第四話
ルチアを連れ帰ると、使用人たちはひどく混乱しているようだった。
あのまま平民街にいて男たちが何かしてきたら怖いし、ルチアもボロボロだったので、ひとまず我が家に招くことになったのだ。
「テレサ。お客様をお招きしたわ」
「え、ええっ!? お、お客様ですか……?」
メイド長のテレサはビクビクしつつも、ルチアとわたくしを交互に見た。戸惑いと不信感がありありと伝わってくる。
まあそうよね。部屋にこもっているはずのわたくしが何故か外から帰ってきて、さらにボロボロの少女をいきなり連れてきたのだから、その反応も無理はない。
わたくしは有無を言わさぬようにっこり微笑んだ。
「なにか着るものを用意してもらえるかしら?
あとバスタブにお湯を張っておいて」
「は、はいっ……!」
テレサに用意してもらった服をルチアに渡し、とりあえずわたくしの部屋に通した。
ルチアはわたくしの部屋を見まわしてから、「ずいぶんと豪華なお部屋ですね」と呟く。
「ああ、そうね」
ルチアにソファに座るよう促して、わたくしも自分の部屋を見渡した。
確かにいかにも高級品がそろった、贅を尽くしたお部屋だ。
「お父様がお金は好きに使っていいと言って下さるから、好きにそろえたり変えたりしていたの」
「それはそれは。良かったですね」
「そうね。お金さえあげればいいと思っている父にとっては良かったでしょうね」
「はい?」
「父は地位さえあればいい人なの。家族でも愛でもお金でもなくね。
今の地位を保ち、あわよくばもっと上がれるように、それだけを考えている人なの。
家族も愛も分からないから、お金さえ与えれば娘は育つと思ってるのよ」
ハッと気が付くと、ルチアは少し目を見開いている。驚かせてしまったのかもしれない。
いけない、またやってしまったわ。貴族のご令嬢がしていい話じゃないわね。
「コホン。ま、まあ、父のことはいいのよ。
あとでお風呂を使ってちょうだい。着替えはとりあえずその服を着てくれるかしら?」
「……これは……」
ルチアが服を広げて見せる。テレサはメイド用の制服を用意してくれたようだ。
10歳ぐらいの子が着るには少しぶかぶかだけど、まあ今着ている服よりはとりあえず綺麗だわ。
「サイズが合わないかもしれないけれど、その服は一度洗った方がいいと思うわ。その間だけでも我慢してちょうだい」
「……まあ、着られるものならなんでもいいです」
ルチアは感情の読めない真顔で頷いたけれど、嫌だったのかもしれない。今だけは我慢してほしい。
ひとまず、お湯の準備を待つ間、本題を話しておくことにする。
「――あなたにはわたくしの侍従として、手伝ってもらいたいことがあるの。
ちゃんとお給料も出すわ」
わたくしは財布がわりにしている袋から銀貨をいくつかだし、テーブルの上に積んだ。『ナナハナ』の知識と今までの記憶を鑑みるに、相場より相当多いはず。
ルチアは一旦受け取って眺めてから、その銀貨をわたくしに返してきた。
「何をするかも分からないのに受け取れません」
「それもそうね」
ルチアはやはり頭のいい子のようだ。
とりあえず、額的には不満はなさそうね。
「……実はね。
わたくし、腹違いの妹がいるのだけれど、訳あって一緒に暮らしていないのよ。
今は孤児院にいるのだけれど、呼び戻して一緒に暮らしたいの。
ルチアには、そのために協力してほしいわ」
ルチアは首を傾げた。
「一緒に暮らしていない理由は?」
「妹の母親はお父様の愛人だったの。妊娠が発覚してからお父様が捨て……じゃなくて、縁を切ったのよ」
「何故一緒に暮らしたいのですか?」
「家族だもの」
「孤児院にいるという情報はどこから?」
「えっ?」
ルチアはわたくしの目をじっと見る。
「先程の話だと、母親と一緒に生活していてもおかしくないのに、はっきり断言されるのですね。
母親が娘を孤児院に入れたのですか?」
「え、いいえ、母親はもう亡くなっていて……」
「母親の実家の援助は?」
「勘当されているから……」
「それはどこからの情報ですか?」
「えっと……」
しまった。適当に誤魔化すべきだったわ。
しどろもどろになるわたくしを見て、ルチアの眼光が鋭くなる。
「……犯罪の手助けなら出来かねます」
「そ、そういう話じゃないのよ」
うっ、怪しまれている。
たぶんルチアは、わたくしのことを噂で聞いたことがあったのだろう。クリスタル公爵家のダメ令嬢とか。
そんなのが異母姉妹を呼び寄せたいというのは、確かにちょっと、やばい臭いがするかも。
例えば、自分の立場を危うくしないように亡きものにしようとしてるとか……。
「…………」
「…………」
黙りこくって睨みあったあと、ルチアはふぅとため息をついた。
「…………私、の話になりますが」
「えっ?」
「かつては、ある貴族のお屋敷で、母と一緒に住み込みの下働きとして雇われていたんです。
そこの主は非常に厳格な方で、少しでもミスするとひどい仕打ちを受けました。
それでも、言いつけられたことは必死にこなしました。言葉遣いや仕草も覚え、気に入られようと努力しました。
しかし、それが逆に気に障ったようで、主の私に対する態度はどんどん厳しくなっていきました。
そんなある日、母が流行り病にかかり亡くなりました。一年前のことです。
主は母のいなくなった私を放り出しました。
それからは一人で生きてきました。孤児院の良くない噂は聞いていましたから、捕まらないようにして路地で生活していました」
な、なんてこと……!
