02.黒幕と過ごす昼下がり
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午前中の授業が終わり、生徒たちは次の教室へと移動する。
「ふ~、鍋の洗浄が終わったらお昼にしようかな」
魔法で大鍋を洗い場に移動させつつ、昨夜見た夢の事を思い出す。
「昨夜はまたウィザラバの夢を見てしまったわね」
エリシャが音楽祭の出場に向けて歌の練習をしている夢を見たのだ。
音楽祭はバージルとのイベントが発生する大切な行事で。
バージルの事が苦手だったエリシャが、彼と仲良くなるまでのお話が描かれている。
「もうすぐで音楽祭が始まるから夢に見てしまったのかしら?」
歌唱部の学級代表に選ばれたエリシャが、リアや意地悪な生徒たちから虐められながらも懸命に練習し、大会で優勝を勝ち取るシナリオだ。
「あの時は、バージルが健気で泣いちゃったなぁ」
落ち込んでいたエリシャを励ましに来たり、リアたちから虐められないように側に居て守ってくれていたのだ。
最も印象的だったのは、泣いていたエリシャの下に現れたシーン。
エリシャは懸命に練習していたのだけれど、リアたちに悪口を言われたり、楽譜を破り捨てられてしまい、すっかり消耗しきっていた時のこと。
『これからは俺が側で守るから何にも恐れなくていい。好きなように歌って聴かせてくれ。俺は、エリシャの歌が好きだから聴いていたい』
そう言い、自分の歌に自信を失っていたエリシャを励ました。
「この世界のエリシャも歌唱部の代表に選ばれたわね。ゲームとは違って虐められていないようで安心したけれど……、問題はバージルとの関係性ね」
なんせこの世界のエリシャは、ノエルの使い魔であるミカに惚れてしまっているのだ。バージルが不憫でならない。
バージルのことは「苦手な同級生」から「友だち」に昇格したようだけれど、恋愛に発展しそうにないのだ。
「よし、放課後になったらあの二人を見守りに行こう!」
そういえば、今日は私が担当している学級が音楽室を使用できる日だ。
音楽祭の練習で使える日は決まっており、使える日はルーティーンでまわってくるようになっている。だから覗きに行って、二人の様子を探ろう。
「差し入れで喉にいいお茶を持って行こうかしら?」
バスケットにティーポットとティーカップ、そして茶葉を入れて持って行こう。お菓子は購買部で調達したらいいだろう。
「よしよし、後片付けが終わったら準備をしておこうかな」
楽しい予定があると後片付けも捗る。
指を振って水魔法の応用で大鍋を洗い、窓辺に並べて寝かせた。今日のようなよく晴れた日は早く乾くだろう。
「さてと、どの茶葉にしようか――あら、お客さんだわ」
薬草を物色していると、扉を叩く音が聞こえてきた。
作業に集中していた私は生返事を返す。
すると、硬い靴底がコツコツと床を鳴らす音が聞こえてくる。
「こ、小娘! 後ろを見ろ!」
「ジ、ジル? 急に大きな声を出さないでくれる?」
「つべこべ言わずに!」
ジルはすっかり警戒してしまい、毛を膨らませて真ん丸になっている。
(一体、どうしたのかしら?)
