01.ある少女の記憶【三】
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ピアノの演奏が聴こえてくる。
しっとりとした調べの曲だ。
気付くと【私】は、音楽室にあるピアノの前に立っていた。
ピアノを演奏しているのはナルシスで、鍵盤の上で長い指を軽やかに滑らせている。
「そこ、もう少し気持ちを込めて!」
「は、はい!」
ナルシスが【私】の歌の指導をしてくれている。
音楽祭の出演者に選ばれたものの自信がない【私】のために、特別に教えてくれているのだ。
「初めよりはマシになってきたよ。もう一度最初から歌おう」
「お願いします!」
もう一度歌い始めた【私】が視線を動かすと――。
音楽室の扉の窓に人影が見える。目を凝らすと、扉に張り付いてこちらを覗いているバージルだった。
「バ、バージル殿下?!」
「そんなに驚くなよ。幽霊を見たような反応だな」
バージルは覗きがバレてしまったというのに、悪びれも無く音楽室の中に入ってくる。
彼はエリシャの歌声を聞きたくてここに来たのだけれど――。
「あ、えっと、ごめんなさい」
「別に謝る必要なんてねぇよ。俺はただ昼寝する場所を探してここに来ただけだから気にするな。さっさと練習に戻れ」
素直になれないバージルは適当な言い訳をして音楽室の椅子に腰かけた。
腕を組んだ彼の制服の袖には赤い染みがついている。
それを見つけた【私】は、慌ててバージルに駆け寄った。
「大丈夫ですか?! 血が出ていますよ!」
「あ~、さっき木に登ろうとして引っ掛けたからな」
「優雅じゃないですね。王子なんだから身だしなみに気を付けたらどうなんだい?」
と言い、ナルシス先輩は制服の胸ポケットからサッと手鏡を出して自分の身だしなみを確認する。相変わらず美の維持に余念がない。
「とにかく、医務室に行きましょう」
「俺はいいから練習を続けてくれ」
「言っておくけど、君が邪魔をしたんだからね? ――ほら、傷を見せてください」
ナルシスは溜息をつくと、魔法でバージルの怪我を治療した。
あっという間に治癒したナルシスの魔法に、【私】は思わず感嘆の声を上げる。
「さあ、怪我は治ったから大人しくしていただけますか? 貴重な練習時間を邪魔しないでください」
「……」
二人は睨み合っており、おのずと空気がピリピリとし始める。
どちらも相手がエリシャに抱いている好意に気付いており、譲れないのだろう。
ややあって、バージルがそっぽを向くように顔を背けた。
「俺なんて無視して練習すればいいだろ」
「一国の王子を無視できる国民なんていないでしょう」
「……俺が居なくなったところで誰も悲しまねぇからよ」
バージルは音楽室の机の上に寝転ぶ。
その姿を見たナルシスは、一国の王子のお行儀の悪さに溜息をついた。
国民のよき手本であるべき王子が机の上で寝そべるなんて言語道断だ、とでも言いたげだ。
「やれやれ、困った王子殿下だ。エリシャ、もう練習に戻ろう」
「あ、はい……」
【私】はピアノの前に歩み寄る。
そっと振り返り、こちらに背を向けているバージルの姿を盗み見て。
「わ、わたくしは……、バージル殿下が居なくなったら寂しいです」
と、小さく呟いたのだった。