第八話
「シビル、起きてください」
「はっ!」
わたくしは正気を取り戻した。完全に意識が飛んでいたようだ。
いつの間にかクリスタル公爵家に戻っていて、わたくしは私室でドレスのままソファに座っている。
「わ、わたくし、いったい……?」
「パーティー会場を後にして馬車を乗り込んだら、『やくそうをちょうだい……』と呟いて意識を失われました」
な、なんてこと……!
オズワルド殿下の王子オーラを浴びすぎてHPを失ってしまったようね……さすが攻略対象、乙女の意識を奪うなんて朝飯前……!
というか、それどころじゃない。
「どっ、どうしましょうルチア、わたくし不敬罪で早々に処刑されてしまうかもしれないわ……!」
「しっかりしてください、シビル。
シビルはまだ10歳ですし初犯ですから、ギリギリ重罪にはならないはずです。
禁固刑くらいで済みますよ」
「やっぱり捕まるのね!?」
「冗談です」
とりあえず落ち着いて今日の出来事を振り替える。
わたくしの二回目の社交場体験はまたもや失敗に終わったようだけど、まあ、そっちの失敗は別にいいの。問題は殿下よ!
ルチアが重々しく口を開く。
「恐らく、オズワルド殿下に『汚れドレスの君』として強烈なインパクトを与えることには成功したでしょう」
「そんなインパクトを与えてもなんの意味もないんじゃ……?」
今回のミッションは完全に大失敗と言えよう。
殿下とコンタクトをとっただけではダメなのに、今後の進展がさっぱり期待できない大失態。
わたくしはそこで大変なことに気が付いた。
「……今回のことで殿下がわたくしを嫌がったら、婚約者になることすらできなくなったのでは!?」
どうしよう。
マリベルたんを迎える時期を早めるどころか、そもそも引き取ることもなくなってしまうかもしれない……!
「それは大丈夫でしょう。シビルはもともとあまり外聞が良くないではありませんか。
その状態でも婚約者に決まったのなら、今回のことくらいで変わらないでしょう」
「そ、そうよね!」
「まあ、噂で聞いていただけの悪評と、実際に会ったときの大失態では、印象が大違いだとは思いますが」
「そ、そうよね……」
わたくしはがっかりと肩を落とした。
オズワルド殿下はマリベルたんに負けないくらい優しい男性だったからきっと大丈夫、だと思いたい。
うなだれるわたくしをよそに、ルチアは平然と「いつまでそのドレスでいるんです?」と馬鹿にしてくる。
「もう、ルチアったら! もっと真剣に考えてくれる!?」
ルチアはやれやれと言う感じでため息をついた。
「シビルの痴態はさておき。
まだ結果は分かりませんよ」
「えっ? でも……」
「数日待ってみましょう」
ルチアは人差し指を立て、表情は変えないまま器用にウィンクした。
***
それから数日、心ここにあらずの状態で過ごした。
今日もソファでぐったりして動く気分になれない。
「そういえば、少し確認したいのですが」
お茶の用意をしてくれていたルチアが、わたくしをソファに座り直させながら聞いてきた。
「なあに……?」
「攻略対象とやらの詳細を教えてくれませんか?」
「あら、まだ話していなかったかしら……」
「はい。今後のためにも知っておくべきかと。
シビルはずいぶんとオズワルド殿下がお気に入りのようですし」
ルチアが険のある言い方をして来たので、きっぱり否定しておいた。無用の誤解は生むべきではないわ。
「違うわ、ルチア。
わたくし、顔が良い人間に弱いだけなの!」
めちゃめちゃ白い目をされた。
「本当に本当よ。前世ではあんなに光輝く美形なんてテレビでもめったに見なかったわ!