不思議に思いつつ後ろを振り返ると――。
「え、理事長?」
理事長が真後ろに立っていた。何故か彼は興味深そうに私の手元を覗き込んでいる。
「り、理事長がどうしてここに?」
「あなたに話があって来ました」
「話……ですか」
理事長は表情を変えず、ただ黙って頷いた。いい話を聞けそうな雰囲気ではない。
「ファビウス先生」
「は、はい!」
「サミュエルの事で内密に話をしたいのですが、理事長室に来ていただけませんか?」
わざわざ場所を変えるという事は、込み入った話があるのだろう。
黒幕のアジトである理事長室に行くのは少し怖いけれど、サミュエルさんの為にも行くしかない。
「かしこまりました」
私は腹を括り、頷いた。そして、理事長につれられ、魔法薬学準備室を出た。
◇
「どうぞ、座ってください。茶は使用人に準備させましょう」
理事長室は重厚感のあるしつらえで、いかにも名門校の理事長の為の部屋といった趣がある。
くすんだ青色の壁紙には上品な装飾のパターンが描かれており、床には深みのある赤い絨毯が敷かれている。
飴色の本棚や執務机が部屋の全体的なトーンを合わせており、華美ではないが高級感がある。
「ところで、お話とは何でしょうか?」
「ああ、サミュエルの手の怪我の事です」
学園が雇っている使用人たちが紅茶とお菓子を出してくれると、理事長はティーカップを手に取る。
そっと顔に近づけ、香りを嗅いでいるように見える。その所作は優雅で、彼が貧民街出身ようには見えない。
(どこからどう見ても、生まれながらの貴族のようだわ)
容姿も言葉遣いも洗練されており、少しも欠点がない。
ちなみに理事長もオリア魔法学園出身で、彼の学生時代をしるグーディメル先生曰く、品行方正で成績優秀な生徒だったそうだ。
「サミュエルの怪我の処置をしてくださってありがとうございました」
「気休め程度の処置しかできず申し訳ございません」
「いいえ、十分です。治癒魔法を受けたくないという、あの子の意思を尊重してくださってありがとうございました」
結局、サミュエルは治癒師に診てもらわず、今も私が作った薬を塗って治療している。
火傷の後は薄くなったけれど、消えてはいないのだ。
「よろしければ、彼が治癒魔法を受けたくない理由を聞いても?」
「そうですね。担任であるあなたには話しておきましょう」
理事長の水色の瞳が私に向けられる。
氷の刃のような、冷たく鋭い眼差しだ。思わず背筋を伸ばしてしまう。
「あの子は治癒魔法を受け付けにくい体質になってしまったのです。幼い頃に診てもらった治癒師の魔法が粗悪だったようで、魔力回路が傷ついてしまったのが原因のようです」
「そんな……、その体質を変えられないのですか?」
「早くに処置をしていれば可能だったのかもしれません。しかしサミュエルの父親はあの子を見放して治療を受けさせなかった為、あの子は一生その体質で生きていかなければなりません」
似たような事例を、ずっと昔に聞いたことがある。
これはいわゆる、魔力版アレルギーのようなものだ。一度に使用する魔力量が受け取り手の許容値を遥かに超えて魔力回路を壊してしまうと、それ以降同じ属性の魔力を受け付けなくなるらしい。
「サミュエルさんは体が弱いのに、治癒魔法を受け付けられないまま処置をしないなんて……あんまりです」
「あの子は正妻の子ではないので冷遇されていました。だから私があの子を引き取ろうとした時は邪魔が入って大変でしたよ。冷遇していた息子が本家の次期当主になるのですから、身の危険を感じたのでしょうね」
「……」
以前、ノエルがサミュエルさんについて調べた時の報告を思い出す。
サミュエルさんの父親は行方不明らしい。母親と兄弟は母親の実家に帰され、サミュエルさんの叔父が当主になっている。
(や、やっぱり、理事長が暗躍したのでは……?!)
理事長がざまあしたのではないだろうか。黒幕に動かれてしまうと、力のないモブたちなんてひとひねりだろう。
「――おや、もうこんな時間ですか。午後の授業があるのにお時間をいただいてすみません」
「お気になさらないでください。サミュエルさんが治癒魔法を受けたがらない理由を知りたかったので、お話を聞けて良かったです」
立ち上がろうとすると、理事長も立ち上がってさりげなくエスコートしてくれる。理事長との距離が近くて緊張する。
この世界の黒幕は、どうして二人とも律儀で紳士的なのだろうか。
(――あら?)
暖炉の上に、ビゼー領の聖遺物に似ている短剣を見つけた。何の変哲もない簡素なデザインの短剣が並べられていると、さすがに目を引く。
「理事長、この短剣はどうしたんですか?」
「ああ、これですか」
理事長は事もなげに短剣を一瞥する。
「生徒が持っていたので没収しました。学園内では授業や部活動以外では剣を所持してはいけませんからね」
「ああ、そうなんですね」
この世界では、護身用に持たせる親がいる。だけどオリア魔法学園では短剣の持ち込みを禁止しており、生徒たちは授業や部活動以外では剣に触れられないのだ。
「卒業する頃に返すつもりです」
「ふふ、それまでお預けですね」
「……ええ、そうですね」
その時、何故か理事長は目と口元を綻ばせて微笑み――。
私は不意打ちの笑顔に魅せられ、息を呑んだ。




