10.不安が尽きない
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ジスラン様たちが狙われる可能性があるため、私たちはジスラン様に手紙を送った。
今のところはエルヴェシウス伯爵たちに大きな動きは無いようだ。しかし、いつ彼らが動き出すかわからない。
だから私たちはビゼー領へ行き、現状を把握することにした。
「ユーゴくん、一人で大丈夫かしら?」
現地視察に行くのは、私とノエルとユーゴくんとジュリアン、――そしてソラン団長だ。
私はノエルと同じ馬車に乗り、残りの三人は別の馬車に乗っている。
かくして、ユーゴくんは初対面のソラン団長と一緒に乗っているのだ。
(今頃、馬車の中でどうしているのかしら?)
ソラン団長もジュリアンも雑談しなさそうだから、静まり返っているような気がする。
ユーゴくんが気まずい思いをしていないか心配だ。
(ソラン団長は想像通りの方だったわ。厳格で、鋭くて、しなやかな美しい人って感じ)
ルーセル師団長の同期である彼女は、数多の戦いを潜り抜けてきた猛者らしい貫禄がある。
一見すると上品な貴婦人だが、纏う空気と眼差しが団長らしい威厳を感じさせるのだ。
切れ長の目に見つめられると、それだけで思わず背筋を伸ばしてしまう程緊張してしまった。
「きっと上手くやっているよ。今頃、二人に昨夜の夕食の献立でも聞いているだろう」
「絶妙な話題ね。まずは天気の話からだと思うけど?」
「ユーゴならひとまず食事の話から入るんだ」
「意外に食いしん坊なところがあるのね」
天真爛漫で元気いっぱいなユーゴくんなら、意外とソラン団長とすぐに仲良くなっているのかもしれない。
目的地に着くまでに打ち解けていそうだ。
(さて、もう一つの心配事の方はどうなるかしら?)
エルヴェシウス伯爵たちからジスラン様と領地を守れるといいのだけれど、今はまだ敵の手の内を読めないから心配が尽きない。
「レティ、誰の事を考えているんだい?」
「ジスラン様の事よ。どうしても心配になるんだもの」
「……」
ノエルは何も言わずに私を抱き寄せた。ファビウス邸からここに来る間中ずっとこの調子で、引っ付いて離れない。
馬車の中はもちろん、お屋敷に居る時もずっと抱きついていたのだ。
ジュリアンから話を聞いてからというもの、ずっとこの調子だから困っている。
(まあ、目的地に着いたらさすがに離れるわよね?)
そんな予想は見事に外れ、ビゼー領のジスラン様のお屋敷についても、ノエルは離れてくれないのだった。
◇
「……ノエル、いい加減にしなさい。離れないと馬車から降りれないでしょう?」
全く立ち上がらろうとしない夫に声を掛けてみるけど、それでも動いてくれない。
ノエルは私を抱きしめたまま、立ち上がろうとしないのだ。
このままでは日が暮れてしまいそうだ。
「降ろしたくないからこうしているんだよ」
「何ですって?!」
「このままビゼー卿に会わせたくないんだ」
「ジスラン様に会うために来たのに、どうしてそうなるのよ?!」
エルヴェシウス伯爵の影が無いか確認しなければならないのに、このままでは何も話せないまま王都に戻ることになる。
「過去とはいえ、妻の想い人に会わせたくない」
「ええ、過去の事よ。今は違うわ」
そう、ジスラン様を想っていたのは、過去の私だ。
友情から育った恋はとっくに終わりを迎え、今はただの思い出になっている。
今の私に、ジスラン様への恋心はひとかけらも残っていない。
あるのは幼馴染への友情だけ。
「ノエルを、一番に想っているから」
「――っ」
小さく息を呑む声が聞こえてくる。振り向いてみると、ノエルの頬がほんのりと赤くなっている。
(なによう、いつも「愛している」だの「世界で一番大切」だと囁いてくるくせに……!)
同じような言葉を私が言うと顔を真っ赤にして照れるなんて、卑怯だと思う。可愛いと思ってしまうではないか。
「レティ、もう一度聞かせて?」
「もう一度聞いたら、馬車の外に出るのよ?」
「ああ、約束する」
紫水晶のような瞳をとろりとさせ、幸せそうに微笑む夫を見ていると、胸の奥が小さく軋んだ。
(そんなにも喜んでくれると、私も嬉しくなってニヤニヤとしてしまうわ)
緩む頬を引き締め、ノエルの頬に手を伸ばす。
触れた白皙の肌は相変わらず滑らかで綺麗で、手入れが行き届いていて。
指先を滑らすと頬を寄せてくれた。
「今の私はノエルを一番に――あら、ジスラン様だ」
私たちがなかなか馬車の中から出ないから心配したのだろう。
ジスラン様が近づいてくるのが見える。
そして、彼の側には、先に馬車から降りたユーゴくんたちの姿もある。
……このまま、彼らに馬車の中でのやり取りを見られてしまうような気がする。
「皆が来るわ! 早く降りるわよ!」
「レ、レティ?!」
急いで立ち上がり、馬車の扉に手を掛けようとすると、ノエルに手を取られた。
外には出たくないが、私をエスコート無しで降ろす訳にはいかないと、渋々と動き始める。
「さ、降りるわよ!」
「……わかった」
もの言いたげな眼差しで訴えかけてくるけれど、重い腰を上げてエスコートしてくれる。
「ああ、エルヴェシウス伯爵を恨むよ」
そんな呟きが聞こえてきた。
馬車を降りて合流したジュリアンが、ノエルを見るなりビクリと肩を揺らしていたから――。
きっと、恐ろしいほど美しい、怒りを込めた笑顔を浮かべていた違いない。
早くも先行きが不安になるが、ビゼー領での調査が始まろうとしている。