第三十九話
「なによ、どうしたの?」
思わせぶりなルチアの様子に、ちょっと焦って声をかける。
「悪役令嬢のセリフを奪ってまで……とおっしゃいましたが、違うのではないでしょうか」
「なにを言ってるの? 違ってないわよ。
あれは確かにわたくしが言うはずのセリフだもの」
「シビーではなく、“悪役令嬢”が言うセリフ、ですよね?」
同じことじゃない。シビル・クリスタルが悪役令嬢なのだから。
ルチアが何を言いたいのか分からず、わたくしはルチアをじっと見た。
ルチアはわたくしをまっすぐ見つめたまま、慎重に言葉を紡ぐ。
「彼女たちは“悪役令嬢のセリフを奪った”のではなくて、“悪役令嬢だから”あのセリフを言った……としたら?
つまり、彼女たちが“悪役令嬢”としての役割を得たのでは……?」
――えーっと、つまり。
わたくしは足りない頭を必死にフル回転させて、ルチアの言葉の意味を考えた。
いいえ、言葉の意味は分かっているのだけれど、それが現実と結びつかない。
だって、わたくしはずっと、自分の役目は『悪役令嬢としてマリベルたんのために散ること』だと思ってきたのに。
その役目が、わたくしから取り巻きたちに変わった。
取り巻きたちが悪役令嬢になった、――なんて。
混乱するわたくしを置いて、ルチアは考察するように腕を組む。
「シビーはマリベル様を害したくない一心で、“悪役令嬢”としての振る舞いを怠ってきました。
それをこの世界が良しとせず、『シビーが役割を果たさないので、他のご令嬢に“悪役令嬢”の役割を与えることにした』とすれば、彼女たちがあのような行動をとっている理由になるのではないでしょうか」
ルチアの言いたいことは分かる。
だって、わたくしがルチアに説明してきたことだわ。『わたくしがどう動こうと、シナリオ通りになるように力が働くはず』って。
それが『わたくしを“悪役令嬢”から外して、他の令嬢を“悪役令嬢”にする』ということになるとは全く予想していなかったけど……。
そこでハッと気が付いた。
取り巻きたちが“悪役令嬢”になった、ということは……。
「それじゃ――わたくしはどうなるの?」
“悪役令嬢”という役割を持っていたはずのわたくしから、“悪役令嬢”という役割が消えた。
それが意味することは……。
「つまり、シビーはもう“悪役令嬢”でもなんでもなく、マリベル様の姉である以外にはこれと言った役割もない、ただのシビーになった、ということでしょう」
ルチアはなんの慈悲もなく、きっぱりあっさりはっきりと言い切った。
なんとも複雑な気持ちだわ。
だって、今日この日まで、わたくしは“悪役令嬢”としての覚悟を持って生きてきたのに、それがいきなり「もうあなたは“悪役令嬢”じゃありません、ただの人ですよ」と言われるなんて。
複雑な表情をするわたくしを見てルチアがため息をつく。
「なんて顔をしているのですか」
「だって……いきなり放り出されたような気分だわ」
「私は安心していますよ」
「そうよね、“悪役令嬢の侍従”じゃなくなったんだものね」
確かに、それはいいことだわ。ルチアの身に危険が迫る確率が下がる。
うんうんと頷くわたくしを見て、しかし、ルチアは首を振った。
そしてふっと微笑む。
「“悪役令嬢”でないなら、もうあなたは死ななくてもいいのですよね」
わたくしがぽかんとするのを見て、ルチアは一層笑みを深くした。
「『“悪役令嬢”として死ぬ定めなのだ』と、あなたは言いました。
でももう、シビーは“悪役令嬢”ではないのですから、死を回避した、ということでしょう?」
ルチアは呆然とするわたくしの手をとり、きゅっと握った。
完全にされるがままのわたくしに笑いかける、初めて見る姿のルチアに、わたくしは言葉も出ない。
「ですから、もう死ぬようなことはしないでください」
ルチアはわたくしをじっと見つめて微笑む。
数瞬遅れて、わたくしは今の状況を把握した。
ルチアに手を握られて、至近距離で見つめられている。
しかも、レアな微笑み付きで。
カーッと顔に熱が上がってくるのを感じながら、わたくしは「ひゃい」とマヌケな返事を絞り出した。
満足げに頷いたルチアは、ゆっくりとわたくしを解放し「早くに判明して良かったです」と嬉しそうにしている。
わたくしは解放された手で真っ赤になっているだろう頬に触れる。
すごく熱い。
美少年に微笑まれると破壊力がやばい、ということは、オズワルド殿下によって証明されていたけれど。
普段無表情な美少年の放つ微笑みが、こんなに素晴らしいなんて……!
これが――ギャップ萌えってやつね!
正直、今までギャップ萌えをちゃんと理解できていなかったわ。いつもはしないレアな表情というのは、見慣れていないせいで余計に攻撃力が高いのね!
まだドキドキする胸を押さえて深呼吸する。
落ち着いてから、ルチアの言葉の意味もちゃんと噛み締める。
ルチアがこんなに喜んでくれるなんて。そして、わたくしの運命をこんなにも心配してくれていたなんて、思わなかった。
気づかなかったけれど、今までもずっと心配してくれていたのかもしれない。
わたくしは「運命だから」と割り切っていたけれど、ルチアはそれでは納得できない程度には、わたくしに「死なないでほしい」と思ってくれているのかもしれない。
そう思うと嬉しくなった。
それに、本当にわたくしが“悪役令嬢”から解放されたのだったら、とてもとても重要なポイントがある。
つまり――もうマリベルたんと仲良くしたって何の問題もない、ということよね?
マリベルたんを傷つけるような言動をとらされるようなこともない、ということよね……!?
なんて素晴らしいの!
今までびくびくしながらマリベルたんと関わっていたけれど、そんな心配をしなくていい。
大手を振ってマリベルたんと一緒に過ごせる。
授業もランチも一緒にいてもいい、もしかしたらお休みの日に一緒に遊びに行ったりすることだってできる……!!
それならとっても良いこ、と――。
うっとりしかけたその瞬間、あることを思い出して、わたくしはハッとした。




