03.青春が目に沁みる
続編の黒幕から呼び出しがあった後は、平穏な時間を過ごした。
午後の授業を終えて放課後になり、差し入れを入れたバスケットを持って音楽室へ行く。差し入れの大荷物を運んでもらうために、ジルには人の姿になってもらった。
「みんな、差し入れを持ってきたわよ!」
音楽室にはクラス全員が揃っていた。みんなで協力して練習しているようだ。
「わーっ! ありがとうございます!」
「い、いいのですか……?」
「もちろんよ。頑張っているみんなを応援したくて持ってきたんだもの」
バスケットをトントンと指で叩くと蓋が開き、中からティーカップとソーサーが出てくる。
生徒たち全員にいきわたると、今度はティーポットを取り出して全員のカップの中に紅茶を注いだ。
「あの、ファビウス先生。隣に居る方は誰ですか?」
リアがコテンと首を傾げて尋ねてくる。
彼女の視線の先には、人の姿をしたジルが居る。他の生徒たちも気になっていたようで、みんなの視線がジルに向けられた。
「彼はジルよ。お菓子を運んでもらうために人の姿になってもらったの」
「ええっ?! あの猫ちゃんが?!」
「やい、ガキんちょ! 俺様は猫ではないぞ! 高潔なケットシーだ!」
「す、すみません」
「うむ、わかったならそれでいい」
ジルは満足そうに頷いた。そして、バスケットの中からお菓子を取り出してリアに手渡す。
「お菓子も用意しているから、ジルから受け取ってね」
「おい、ガキども。お菓子は俺様が配るから取り合いするなよ」
生徒たちは喜んで列を作り、ジルからお菓子をもらう。ただ一人、エリシャを除いて――。
「あちゃ~。人の姿であっても妖精は苦手だものね」
「失礼な奴だ。俺様は下等妖精とは違い、人間に力をひけらかしたりしないぞ」
たとえジルがそうであっても、妖精に呪いを掛けられたエリシャからすると、とてつもなく恐ろしい存在に思えるのだ。
彼女の心を深く抉ったトラウマは、時間をかけて癒していくしかない。
「おい、俺がエリシャに渡すから二人分寄越せ」
「仕方がないな。俺様が見ていない所で二人分食べるんじゃないぞ?」
「勝手に食いしん坊に仕立て上げるなよ」
バージルはジルからお菓子の入った包みを受け取ると、踵を返してエリシャに歩み寄る。
「ほら、エリシャ。俺が持ってきたから食べろ」
「ご、ごめんなさい。私の所為で迷惑をかけてすみません」
「別に。迷惑とか思ってないから気にするな」
「で、でも……」
「お、俺が自分の為にしたことだ。エリシャが食いっぱぐれているのに自分だけ食べていたら、菓子が不味くなるだろ」
相変わらず素直ではないが、エリシャの為に懸命に言い訳を考えているバージルがいじらしい。
「さっさと食えよ。でなきゃ練習の続きができないだろ?」
バージルは包みを開けてお菓子を取り出すと、エリシャの口元に近づける。
(て、手ずから食べさせる……だと?)
親友を通り越し、もはや恋人同士な雰囲気を醸し出すバージルに視線が釘付けだ。
乙女ゲームらしいシチュエーションを目の前にして心が躍る。
「え? バージル殿下?」
「ほら、口を開けろ」
「だけど……」
「いいから食え」
「~~っ!」
エリシャは戸惑っているようで、バージルの手と顔を交互に眺める。
いくら仲が良いバージルとはいえ、異性に食べさせてもらうのは気が引けるのだろう。
「食べ終わるまで逃がさないからな」
「い、いただきます」
意を決したエリシャは目を閉じると、バージルが持っている焼き菓子にパクリと噛り付いた。小動物のようにもぐもぐと食べている姿が可愛らしい。
(良かったね、バージル……って、ええっ?!)
バージルは瞠目してエリシャを見ており、次第に顔から耳に掛けて赤く染まっていく。
(あれだけガンガン押してていたのに、いざエリシャが手から食べてくれると照れてしまうのね。可愛いなぁ)
この世界に転生してようやく、ヒロインとヒーローの甘酸っぱいシーンを堪能できて感無量だ。
「これが青春なのね!」
「そう、これが青春だ!」
「ゼスラ殿下?!」
いつの間にか隣にゼスラが居て。
彼は目を輝かせてエリシャとバージルを観察している。
「以前、似たような場面を恋愛小説で読んだ事があるぞ!」
予習はバッチリな攻略対象の彼だが、果たして実践はいつになるのだろうか。
恋に恋してしまわないか心配だ。
「……なるほど、これも青春なのか」
「エルヴェシウス先生?!」
そして、何故かジュリアンも現れた。いつの間に現れたのだろうか。
「実際に見ると微笑ましく思うな。バージル殿を応援したくなる」
「そうでしょう? 青春っていいわね」
「エリシャ・ミュラーの反応を見ると脈が無さそうだが、何か対策を用意せねばならないのでは?」
ジュリアンは冷静に分析しており、二人の状況を的確に言い当てている。
「ファビウス先生は学生時代に好いた者は居たのか?」
「え、……まあ、そうね」
「もしや、ファビウス侯爵か?!」
「私は夫が卒業してから入学したから、学生生活は一緒に過ごしていないのよ」
それでも、ノエルが残した伝説は知っている。恐ろしく美形で、卒業旅行でセイレーンたちに追いかけられた卒業生が居たと、噂で聞いたのだ。
「先生の恋愛話をぜひ聞かせてほしい」
「わ、私の話は、聞いても面白くないと思うわ!」
「――そんなことはないよ。私もぜひ、その話を聞きたいな」
「え?」
ここにはいないはずの人物の声が背後から聞こえてきた。
振り返ると、黒幕然とした表情の夫が、背後に立っているのだ。
「ノ、ノエル、どうしてここに?」
「どうしてだと思う?」
「迎えに来てくれたのね」
「……ああ、早く妻に会いたい一心で迎えに来たよ」
ノエルは恐ろしいほど美しい笑顔を浮かべて、
「後でゆっくり、レティの青春の話を聞かせてね?」
耳元でそう囁いたのだった。




