09.歴史学者の弟子の気持ち
※前話に一部齟齬がありましたので修正しました。
ご迷惑をおかけし申し訳ございません……。
レティが月の力についてジュリアンに訪ねていた事は、第一章で判明していた事でしたので、削除しています。
ノエルは神話の話を続ける前に、ミカに頼んでユーゴくんをここに呼んだ。
隠されていた神話の事が気になるが、専門家であるユーゴくんにも聞いておいてもらいたいらしい。
そのような経緯があり、仕事終わりのユーゴくんが召喚されたのだった。
「ユーゴくん、いらっしゃい」
「……」
「……ユーゴくん?」
魔法薬学準備室に入って来た彼は、めずらしく表情が硬い。そして、どこか怒っているようにも見えた。
「ノエルさん、その方が……エルヴェシウス卿ですね?」
「ああ、間違いない」
「そう……ですか」
榛色の瞳に宿るのは明確な敵意で。
彼も嫌悪や憎悪を感じることがあるのかと、驚かされた。
いつもは人懐っこくて笑顔がデフォルトのユーゴくんが見せる表情だからこそ、今の彼を見ていると心がざわつく。
「ユーゴくん、大丈夫?」
このまま放っておいてはいけないと察して声を掛けてみるが、ユーゴくんはジュリアンから目を逸らさない。
私の声が届かないほど、ジュリアンに意識を集中させているようだ。
どうしたものかと悩んでいると、ノエルがユーゴくんの頭をコツンと軽く小突いた。
「ユーゴ、私との契約を忘れるな」
「うっ……忘れていませんよ」
「覚えているなら、その怖い顔をどうにかするんだ」
彼らが言う契約が、どのような内容であるのかはわからない。
ひとつ、わかっている事は、ノエルには有利であるという事だけ。
というのも、ノエルは笑顔だけれど、ユーゴくんは真っ蒼になって自分の胸に手を当てているのだ。
まるで、ユーゴくんがノエルに何かしらの弱みを握られているように見える。
「君がユーゴ・ランバートか。子どものような見目だな。先ほど話していた学生たちと変わらない年齢に見える」
「いきなり失礼ですね! 僕はれっきとした大人ですよ!」
童顔である事を気にしているようで、頬を膨らませてジュリアンに抗議している。
そのようなところがまた、可愛らしく見えてしまうのだけれど……。
言えばユーゴくんがまたショックを受けそうな気がしたから、黙って見守った。
「二人とも、話が進まないから、言い合いはそこまでにしよう」
このままでは埒が明かないだろうと予見したノエルが二人の間に入る。
この場の進行役を務める事にしたようだ。
ノエルに注意されたユーゴくんは、しゅんとしおらしくなる。
彼の頭に、力なく垂れ下がった犬耳の幻覚が見えてしまった。
「エルヴェシウス卿、そろそろ本題に入ってくれ」
「わかった。父上が隠していた神話について教えよう。その前に、ユーゴ・ランバートには言わなければならない事がある」
ジュリアンは水色の瞳を動かし、ユーゴくんを真っ直ぐに見つめた。
(一体、何のことなのかしら?)
ユーゴくんもまた、ジュリアンの「言わなければならない事」に見当がつかないようで、訝し気な表情を浮かべている。
「私は父上を追放するつもりだ。今はその為に味方を探している。だから、ユーゴ・ランバートの敵ではない」
「……あなたがエルヴェシウス伯爵と敵対しているのなら、どうしてもっと早くにお師匠様たちを助けてくれなかったんですか?」
早く味方になってくれたら、メアリさんとメアリさんのお父さんは苦しまなくて済んだのに。
そう非難しているように聞こえた。
(ああ、なるほど。エルヴェシウス伯爵家もメアリさんたちを追放した貴族の一つだから、許せないんだわ)
大切なメアリさんを傷つけた人たちだから、本当は復讐をしたいくらい憎いのだろう。
ユーゴくんがその気持ちを口にしなくても、ジュリアンを睨みつける眼差しで、彼に抱いていている感情が見て取れる。
「一介の実験体に過ぎない私に、他人を助ける力なんて無かった」
「実験体……?」
「私は父上が魔術の研究をする為に生み出された存在に過ぎない。エルヴェシウス伯爵家を継ぐ兄も、もしもの時の代役もすでにいるから」
「……」
よもやジュリアンもエルヴェシウス伯爵の被害者だとは思っていなかったようで。
なぜかユーゴくんは泣きそうな顔になった。
ジュリアンの境遇に、ユーゴくんが涙している。
憎いと思っている相手の悲運に傷ついてしまうのだ。
