第七話②
ドリンクを飲み干してふうっとため息をつくと、ようやく気分が落ち着いてきた。
おかげで、少し離れたところできゃあきゃあ言っている人の固まりにようやく気がつく。
「……なにあれ?」
「どこかのご令息と、ご令嬢方のようですよ。
先程からずいぶんと盛り上がっておいででした」
ルチアの言葉通り、人混みの真ん中に男の子が一人。周りを2、3人のご令嬢が囲んで楽しそうにおしゃべりしている。
「……こんなに可愛いお姫様たちに会えるなんて、ボクはツイてるな。
今日は参加して良かったよ」
「もう、いやですわ。
お上手ですのね、ステュアート様ったら」
……聞いたことのある名前が聞こえた気がする。
いやいや、よくある名前よね。まさかそんな、攻略対象がこんなに固まっているわけ……。
と思いつつ、真ん中にいるご令息を注視する。
ふわふわと癖のついた金髪に、整った甘いマスク。
微笑んでいるけれど、よく見ると赤い瞳の奥は笑っていない。
『ナナハナ』でも屈指のプレイボーイによく似た姿だった。
……というか、たぶん同一人物だ。
「!」
まじまじと見ていたら、ぱちっと目があってしまった。
思わず目をそらしたけれど、たぶん気付かれているだろう。
ま、まさか、攻略対象のうち3人に出会ってしまうなんて。
交流したいのはオズワルド殿下だけだったのに……。
いえ、まだ大丈夫よ。クラレンスとも話しちゃったけど嫌われてそうだったし、もう一人は目があっただけだもの。大丈夫、大丈夫……。
「――きみ、大丈夫? 具合でも悪いの?」
「ええ、大丈夫よ。わたくしは大丈夫」
「そう? じゃあ、さっきのはやっぱりアピールだったのかな。
お話ししたいなら、声をかけてくれたらいいのに」
ハッと顔を上げると、目の前に金髪の美少年が立っていた。
美少年はにっこりと微笑み、固まるわたくしから空のグラスをとりあげて新しいドリンクを持たせてくれる。
「あ……い、いえ、たまたま、そちらを見ていたらたまたまあなたがいただけですわ!」
「そうなの? 残念だなぁ」
そう言いつつ、美少年は微笑んだままだ。
わたくしの焦りに気付いたのか、後ろに控えていたルチアがすっと前に出てきた。
「失礼。主人とお話ししたいのなら、まずは身分を明かすべきではありませんか?」
「ああ、ごめんね。びっくりさせちゃったかな。
ボクはステュアート・アップルビーだよ」
……やっぱり。
『ナナハナ』の攻略対象の一人。
女ったらしのフェミニスト――ステュアート・アップルビーだ。
わたくしはめまいがしそうになった。
婚約者になる予定のオズワルド殿下や、幼少期から知り合いの設定のクラレンスはまだいい。
でもステュアートは、本来はフォレスター学園で初めて出会うはずなのに。
どうしよう?
わたくしが安易にパーティーに出席したせいで、物語が変に狂ってしまったら……。
「お嬢様? 大丈夫ですか?」
わたくしの様子がおかしいことに気付いたルチアが声をかけてくれる。
「ええ……大丈夫よ。ちょっと……人酔いしたのかも。パーティーなんて久々だから」
「ですが……」
「どうしたの? やっぱり具合が悪かったのかな。
レストルームがあるはずだから、ボクが連れていくよ」
ステュアートも心配してくれるけど、ルチアがきっぱりと断った。
「結構です。私がお連れしますので」
「女の子には大変でしょ。手を貸すよ」
「いいえ。どこの誰とも知らない方に主人をお任せできません」
「これは手厳しい。名乗ったのになぁ」
苦笑混じりの言葉を聞いて、ハッと気付いた。
そうだわ、わたくしまだ名乗ってない。もしかしたらわたくしがシビル・クリスタルだとは気付いていないかも。
攻略対象とは交流しないほうがいいでしょうし、このままそっとフェードアウトしよう。
「わたくしはちょっと休んでいますから、ご心配ならないでください。
また機会があったらお会いできますわ。
それより、後ろの方たちがお呼びみたいですから、戻って差し上げては?」
彼の後ろでは先程まで話していた令嬢たちがこちらを遠巻きに見ている。
たぶん彼女たちはわたくしの正体に気付いていて、彼と話したくてもわたくしが怖くて話しかけられないのでしょう。
女性をむげにできるわけもないステュアートは、心配そうにしながら頷いてくれた。
「……そう。わかった。
じゃあボクは行くけど、なにかあったらいつでも呼んでね。お嬢さん」
令嬢たちの方へ戻っていく背中を見送ってから、わたくしはへなへなと力尽きた。
ルチアが椅子を持ってきてくれる。
「どうしたんです?」
「……彼も、攻略対象の一人よ。
どうしてこんなに出会っちゃうのかしら。
クラレンスはまあいっかと思えるけど、まさか彼にも会っちゃうなんて……。
ハッ! もしや、ルチアーノ・リースもいたりしないわよね!?」
キョロキョロ辺りを見回すけれど、銀髪の少年はとりあえず見当たらなかった。
というか、ルチアーノ・リースは今の時期はまだ平民街にいるわ。パーティーにいるはずないわよね。
「ふう、危ない危ない……。
わたくしが幼少期の出会いイベントとかしてもなんの意味もないんだから、そういうラッキーはマリベルたんに起きてほしいわ」
「……攻略対象に会うのは良くないのですか?」
「そんなことないけど、シナリオがおかしくなってマリベルたんに不利になっちゃったら嫌でしょ。
なるべく接触しない方がいいかなって。
まさか攻略対象がこんなに集まっているだなんて思わなかったから、びっくりしちゃったわ……」
「……お嬢様、ご気分は大丈夫ですか?」
「ええ、だからさっきはびっくりしただけで……あれ?」
ルチアがわたくしをお嬢様と呼ぶのは、誰かが近くにいるとき。
ということは、誰かが近づいてきたということ?