ずいぶん大変な思いをしてきたのね……それに、マリベルたんの境遇に少し似ている……。
わたくしが思わず涙しそうになったとき、「さあ」とルチアが言った。
「私はすべて話しました。あなたも話してくれますよね?」
「えっ!?」
ハッ、そ、そういうこと!?
『自分の話を聞いたのだからお返しに話せ』――と言いたいのね?
い、いえ、別にわたくしが話す必要はないじゃない!? ルチアは勝手に話し出しただけなんだし、それに、この様子だと本当の話じゃないのかもしれないわ。
わたくしも適当に誤魔化せばいい。どうせ信じてもらえるはずもないのだから。
そう、でしょうけど……。
マリベルたんと同じように、片親で頑張ってきたのに捨てられ、苦労してきたルチア。
ルチアはまたわたくしの目をじっと覗き込んでいる。嘘を見抜こうとしているように。
……本当のことを話して、ルチアは信じてくれるかしら?
誰にも話していない。わたくしだって他人から聞いたらきっと信じないような話を。
「――わかったわ。話してあげる。
でも、信じてもらえないかもしれないけど……」
わたくしはそう前置きをして、今までのことを話すことにした。
「実はわたくしには、今のわたくしになる前――いわゆる、“前世の記憶”があるの。
前世のわたくしは、『日本』という国に住む平凡な庶民の女性だったわ。数年間学生として過ごして、23歳になって仕事に就いたのだけれど、そこがブラック企業――えっと、ひどい労働条件の会社だったの。
仕事は山積みで、帰るはずの時間に帰れなくて、お給料ももらえない……とか。上司は全然仕事を手伝わず押し付けてきて、 できないと怒鳴ってきたり……とか。
そういうひどい会社だったの」
今思うとよくあんなところで働いていたわよね。
あのときは正常な判断ができなくなってたから仕方がなかったんだけど……。
「とにかく、仕事ばかりですごく忙しくて、ストレスがすごく溜まっていたの。職場と家との往復ばかりの生活で、人との関わりもほとんどなくて……。
すごく辛かったときに、たまたま乙女ゲーム――恋愛の物語を追体験できるようなものなのだけれど、それの存在を知ったのよ。
そのときのわたくしには恋人もいなかったし……」
……そこでわたくしが不自然に止まったので、ルチアが首を傾げる。
いいえ、違うのよ。別に見栄を張りたいとか恥ずかしいとか、そんなんじゃないの。
そうよ、別にそんなんじゃないの。
「……そのときまで一度も、指輪のひとつももらったことがない人生だったし」
言いながら左手をひらひらさせてみる。ルチアは不思議そうに左手を見ている。
……恥ずかしくてはっきり「生まれてから一度も恋人ができたことがない」とは言えなかった。
つっこまれる前に先を急ぐ。
「オホン。……とにかく、ゲームでもいいから恋愛を疑似体験したくて、その当時人気だった乙女ゲーム――『七色の花束をあなたに』、通称『ナナハナ』をプレイしたの。
『ナナハナ』の舞台はとある王国にある学園なのだけれど、それがフォレスター王国にあるフォレスター学園というのよ。
――聞いたことがあるでしょう?」
ルチアはこくりと頷いた。
ルチアが知っているのも当然だ。フォレスター王国に住む人間なら誰もが知っていて、フォレスター王国の王族や貴族が通う学園――それが、フォレスター学園だから。
その名前がそのまま、『ナナハナ』に登場する。
「これが偶然とは思えないの。
それに、フォレスター学園だけじゃなく、『ナナハナ』に登場するそのままのものが、この世界にはたくさんあるのよ。
だから、わたくしはこの世界が『ナナハナ』の世界なのではないかと考えているの。
そこで重要になるのが、わたくしの妹よ」
わたくしの妹になる少女――マリベルは、『ナナハナ』のヒロインだ。
美しい容姿と清らかな心を持った可憐な少女で、平民から貴族に迎えられるも、異母姉妹の姉にひどくいじめられてしまう。でも、フォレスター学園に通うことになってから、マリベルの人生は一変する。
