので、会えて良かったです」
理事長にはサミュエルさんが音楽祭の練習中に倒れたことが知らされていた。その内容の中に、私たちが看病した事も含まれていたらしい。
「今日はサミュエルに会いに来たのですが、ファビウス先生が一晩中ついていてくれたと嬉しそうに話してくれました」
サミュエルさんの事を話し始めると、理事長の声が柔らかくなる。彼の事が大切で仕方がないのだと、想いが伝わってくる。
「サミュエルはファビウス先生によく懐いていますね。あの子が特定の人物について何度も話して聞かせてくれることなど、今まで一度もありませんでしたから」
「そうなのですか?」
「ええ、家庭教師にもここまで心を開きませんでした」
私が知るサミュエルさんはどちらかと言えば人懐っこい性格で、いつも笑顔で話し掛けてくれるし、時々寂しがり屋な一面を見せるから意外に思えた。
「いち教員として、親しみを覚えてくれているようで嬉しいです。サミュエルさんがこの学園で素敵な思い出を作れるよう、全力を尽くしますね!」
「ありがとうございます。ファビウス先生のおかげであの子は今も楽しい思い出ができているようです」
しかし、と理事長は言葉を続ける。その言葉は発せられた一瞬で、部屋の中の空気にピリリとした緊張感が走った。
「あの子にはお気を付けください。あまり深入りしないように」
「す、すみません。よく聞き取れなかったので、もう一度言っていただけませんか?」
聞き間違いだろう。そう思って聞き返したのに――。
「あの子に気を付けてくださいと言ったのです。サミュエルはあなたが思っているような子どもではありませんから、油断なさらないように」
「そ、それはどういう……」
「言葉の通りです。あの子の穏やかな仮面に騙されませんよう、お気を付けください」
称賛でもなく、謙遜でもない。確かに言えるのは、大切にしている息子を表す言葉としては全く適切ではないという事くらいで。
(あんなにも大切にしているのに、どうして……?)
理事長の言葉の意図がわからず、私はティーカップの中で揺れる琥珀色の水面に視線を落とす。
「それはそうと、もうすぐで音楽祭ですね」
「え、ええ。生徒たちは毎日練習に励んでいます」
「ここを卒業して以来、久しぶりの音楽祭なので楽しみです」
そう言い、理事長はティーカップを傾けて紅茶を飲む。
「きっと、思い出に残る音楽祭になる事でしょう」
理事長は視線を窓の外へと向ける。その水色の瞳に仄暗い光が宿っているように見え、身震いをした。
その後私は、なんとか無難な歓談を終え、無事に理事長室から出て来られたのだけれど。
(理事長のあの言葉は、何だったのかしら?)
サミュエルさんに気を付けるよう忠告してきた意図を測りかね、消化しきれない想いが胸の中に残った。