正直、ルチアでもじっと顔を見ると照れちゃうくらいなんだから、オズワルド殿下まで行ったら失神くらいするわよ」
「……それは、私の顔を誉めていらっしゃるのですか?」
「もちろん。あなたほどの美少女、他にはマリベルたんくらいよ」
一気に複雑そうな表情をしつつ、ルチアはとりあえず理解はしてくれたようだ。
「殿下については冗談として。
シビルが随分とクラレンス卿のことを邪険にしているのが気になります」
「わたくしは邪険にしているつもりはないけど……。
まあ、とりあえず教えるわね」
『ナナハナ』の攻略対象は全部で5人。ほぼ全員、マリベルがフォレスター学園に入学してから出会うことになる。
「まずは、オズワルド・フォレスター殿下。
黒髪青目の美少年で、穏和で優しく紳士的。メイン格のキャラクター……ゲームの製作者が想定する、最も正しいルートの攻略対象よ。
なんといっても王子様だしね!」
「弱冠10歳にして既に頭角を表しているそうですね」
さすがにルチアもどんな方かは知っているようだ。
まあ、この国の王子様だものね。有名人中の有名人だわ。
「次に、クラレンス・マクブライド。
マクブライド公爵家のご令息で、正義感が強くて身体能力もすごく高いの。将来殿下の側近になるために日夜努力を続けているのよ。
……ただ、わたくしはちょっと苦手だけど」
「邪険にしている理由ですか?」
確かにクラレンスとわたくしは仲が悪い。
でも、わたくしが邪険にしているわけではなく……。
「以前わたくしが唯一参加したお茶会に、クラレンス様もみえていたの。妹さんの付き添いでね。
そこでわたくしがめちゃめちゃしたものだから、クラレンス様がブチ切れて、わたくしを退場させたのよ。
それ以降クラレンス様はわたくしのことが大嫌いなの」
「そういうことだったんですね」
『ナナハナ』で最初からシビルを目の敵にしているのはクラレンス様だけなのよね。他の攻略対象は、シビルの猫をかぶったところしか知らないか、初対面だし……。
これからのマリベルたんとの生活を脅かしてきそうだから、あまり刺激したくはなかったのだけれど……パーティーでの様子を見るに、既にばっちり嫌われていたわね。
まあ、クラレンス対策は今後考えるとして。
「三人目は、ステュアート・レスター。レスター伯爵家のご令息よ。
最初はチャラチャラしていて、いろんな女の子を引っかけ回している軟派男なんだけれど、実は家庭環境が複雑で、本当の愛が分からずにもがいているの」
「パーティーにいらっしゃった方ですね。
今まで聞いたことのない名でしたが」
「下級貴族で有名な家系でもないからね」
彼はごく普通の貴族だから、知らなくても無理はない。
……普通の貴族、というのも変な話だけれど。
「最後に、ルチアーノ・リース。リース男爵家のご令息よ。
常に冷静沈着な美少年で、すごく頭がいいし能力も高いの。
元は孤児なんだけど、子供がいなかったリース男爵家に『フォレスター学園で貴族たちの弱味を探らせる』目的で孤児院から引き取られて貴族になったの。
……そういえば、ルチアに似ているかも」
「はい?」
「ルチアーノ様よ。ルチアに似ているわ。
銀髪で紫色の瞳だし、言われてみれば名前も似ているわね」
「そうですね……」
元々は孤児で平民街にいたという境遇も、ルチアに似ている。まあ、ルチアは孤児院には入らなかったんだけど。
ルチアーノ様は長い前髪で顔の左半分が隠れている、いわゆる“メカクレ”のキャラクターデザインだったからはっきりとは言えないけど、ルチアと目鼻立ちも似ている気が……。
「……も、もしかしてルチア、ルチアーノ様の妹とかだったりする?」
「……兄はいませんが」
「そ、そうよね! 良かったわ……!」
まあ、この世界では銀髪も紫の瞳も珍しい訳じゃないし、偶然よね!
「ところで、あと一人は?」
「え? ああ、五人目の攻略対象ね。
実は、そのことなんだけど……」
『ナナハナ』には五人の攻略対象がいて、四人までは公式に紹介されていたけれど、五人目だけは分からないようになっている。ゲームをプレイしていくなかで、ある条件をクリアしてはじめて、攻略できるようになるのだ。
その条件というのが……。
「分からないのよ」
「はい?」
「だから、分からないの。
わたくし、五人目をクリアしたことがないから」
クリア以前に、実は誰かも分からない。
「前も言ったけれど、わたくし前世ではものすごく忙しい合間を縫ってゲームをしていたの。
だから、攻略情報を見る余裕がなくって……そんなの見るよりマリベルたんを見ていたかったし……だから、完全クリアはしていないのよ」
「……………………」
ルチアが完全に黙り込んでしまった。
「……ま、まあ、隠しキャラクターだから、ほとんど重要でもないわよ。条件が揃わなければ出てすら来ないキャラクターなんだから。
展開を変えようとしているわけでもないのだし」
わたくしはルチアが用意してくれたお茶で喉を潤した。たくさん喋るとお茶がさらに美味しいわ。
用意されていたマドレーヌに手を出そうとしたところで、なにか考えていたルチアが口を開いた。
「……本当に、変えなくてよろしいのですか?」
「えっ?」
「シビルから聞いている話を総合すると、要するにあなたは物語の悪役で、最終的に死ぬというストーリーなんでしょう。
今から対策を考えれば、死ぬ運命は回避できるのでは?」
「…………」
ルチアはわたくしが取ろうとしていたマドレーヌの方を見ている。目が合わないから、どういう気持ちでこう言っているのかは分からない。
わたくしは座り直して、いつになく真剣な顔をした。
「……以前も言ったけど、この世界は『七色の花束をあなたに』という物語なのだから、わたくしがどう対策したって最終的なところは変わらないのよ。
安心してちょうだい。マリベルを無事迎えられたら、あなたはマリベルの侍従につける予定だから――」
「どういうことですか?」
ルチアはついに顔をあげ、わたくしを見た。
いつも通りの無表情、だけど……瞳の奥が揺れているように見える。
「わたくしの侍従のままだと、わたくしが破滅したときに巻き込まれそうで心配なんでしょう?
