05.医務室に緊急搬送
私たちはサミュエルさんを医務室に運んだ。
ノエルとイセニックが運び、他の生徒たちも付き添ってくれていたのだけれど、医務室に着いてからは練習に戻ってもらった。
「セルラノ先生、サミュエルさんの具合はどうですか?」
「ん~、熱はありますがこれ以上悪化しないでしょう」
サミュエルさんは治癒師に診てもらいたくないだろうけれど、私たちだけでは判断できない事もある。
だからとりあえず、治療なしで診察してもらうことにしたのだ。
「魔法を使っていないのに、魔力回路で魔力が活発に循環していますね」
「それって、まさか……」
「ええ、体が受け付けられない魔力に触れ、過剰反応が起きているのでしょう」
あの時、音楽室で治癒魔法を使った生徒はいないから、考えられる原因はただ一つ。
(エリシャの歌声に込められた光の力に中てられたんだ……)
治癒魔法を受け付けられないサミュエルさんなら、魔力属性が近い光の力も同様に受け付けられないだろう。
エリシャの成長は嬉しいけれど、サミュエルさんの事を思うと手放しに喜べない。
「その様子ですと、ぺルグランさんの体質について理事長から話があったようですね」
「はい。以前ぺルグランさんが手に火傷を負ったので、その時に治療魔法を受けつけにくい体質になったと聞きました」
「そうでしたか。理事長はファビウス先生を信用してお話したのでしょう。実は私も彼が入学した時に聞いていたのですが、秘密にしていて欲しいと理事長から言われて黙っていました。隠していてすみません」
セルラノ先生は眉尻を下げて謝ると、サミュエルさんと同じ体質を持つ人の苦悩について教えてくれた。
治癒魔法を受け付けられない体質というのは、ともすると差別的に捉える人が居るから公にしない患者がほとんどらしい。
治癒の力を拒むのは魔物の証だとか、女神様の怒りに触れたからだと後ろ指を差される事があるそうだ。
「ひどい……、患者の中にはサミュエルさんのように粗悪な治療を受けた所為で体質が変わった人も居るはずなのに……」
「特異な体質は周囲に理解されにくいものです。ですからこの事は他の生徒たちには伏せておきましょう」
「はい……」
火傷の一件がなければ、私も知らないままでいたのだ。
一人でこの体質と戦うサミュエルさんの事を思うと、どうにか力になってあげたいと思う。
「ぺルグランさんはしばらく休ませてください。治癒魔法が使えないのなら自然治癒に頼るしかありませんので」
「そうですね……わかりました」
セルラノ先生曰く、十分な睡眠と休養が必要とのことだ。しばらくは授業を欠席させてゆっくり休ませよう。
「自然治癒は時間がかかりますが、治癒魔法を受け付けられない体なら仕方がありません」
医務室のベッドで眠っているサミュエルさんは今もまだ苦しそうで、ぜいぜいと荒い呼吸を吐いている。
それなのに、これ以上何もできないなんて、自分の無力さを思い知ってもどかしくなる。
「ノエル、あのね。今日は学園に残るわ。サミュエルさんを看病したいの」
「しかし……」
「私ができる事は無いってわかっているけれど、辛い時に側に居る事はできるわ」
体調が悪い時は孤独を感じてしまうものだ。
だから幼い頃、風邪をひいた時にソフィーが一日中側に居てくれた事がとても嬉しかった。
「……わかった。それなら、私も学園に残ろう」
「ええっ?! ノエルも?」
「勤務時間以外でレティと離れると、持病の発作が起きそうだから」
「なによ、それ……。持病なんてないでしょう?」
「愛妻病。離れていると苦しくなるんだ」
と、真面目な顔でふざけたことを言うから溜息をつきたくなった。
こちらは真面目に話しているのだから、ふざけるのも大概にしてほしい。
「帰れと言っても居座りそうね。明日の仕事に響かないならいいわ」
「レティと一緒に居たら休まるから大丈夫だ」
「はぁ……」
以前なら一晩離れても何ともなかったのに、今ではすっかり兎レベルの寂しがり屋になってしまった。
【なつき度】を上げ過ぎるのも問題のようだ。
「ふふふ……」
「セ、セルラノ先生?」
不意に、セルラノ先生が不気味な笑い声を上げた。片手で顔を覆い、表情がよく見えないから余計に怖い。
「主がここに泊る……一晩共に過ごせるのですね!」
「あの、まさか……」
「それでは私もご一緒しましょう! 主に仕えるのが私の喜びですから!」
「待ってくれ。君に仕えてほしいと言った覚えはない」
「たとえ命じられずとも、この魂に使命が刻まれているのです!」
「セルラノ先生! 医務室で騒がないでください!」
その後セルラノ先生には、ノエルを見ても騒がないのなら退室しなくていいという条件付きで医務室に留まってもらうことになった。
もともと医務室はセルラノ先生の領域なのだけれど、ノエルの提案を無条件で吞んでくれたのだ。
かくして、生徒と夫と自称・夫の手下と過ごす、奇妙な夜が始まったのである。
◇
「ぺルグランさん、起きないわね。今日は何も食べれなさそうだわ」
食堂の料理人に頼んでパン粥やスープを用意してもらったけれど、サミュエルさんは眠ったままで食事ができる状態ではないようだ。