改めて、優しい心の持ち主だと思う。
二人の会話を見守っていたノエルが、ユーゴくんの肩に手を置いた。
それはまるで、ユーゴくんを励ましているような所作だった。
「まずはエルヴェシウス卿、隠されていた神話について、もう少し詳しく聞かせてもらえないだろうか?」
「わかった。私が知る限りの話を教えよう」
「ユーゴはこれまでの研究内容とエルヴェシウス卿の話を照らし合わせてくれ」
「任せてください! 遺跡の調査で培った知識を活かしてみせますからね!」
歴史学者の弟子として頼られるのは嬉しいようで、ユーゴくんは少し元気を取り戻したようだ。
魔術省の仕事を上手くこなしているけれど、やはり彼の本職は歴史の研究だと思う。
(早くすべてが解決して、元の生活に戻れたらいいのだけれど……)
邪神についての手掛かりがあまりない今の状態で、いつこの事態が収束するのかわからない。
それに、こればかりはウィザラバで得た情報が役に立たないのだ。
正直に言うと、不安と焦りを感じている。
「まずは文献について話しておこう。父上は旧バザン男爵領のセラで偶然発見した民話大全を読んで聖遺物と邪神の関係性を見出した」
「禁書として焼かれた本ですね。複写本も全て焼却されたと聞きました」
かつてバザン男爵領にいた歴史学者によって編纂された民話大全があったらしい。
その歴史学者もまた、エルヴェシウス伯爵たちによって追放され、学者としての地位を失ったようだ。
「その本に聖遺物についての記述があったから、それを隠すために禁書扱いにしていたが、屋敷にある実験室にはその原本が残されている」
「聖遺物の記述とは、どのような内容だったんですか?」
「……女神がグウェナエルと共に訪れた場所が書かれていた。かつて旧バザン男爵領に住んでいた住民が、グウェナエルと言葉を交わした時に聞いたようだ」
その場所を辿ってみると、女神とグウェナエルが訪れた街はもれなく「セラ」と言う名だったそうだ。
ジュリアンの話によると、女神は王国各地を渡り歩き、ゆく先々で人々の願いを叶えては、聖遺物を封印する場所を譲ってもらっていたらしい。
(女神様はどうして、聖遺物を人間に託したのかしら?)
聖遺物を使った実験をされたジュリアンの話から考えると、聖遺物には月の力と邪神の思念のようなものが封印されているように思える。
邪神が持っている月の力を分散させる事だけが目的なら、わざわざ人間に頼まなくても良かったはずだ。
封印した物を大切に保管してもらう為に、声を掛けていったのだろうか。
謎が、深まるばかりだ。
「父上はそこに書かれている領地を特定し、聖遺物を奪う為にマルロー公爵閣下と手を組んだ」
「だから、近年没落していた家門の領地がことごとくマルロー公やその仲間のものになっていたんですね。仲間の領地になれば聖遺物を回収しやすい」
つくづく、身勝手で卑怯な奴らだ。
これ以上、彼らの身勝手さで被害者を増やしたくない。
(一刻も早く止めないと、エリシャやジュリアンのような被害者が増えてしまう……!)
それに、封印されていた力を悪用されると、いつかしっぺ返しのように厄災が降りかかるようなきがしてならない。
神話に描かれる不幸な出来事は、いつだって身勝手な人間の傲慢さが引き起こしたものだ。
その破滅の道が今、口を開けて私たちを待っているように思える。
「次に狙われそうな家門はわかりますか?」
「……ビゼー伯爵領だ」
「えっ?!」
覚えのある名前が出てきて、頭の中が真っ白になった。
ビゼー伯爵――つまり、ジスラン様の領地が狙われているという事になる。
「ど、どうしよう……。ジスラン様たちが危ないわ」
「……」
「早くジスラン様に知らせないといけないわ――んぎゃっ!」
不意打ちでノエルに抱きしめられてしまい、変な声を出してしまった。
いい加減、人前でいきなり抱きしめてくるのは止めてほしい。
「ビゼー卿の事は私がなんとかするから、それ以上考えないでくれ」
「……ノエル・ファビウスは噂以上に嫉妬深いな」
「レティシアさんの事となると顔色が変わりますからね」
ユーゴくんとジュリアンから向けられる視線に、いたたまれない気持ちになった。
更新お待たせしました!
レティの昔の片想いの相手の名前が出てきたせいで、ノエルはメラメラと嫉妬の炎を燃やしているようです。




