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第六話


 ――信じられなくて、力なくへたり込んだ。


 手からスマートフォンが零れ落ち、床にカツンとあたる音がどこか遠く聞こえる。

 耳鳴りがしてなにも考えられない。


 嘘よ。そんなこと、ありえない。

 まさか、だって、朝までは元気だったじゃない。


 こんな、こんな風に――終わってしまう、なんて。


 力が入らない身体が重たくてたまらない。

 目の前が真っ暗になって、なにも見えなくなって、世界が真っ暗になって――。




 そこで、目を覚ました。


「…………っ!!」


 ガバッと飛び起きる。

 ふかふかの高級ベッドが跳ねる感覚で、自分が今どこにいるのか思い出した。


「……夢、だったのね」


 まだドキドキする心臓を手で押さえながら、わたくしはため息をついた。


 どうやら悪夢を見たらしい。


 寝つけなくてベッドの中でゴロゴロしていたことまでは覚えているけど、せっかく寝れたのに悪夢で起きるなんて最悪だわ……。


 しかも、あれは前世の“私”の夢だった。

 そういえば――前世の暦に照らし合わせると今日は“命日”だ。

 前世の“私”が経験した、“終わりの日”……。


 寝不足が祟ったこともあるけれど、まだ前世の記憶を思い出したばかりなこともあって、前世の嫌な思い出が夢にも反映されてしまったのかもしれない。

 枕元に置かれた時計を見ると、まだ朝になるまでだいぶ時間がかかるようだ。

 ぶるっと身体が震えて、思わず肩を抱く。


「……今寝たら、また悪夢を見そうだわ」


 一人で寝ることには慣れているはずなのに、どうしてもそのまま寝ようとは思えなかった。

 ベッドから降りてそっと部屋を出る。

 私室の隣の部屋には、ルチアがいるはずだ。

 夜中にいきなり押し掛けるのはどうかと思うけれど、もしかして起きていたりしたら少しお話してもらおう。誰かと話せばたぶん気もまぎれるわ。

 わたくしまだ10歳の幼女だし、少しくらい甘えてもいいわよね。うん。

 言い訳を考えつつそっと扉をノックしようとして、その扉がガチャッと開いた。


「る、ルチア?」

「シビル? ……どうしたんですか?」


 ルチアは少し目を見開いている。たぶん驚かせてしまったのだろう。

 夜中に部屋の前に誰かいたら、いくらルチアでもびっくりするわよね。


「ごめんなさい、驚かせて。

 ちょっと怖い夢を見て、起きちゃって……」


 ルチアはぱちぱちと何度か瞬きをした。たぶん、「で?」と思っているに違いない。

 「悪夢を見て怖いからお部屋にいれて」と言いに来たわけだけど、冷静になったら恥ずかしくて言いづらくなってしまった。

 ルチアは部屋を出るところだった――つまりどこかに行こうとしているみたいだし、やっぱりやめとこうかしら……。

 と、悩みかけたところで、ルチアが「どうぞ」とわたくしを部屋に通してくれた。


 察してくれたのかしら。ルチアは優しいわ……。


 見慣れないルチアの部屋だけど、灯りがついているのを見てほっとする。

 ところが、わたくしを部屋に入れるだけ入れて、ルチアはまた部屋を出ていこうとした。


「ルチア? ど、どこか行くの……?」

「少しだけですから、待っていてくださいますか?」

「で、でも……」


 一人でいるのが怖いから来たのに――とはさすがに言えなくて口ごもると、ルチアはわたくしの肩にそっとストールをかけてくれた。


「すぐに戻ります」

「……分かったわ。待ってる」


 ルチアの声がいつになく優しく聞こえて、わたくしは頷く。

 勝手に押しかけておいてわがままを言ってはダメよね。反省。


 ルチアが出て行き、扉が閉まると一気に部屋が静かになった気がした。

 気を紛らわそうと部屋を見回してみる。


 ルチアの部屋に入るのは初めてだった。

 部屋には最低限必要な家具以外ほとんど物がなく、見事に殺風景だ。

 唯一窓際に置かれた文机には本が乗っていて、椅子は今さっき立ち上がったばかりというように斜めを向いている。


「本を読んでいたのかしら。こんなに遅くまで……」


 栞が挟まれた簡所を開いてみると、細かい字がぎっちり無数に並んでいた。

 たぶん書斎にあった本のどれかだと思うけれど、見てもなにかの学問の内容、ということしか分からない。

 粘って数ページ読んでみたけれど目が滑って内容が頭に入ってこず、とてもそれ以上読めそうになかったのでそっと閉じる。


「……何をしているんです?」

「ふぇっ!?」


 びくっとして振り返ると、いつの間にか戻ってきたルチアがティーポットとカップを持って立っていた。


「ご、ごめんなさい、本があったからつい」

「面白かったですか?」

「……わたくしにはよく分からなかったわ」


 促されてソファに座ると、ルチアがポットからカップに何かを注いでくれる。

 ふわっと立ち上がる温かな香りに包まれた気がして、こわばっていた気持ちがほぐれた気がした。


「良い香り……」

「ミルクを温めました」

「わあ、ホットミルクね」


 温かいカップを両手で持つと、冷えていた指先から暖かさが広がっていく。

 一口飲むと、胃に落ちる暖かい感覚に、心までじんわりと暖まった。


「おいしいわ。ありがとう、ルチア」

「……眠れない時に飲むと良いと、以前の職場で聞いたので」


 やっぱり以前のお屋敷は良いところだったのかしら。

 ――いえ、でも、ルチアを折檻したり放り出したりしたんだっけ。ブラック企業だわ。


「ルチアはこんな時間まで本を読んでいたの?