私は側に置いていたお椀に水差しの水を注ぎ、きりっと冷やした布を絞ってサミュエルさんの額の上に乗せる。
汗をいっぱいかいているから、浄化魔法を使わせてもらった。これで汗による不快感は取り除けただろう。
「……苦しそう。悪夢でも見ているのかしら?」
「それなら、私の出番ですね!」
先ほどまでひっそりしていたセルラノ先生が、意気揚々と立ち上がる。
待っていましたと言わんばかりの勢いだ。
「私が悪夢を断ち切ってみせましょう!」
星の力を使って夢の中に入るつもりらしい。
どのようにして夢の中に入るのか、興味はある。
見守っていると、セルラノ先生はナイフで指先を少し切り、流れた血で掌に見たことの無い魔法印を描く。そのまま空いているベッドに寝そべり、目を閉じて魔法印が描かれている手で目を覆った。
「これが夢に干渉する魔術……。意外と簡素なのね」
「必要なのは星の力とその力を持つ者の血液、そして目だ。目は夢の世界への扉となるからね」
セルラノ先生が小さく呪文を呟くと、彼の体が仄かな光に包まれる。
「うっ……」
「セルラノ先生?!」
「何が起こったんだ?!」
魔術が成功したと思ったのも束の間で、セルラノ先生は口から血を吐いて起き上がった。
「夢への介入を拒まれました……。黒い影のようなものに包まれて、気付けばこの状態です」
「黒い影に……?」
「それはこの子が見ている悪夢なのか?」
「いえ、悪夢ではなく――」
セルラノ先生はふらつく体で口元の血を拭い、視線をサミュエルさんに向けた。
「この子自身の魔力に阻まれたのです」
「ぺルグランさんが介入を拒んだ……?」
「ええ、私の力を跳ね返せるとなると、余程強い魔力を持っているのでしょう。入学時の魔力検査結果よりも高い数値を出しているはずです」
「誰かが数値を隠蔽しているのか?」
「魔力が高すぎると学園内外から注目を浴びて不自由な思いをする可能性はありますけど……。隠ぺいするなんて、過保護の域を超えているように思いますね」
生徒たちの魔力検査結果は、一通り目を通しているけれど。
サミュエルさんは能力値が高いものの、学年で一番ではなかった。
(だけど、女神様が星の力を授けたセルラノ先生より魔力が強いとなると……この学園に居るどの生徒よりも魔力が高い可能性があるわ。理事長が意図して隠している可能性があるわね)
きっと、他にもいくつか秘密があるけれど、そんな彼を守る為に理事長が隠しているのかもしれない。
「サミュエルさん、大丈夫よ。私はあなたの味方だから、安心して学生生活を送ってね」
「ファビウス……先生……?」
サミュエルさんは半覚醒なのか、ぼんやりとした眼差しで私を見上げた。今はメガネを掛けていないから、私の顔がよく見えないのだろう。
「ええ、そうよ。今晩はずっと隣に居るから、何かあったら言ってね。水を飲む?」
「はい……ありがとうございます」
ノエルにサミュエルさんを支えてもらい、私はサミュエルさんが水を零さないようコップを持つ手を添えて手伝った。
「食欲はある?」
「いえ、全く……」
「それでは、今日は食べない方がいいでしょう。魔力回路の過剰反応で臓器が疲れているので、無理に食べると体に良くありませんから」
何か食べて栄養をつけた方がいいと思うけれど、セルラノ先生がそう言うのなら無理に勧めるのは止めておこう。
「今は眠って体力を養いましょう。眠れそう?」
「はい……。ですが、先程悪夢を見ていたので、できれば起きていたいです」
「あら、それなら悪夢除けが必要ね。さっきサシェを持ってきたから、枕の横に置いておくわね」
青宵花という青い花で作ったサシェを枕元に置く。
この花の香りは安眠に良いとされており、王都では貴婦人たちに人気だ。
「月の槍と、闇夜の棍棒と、星の剣。月の槍と、闇夜の棍棒と、星の剣。ぺルグランさんが良い夢を見られますように」
「レティ、それは子どもに聞かせるおまじないだろう?」
「なによ。ノエルだってたまに聞かせてくれって強請るじゃない」
するとサミュエルさんがくすくすと笑う声が聞こえてきた。
「今日は子どものように甘えてもいいですか?」
「もちろんよ。どんときなさい!」
「では……手を、繋いでもらっていいですか?」
少し気恥ずかしそうに言うサミュエルさんだけれど、その手はしっかりと私の手を握っている。
普段は大人びた優等生のサミュエルさんが子どものように甘えてくれるなんて、ギャップ萌えでキュンとしてしまう。
「ええ、いいわよ」
空いている方の手でサミュエルさんの手を包むと、彼は私の手に頬を寄せる。
「――で、ノエルはいつまでそうしているつもり?」
ノエルは私の隣に椅子を移動させてきて座ると、そのまま私を抱きしめて離れようとしない。
「いつまでだと思う?」
「まさか、朝までとか言う訳ではないでしょうね?」
「……」
「ちょっと! ふて寝しているの?!」
どれだけ話し掛けても、ふて寝した夫は返事をしてくれない。
この甘えん坊で寂しがりな大きな子どもには呆れてしまうのだった。