慌てて顔をあげると、そこには――。
「シビル嬢? ご気分が優れないのですか?」
心配そうにわたくしを見つめるオズワルド殿下が立っていた。
「でっ……!?」
わたくしは慌てて椅子から立ち上がる。
どうして殿下が? もうご挨拶が終わったの?
「殿下っ、さ、先ほどは失礼しまして、ゲホッゲホッ!」
驚きすぎて噎せこむと、オズワルド殿下が心配そうに駆け寄ってくれる。
「だ、大丈夫ですか?」
「だっ、ゴホッ、大丈夫、ですわ!」
わたくしが微笑んで見せると、殿下は申し訳なさそうな表情をした。
「先ほどは失礼しました。クラレンスはいつもはああではないのです。
もしかして、それでご気分を害されたのではと思い……」
なるほど。わたくしの心配も嘘ではないでしょうけど、友人のクラレンス様の評価も下げないようフォローしに来たってわけね。
弱冠10歳でなんてできた王子様なのかしら……!
「いえ、ご心配をおかけして申し訳ありません。
少し考え事をしていただけですわ。ありがとうございます」
わたくしは殿下のお心に免じてにこやかに微笑み『気にしていません』というポーズをとる。
それを見て殿下がほっとした表情をしかけたけれど、急に下の方を見て驚いた表情になった。
「シビル嬢、ドレスが……」
「ドレス? ……!?」
わたくしは殿下の視線を追い、絶句した。
立ち上がった拍子に持っていたドリンクをこぼしたようで、あたりにドリンクが飛び散っている。
わたくしのドレスにも、当然ひっかかっている。
なんてこと! せっかく新調したドレスをさっそく汚すなんて……しかも殿下の前で!
「もっ、申し訳ありません、お見苦しくて……」
「いえ! 僕が急に声をかけたからですよね……」
ああ、オズワルド殿下の表情が見るまに曇っていく。
あんなに笑顔が素晴らしかったオズワルド殿下なのに、こんな表情をさせてしまうとは……。
いえ、ここでうろたえては悪役令嬢の名折れね! こういう時こそバンと構えて見せるわ!
「違いますわ殿下。これはわたくしの不注意です。
わたくしが他人に自分の不始末を押し付けるような女性に見えまして?」
わたくしは仁王立ちのポーズをとった。悪役令嬢よろしく髪をファサッとかきあげながら強気に言い放つ。
「い、いえ、そんなことは」
「まあ、良かったですわ。そんな評価を頂いていたら恥ずかしいですもの。
それに、これくらいの汚れなら、ドレスを……洗えばいいだけですわ!」
どうかしら、この悪役令嬢っぷり!
いかに前世の記憶があろうとも、悪役令嬢を見事に演じて見せますわ!
「……お嬢様、そこは『こんなもの捨てて買い替えれば』などと発言して、財力アピールと普段からの無駄遣いを匂わせるところでは」
「ハッ……!」
ルチアがそっと耳打ちしてくれて気付いた。
しまった。物持ちのよさをアピールしてしまったわ……!
「……ふふっ」
オズワルド殿下の方からそんな声がした。思わず顔をあげると、オズワルド殿下が――笑っている。
さっきまでとは違う、年齢相応の子供っぽい微笑みだ。
――『王子様』がふと見せる素の微笑みって、さらに破壊力が高い……!
目の前がクラクラしたように感じて、慌ててぎゅっと目をつぶった。
危ない危ない、わたくしは所詮悪役令嬢。彼を攻略するのはマリベルたんなのだから、キュンキュンしている場合ではないわ。
「あ、失礼……思っていた方と印象が違うようでしたので、つい。
シビル嬢のお心遣い、感謝いたします」
オズワルド殿下はその微笑みのままわたくしに真っ直ぐ向き直った。
まっ、眩しいわ! 動悸が止まらない!
もう心臓が持たない。引き際も肝心よ、わたくし……!
「いえっ、こちらこそ、お気遣いありがとうございます。
えーっと……このようなお見苦しい姿でいるわけには参りませんし、わたくしはここで失礼させて頂きますわっ!」
「ですが、シビル嬢……」
オズワルド殿下がなにか言おうとしたとき、パーティー会場の真ん中がわっと賑やかになった。クラレンスが何かを案内しているようだ。
「……お集まりの皆様、ご注目ください。
只今より本日の特別ゲストからご挨拶を頂きます……」
漏れ聞こえる言葉を察するに、殿下から会場に向けて一言頂こうということなのだろう。
「お呼びのようですし、またお邪魔するわけにもいきませんわ。
今日はありがとうございました、オズワルド殿下。
それではごきげんよう、オズワルド殿下」
わたくしは微笑みかけてお辞儀をする。
「……はい。
また、お会いしましょう」
オズワルド殿下は最後の最後に、とびっきりの王子様オーラと共に微笑んでくれた。
***