 あまり夜更かしするとお肌にも良くないわよ」

「そうですね」


 ルチアは淡々と答えるが、その目の下にうっすらとクマが浮かんでいる。

 来た時からあまり健康的な表情ではなかったけれど、最近はマシになってきたように思っていたのに。


「もしかして、ルチアも眠れないの?」

「…………ええ、まぁ」


 言葉を濁しているけれど、もしかしたらルチアも嫌な夢を見たのかもしれない。

 ルチアも今まで嫌な体験をたくさんしてきたのだろうから、思い出す悪夢も辛いものだろう。

 ルチアにもホットミルクを勧めようと思ったら、一人分しか用意していなかったようで、ポットはすでに空だった。


「ごめんなさい、全部飲んじゃった……」

「シビルの分だから、いいですよ」


 ルチアは気にしていないようだけれど、わたくしが気にする。

 ……そうだわ。


「ルチア、わたくしまた悪夢を見そうで怖いの。

 良かったら一緒に寝てくれない?」

「え?」

「一人だと怖いのよ。誰かと一緒なら怖い夢も見ないと思うから。

 今日だけでいいから。ね? お願い」


 わたくし寝相は悪くない方だし、今日みたいに寒い日は湯たんぽ代わりになっていいと思うし、わたくしも一人で寝るのが怖いのが本音だし、このうえなく良い解決方法ではなくって?

 せっかく年齢も近い女の子同士なのだし、こういうときは助け合いよね!


「いや、でも……」

「さあさあルチア、もう寝なくちゃ、本当に遅い時間だもの。

 ほら! 早く!」

「…………」


 観念したのか黙り込んでしまったルチアの手を引いてベッドに押し込み、わたくしも隣に滑り込む。

 接近すると分かるけれど、ルチアの体は氷のように冷たい。窓際で本を読んでいたから冷えてしまったのね。

 わたくしはホットミルクのおかげで全身あったかいけれど、こんなに冷たいままではよく眠れないわ。余計に夢見が悪くなっちゃいそう。

 思わずルチアをぎゅっと抱きしめると、ルチアの身体がこわばった。


「すごく冷たいわ。窓際なんかで本を読むからよ」

「…………そう、かも、しれません」

「わたくしホットミルクのおかげであったかいから、わけてあげる」


 抱きしめていたらすこしずつ暖かくなるような気がした。

 これならきっともう悪夢は見ないわ。


「……あ、そういえば、ホットミルクを飲んだのに歯磨きをしてないわ。虫歯になっちゃうかしら」

「そう……ですね」

「まあ、一日くらいいいわよね。朝起てからしっかり磨けば」

「……はい……」

「うふふっ、夜中にお話するなんて、なんか修学旅行の夜みたい。大体恋バナで盛り上がるのよね。

 あっ、修学旅行っていうのは――」

「…………」

「あら? ルチア?」


 小さな寝息が聞こえてくる。どうやら眠れたようだ。

 もう少しおしゃべりしていたかった気もするけれど、わたくしもそろそろ寝なくっちゃ。

 暖かくなったルチアをしっかり抱きしめて、わたくしもゆっくりと目を閉じた。



***



 鳥の鳴き声と暖かな日差しで目が覚めた。

 う〜ん、穏やかな朝ね……。

 いつものことだけどベッドもふかふか。

 貴族令嬢って本当にいい暮らしよね、天蓋付きのお姫様みたいなベッドを常用しているなんて……。

 ……? あれ?


「……わたくしの部屋だわ」


 見回してみると、むやみやたらに豪奢なつくりの私室が目に入った。

 あれ? 昨日、ルチアの部屋でルチアと一緒に寝たんじゃなかったっけ?

 きょろきょろしてもルチアはいないし、ベッドの下に落っこちたりもしていなかった。


 ……もしかして、夢だったとか?


 わたくしが混乱していると、ノックと共にルチアが部屋に入ってきた。


「おはようございます、シビル」


 既に準備は万端で、身なりも整っている。

 特に変わった様子もない、いつも通りのルチアだ。


「おはよう、ルチア。

 ……わたくし、昨日ルチアの部屋に行かなかった?」

「いいえ」


 全くの無表情できっぱり否定された。

 やっぱり夢だったのかしら。そうだとしたら、良い夢だったから別にいいのだけれど……。

 もそもそと起き出して床に足を下ろすと、綺麗に揃えられたスリッパが見えた。

 それを見てピーンと気づく。


 ……わたくしが、こんなに綺麗に揃えるわけないわ。


 ばっと立ち上がってルチアに近づき、ルチアの手をとって握る。

 ルチアの身体がまたこわばった。


「やっぱり、また冷たいわ。もしかして寒いの? 無理していない?

 もっと暖かい洋服を用意しましょうか」

「……いえ、結構です」

「風邪でも引いたら大変よ。

 それに、深夜の読書も健康に良くないから控えること。

 どうしても読みたいならお仕事を減らすようテレサに言ってあげるから、昼間に読んでね?」

「……はい」


 ルチアは観念したように頷く。つまり、昨日のことを認めたと言うことだ。

 やっぱり夢じゃなかったのね。

 たぶんわたくしが寝ている間に移動させたんだわ。わたくしを持ち上げて運ぶのなんて大変だったでしょうに。

 どうしてそうしたのか分からないけれど……もしかして、寝返りついでに殴っちゃったとか? それとも、ただ単純に邪魔だったのかしら。

 それなら仕方がないけれど、せめてよく眠れるようにわたくしが取り計らってあげなくちゃ……。


 ルチアを解放して身支度を整えながら、ふと、今日は気分がスッキリしていることに気づいた。



***

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