07.甘いおやつ時間
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「おや? 客人が来ていたのかい?」
エリシャとバージルが寮に帰った後ほどなくして、ノエルがお迎えに来た。
彼が手に持っている花束から、爽やかな花の香りが漂う。
「ええ、ミュラーさんとバージル殿下が来ていたのよ。ミュラーさんが妖精に慣れる練習をしに来ていて、バージル殿下がお迎えに来たわ」
「二人とも熱心だね」
「誰かさんがミカの正体を明かしたからこうなったのよ?」
「ミュラーさんには悪いと思っているが、いつかはこうなっているだろう?」
「それは……そうだけれど」
明かすにしても適切なタイミングがあっただろうに。敢えて音楽祭の練習中に明かした意図がわからない。
(だってノエルは、無意味なタイミングに行動を起こしたりしないわ)
それにあの日、ノエルはエリシャの行動を見て想定外の事態だと零していたのだから、何かしら思惑があったはずだ。
「何を企んで、あの場でミカの正体を明かしたの?」
「弟の恋を応援しようと思っていたんだよ。ミカの正体を知れば、ミュラーさんはミカを諦めると思ったんだ」
「人の恋心を甘く見ていたわね」
「ああ、完全に誤算だったよ」
ノエルは眉尻を下げて肩を竦める。そして、私に花束を差し出してくれた。
それを受け取ろうと手を伸ばすと、一気に距離を詰められ――。
「――っ?!」
頭上に影が差し、その刹那、頭に柔らかな感触が触れる。
「ノ、ノエル?! 学園ではキスを控えるよう約束したでしょう?!」
「唇へは、ね?」
言質はとっているとぞ言わんばかりの黒幕らしい眼差しが憎らしい。
実際にノエルとの約束では、学園内で口へのキスをしないと交わしたのであって、それ以外については何も言及していないのだ。
「生徒たちが見たらよくないわ」
「彼らの気配がないからしたんだよ」
「むぅ……。ああ言えばこう言うのね」
「すまない。揶揄うつもりではないんだ。一日の大半をレティから離れて過ごしたのだから、どうしてもレティに触れたくて仕方がないんだ」
「~~っ!」
紫水晶のような瞳は艶やかな熱を帯びていて。
まるで何十年越しの再会を果たしたかのような感動を乗せて私を見つめる。
結婚して以来、この大袈裟な台詞を何度聞いて来たことだろう。もう数えてもきりがないほど交わしたような気がする。
(ううっ、口から砂糖を吐きそうだわ)
それが気恥ずかしくていたたまれず、私は回れ右をして簡易台所に立った。ノエルに出すお茶を用意しつつ、ドキドキと高鳴る胸を鎮める。
「――レティ」
「んぎゃっ!」
にもかかわらず、寂しがり屋の夫は背後に忍び寄り、ごくさりげなく腰に腕を回して抱きしめてくるのだ。
私は心の平穏を諦めるしかないようだ。
「な、何? どうしたの?」
「今日はケーキも買ってきたんだ。一緒に食べよう」
「あら、お屋敷に帰るまで待てないの?」
「……あそこは邪魔者が多過ぎる」
「邪魔者だなんて、家族に対して言うものではないわ」
ノエルは無言で抱きしめる腕に力を込め、不服を申し立ててくる。
そのような仕草は最強の黒幕らしからぬもので、可愛らしく思えて頬が緩んだ。
「父上と母上がやって来て邪魔をするし……」
「二人ともノエルと話がしたいのよ」
お義母様の場合は、ノエルが幸せそうにしている様子を存分に堪能したいのだと思うけれど、と喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
ノエルは未だに、「息子大好き!」なお義母様の本性を知らないのだ。
「オルソンが間に割って入って来てはレティを攫って行くだろう?」
「可愛い義弟を無視する訳にはいかないでしょう?」
「その弟の所為で、レティとの貴重な時間が減る一方だよ」