マリベルの侍従につければ、あなたの将来は安泰に……」
「私は」
ルチアがわたくしの言葉を遮る。
「あなた以外に仕える気はありません」
表情は変えないまま、ルチアはきっぱり言い切った。
紫色の瞳に揺らぎはない。本当に、そうするつもりのようだ。
「で、でも、わたくしは悪役令嬢なのよ。将来的には処刑されるのよ。
そばにいたら、あなたまで罪に問われてしまうかもしれないでしょう」
「それが?」
「それがって……」
ルチアはすっと目を細める。どういう感情でいるのかは分からない。ルチアはいつも上手に感情を隠してしまう。
でも、すごく冷たい目だ。
「あなたは悪役としての役割を全うするつもりなのでしょう?
悪役なら、私のことを心配などしないでしょう」
「でも……」
確かに、『ナナハナ』のシビルだったら、侍従のことなんか心配しないはずだ。悪役令嬢としてはおかしなことを言っているのかもしれない。
でも……この数ヵ月間、家族よりも、使用人よりも、友達よりも近くにいたのは、ルチアだ。
「……わたくしにとっては、ルチアは家族みたいなものだから。
大事な妹と一緒に、幸せになってほしいわ」
ルチアは静かになった。
ちらっと盗み見ると、表情は変わっていないけど、冷たい感じはしない。
「……家族ですか」
ルチアはふーっと長いため息をついた。
「あの……ルチア?」
「……まあ、上々ですね。
あなたの気持ちは分かりました。
ですが、やはりあなた以外に仕える気はありません」
「でも……」
「ご心配なく。上手くやるつもりですから」
ルチアは口のはしを少し上げた。たぶん笑っているんだろう。
まあ、確かにルチアなら『シビルにこきつかわれて辛かった』とか、上手に証言してくれるでしょうけど……万が一のことがあったら嫌だから、マリベルたんの侍従につけるつもりだったのに。
……ん? 待って。
よく考えたら、ルチアとの雇用契約は、『マリベルたんをお迎えする手伝いをしてもらうこと』。ルチアはマリベルたんが我が家に来たら契約を達成できて、我が家にいる理由もなくなる。
そうか、なるほど! マリベルたんをお迎えできたらルチアはわたくしとの雇用契約を解除するつもりなんだわ!
全然気づかなかった。『契約が達成できたので退職します』っていうことね。
だから、マリベルたんの侍従になるのを嫌がるんだわ。辞めるつもりなのに次の契約をしたら辞められなくなるものね。
きっとわたくしに気を使って、辞めたいことはまだ言わないでいてくれてるんだわ。寂しいけれど、辞めたい職員を辞めさせないなんてブラック企業にはなりたくないもの。ルチアの意思を尊重してあげたい。
「そうよね! ごめんなさい。ありがとう、ルチア」
わたくしがうんうん頷きながらそう言うと、ルチアは不思議そうにしつつ「分かってくれればいいんです」と返事をしてくれた。
「計画も順調に進んでいます」
「計画?」
「はい」
ルチアはどこからともなく取り出した箱をテーブルに置いた。厚みは薄いけどそこそこ大きめの箱だ。
「前置きのつもりが長くなってしまいましたが。
シビルにプレゼントが届きました」
そして一通の手紙を渡してくれる。
わたくしにプレゼント? 誰から?
父はあり得ないし、他にプレゼントをくれるような人に全く心当たりがない。
不思議に思いながら封筒を開ける。
「えっと……『先日はありがとうございました』……『オズワルド』……えっ?
こ、これ、まさか」
「はい。オズワルド殿下からです」
「じゃあ、このプレゼントも……!?」
「ええ、殿下からです。
開けてみますか?」
わたくしがこくこく頷くと、ルチアがそっと包装紙をとって箱を開けてくれる。
箱の中には、ドレスが入っていた。淡いブルーの生地に細かな刺繍が施された高級そうなものだ。
「こ、こんな高そうなものを……初対面のただの令嬢に贈るの?」
「汚したお詫び、ということでしょう」
「王子ともなるとこんな気を使わなくちゃいけないのね……」
わたくしは殿下を哀れんで涙ぐみつつ、手紙とドレスを慎重にしまった。
「……当初の目的は果たせたわね」
「はい。思ったより良い成果が出ましたね」
「そうよね。殿下には悪いけれど、活用させてもらいましょう!
そうと決まれば、さっそくお父様に報告を……」
「お待ち下さい」
立ち上がりかけたわたくしをルチアが止める。
「私に良い考えがあります」
***