弟への愚痴を零すノエルだけれど、彼なりにオルソンを大切にしている。
オルソンが非番の日は必ず声を掛けているし、遠征に行くときは仕事を休んででも見送りに行っているのだ。
(アロイスやバージルの事も気に掛けているし、なんやかんやで世話焼きなのよね)
そんなノエルが私にだけは甘えてくれている。無防備さを見せてくれているのが嬉しい。
この世で唯一、私にだけ見せてくれているのだから。
(嫌だわ、私ったら。独占欲の塊みたいな事を考えているわ)
気付いてしまうと頬にじわじわと熱が宿る。それに胸の奥がきゅうっと軋み、落ち着かない。
「ほ、ほら、ずっと引っ付いていないで、椅子に座ってお茶にしましょ」
「待って。あと五分だけこのままでいさせてくれ。レティを補充したい」
「早く座らないと食べさせてあげないわよ?」
「それは困る。今日はレティに食べさせてもらう事を糧にして仕事を乗り越えてきたのに」
「じゃあ、早く座りなさい」
「レティが先に座って。お茶は自分で運ぶから。それに、レティのお茶を淹れ直すよ」
ノエルは名残惜しそうにゆっくりと腕を離し、私を椅子の前までエスコートする。そして椅子を引き、座らせてくれた。
「今日はどこの店のケーキを買ってきたと思う?」
「う~ん、『カフェ・アルセーヌ』?」
試しに、ノエルとよく行く店の名前を口にしてみる。
するとノエルは唇の端を持ち上げ、「ちがうよ」と首を横に振る。
「ケーキを見るとわかるだろう」
ノエルは戸棚から小花柄が描かれたお皿を二枚取り出すと、テーブルの上に置いていた白い箱からケーキを取り出して乗せる。
お皿の上に乗っているのは、雲のように真っ白な生クリームの上に薔薇の花びらと砕いた木の実を散らした美しいケーキだ。
「こ、これは……! 『シャトー・エステル』の朝摘み薔薇のケーキ!」
「正解。前に食べてみたいと言っていただろう?」
「ええ、すごく嬉しい!」
食べてみたいと思っていたけれど、とても人気店だからすぐに売り切れると聞いて諦めていたケーキだ。
「開店と同時に売り切れると噂のケーキなのに、どうして買えたの?」
「伝手があったから取り置きしてもらったのさ。ついでに済ませておきたい用事もあったからね」
「さ、さすがだわ」
なんせゲームでは、伝手と情報網を駆使して暗躍していた黒幕だ。きっと今のノエルも、いくつもの伝手を持っているのだろう。
(その伝手をケーキを買うために使うようになるなんて、すっかり変わってしまったわね)
ケーキから目を離すと、ノエルの紫水晶のような瞳と視線が絡み合う。
その眼差しが優しくて、温かくて、愛情深くて。
胸がくすぐったくなる。
「買って来てくれてありがとう」
「どういたしまして。そんなに喜んでくれると買ってきた甲斐があったよ」
ノエルが隣の椅子に腰かけるのを見計らい、フォークでケーキを二等分する。その片方にフォークを刺して一口大に切り分け、ノエルの口元に運んだ。
「美味しい一口目はノエルが食べてね」
「では、いただこう」
ノエルの形の良い唇がふっと綻び、開かれる。パクリとケーキに噛りつき、幸せそうに微笑んだ。
「レティが食べさせてくれるケーキはどれも美味しいな」
「そう、良かったわ」
私もケーキを食べ、美味しさに頬が緩む。
たっぷりの生クリームの下には薔薇のコンフィチュールがあり、それが甘酸っぱくて生クリームと絶妙に合うのだ。
「……」
「ノエル、どうしたの?」
急に、ノエルの顔から笑みが消えた。そして窓へと視線を走らせる。
「一瞬だけ、強い魔力を感じたような気がしたが――すぐに消えたんだ」
その声音には緊張感が込められていて。
「大丈夫、何があってもレティを守るから」
振り向いた彼はひどく不安げな表情で、私の手を握りしめた。
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