学園に入学したマリベルは、優秀な成績を修めたことで、級議会のメンバーにスカウトされる。そこで出会う様々な男の子たちは容姿も性格も良いマリベルに惹かれ、マリベルもまた男の子たちに恋をしていく。
しかし、その恋には障壁が存在する……。
「恋をする相手……ゲームでは攻略対象と呼ぶのだけれど、『ナナハナ』の攻略対象は五人。
一人目はオズワルド・フォレスター殿下。
二人目はクラレンス・マクブライド。
三人目はステュアート・アップルビー。
四人目はルチアーノ・リース。
そして五人目は、条件をクリアして初めて攻略できるようになる隠しキャラクター。
基本的には最初に挙げた四人のうちだれかと一緒に過ごしたり、プレゼントを贈ったりする中で好感度を上げて、修了式典で一番好感度が高い攻略対象と結ばれる、というストーリーなの」
ルチアはひとまず口を挟まず聞いてくれている。
それに気を良くして、わたくしは話を続けた。
「それで、ヒロインであるマリベルの恋の障壁になるのが、マリベルの異母姉妹である姉よ。
彼女は素直で優しい性格のマリベルを嫌って、引き取られたときからずっといじめているの。
でも、いろんな男の子たちから目をかけられて、自分の婚約者であるオズワルド殿下ですらマリベルを気にしているのを見て、嫉妬してさらに激しくいじめるようになるわ。
嫉妬の炎は時を追うごとに激しくなり、最終的には“闇の禁術”に手を染めてしまうの」
“闇の禁術”は、この世界に古くから伝わる恐ろしい術のことだ。
心に闇を持った者の前に突如として現れ、誘いに乗って使用してしまうと魂まで闇に染まってしまう――と言われている。
「姉は“闇の禁術”でマリベルを殺害しようとするのだけれど、マリベルは攻略対象と力を合わせて立ち向かい、彼女を倒すの。
でも、“闇の禁術”に染まってしまった姉をもとに戻すことはできず、彼女は“闇の禁術”を封印するために処刑されることになる。
心が清らかなマリベルは、殺そうとまでした姉でも、悲しみの涙を流すの……」
わたくしはそのときのイベントスチルを思い浮かべながらうっとりと目をつぶりかけ、ルチアに話している途中だったことを思い出した。
ルチアの方を見ると、頭痛を押さえるように頭に手を当てている。
「……今のお話はにわかには信じられませんが」
「ええ、まあそうよね」
「信じる信じないは置いておいて、ヒロインとやらはクリスタル公爵家にあとから迎えられた令嬢で、腹違いの姉がいるということですね」
「そうよ」
「そして腹違いの姉が彼女を非常に憎んでいるということですね」
「そうね」
「腹違いの姉とは、あなたのことですよね?」
「そうなるわね」
ルチアは一気に冷ややかな目線を向けてきた。
「やはり犯罪まがいのお話ではないですか。
妹を亡き者にしようとしているのでしょう?」
「ち、違うの! そう思われても仕方がないとは思うけど!!」
そうよね! いまの話の流れだとそうなるわよね!
わたくしが慌わてて否定しようとすると、ルチアはやれやれと言う感じで肩をすくめ、片手で制してきた。
「冗談です。
正直、話の中でヒロインをやたら持ち上げるのでなんとなく察しはついていました。
あなたには、ヒロインと喧嘩をするつもりはないんですね?」
「そ、そうなの! わかってくれる?」
「ヒロインと仲良くなることで、あなたが死ぬ未来を変えようとしているのでしょう?」
「えっ?」
未来を変える?
わたくしが思わずぽかんとすると、ルチアはいぶかしそうに眉を寄せた。
「……違うんですか?」
「えっと……仲良くしたいとは思っているわ。
でも、未来を変えることは……わたくしが処刑されることは、変えられないと思ってる」
ルチアはいぶかしげな表情のまま首をかしげる。
「……処刑されたら、死ぬんですよね?」
「そうよ」
「それを変えるつもりはないのですか?」
「…………」
未来を、変える。変えてしまう。
処刑されなければ、マリベルとはずっと一緒にいられるのかもしれない。
でも、それでは物語はトゥルーエンドを迎えない……。
「……前世のわたくしは、マリベルのことが大好きだったの。
それまでいろんなことがあってひどく疲れていたわたくしを、マリベルが癒して、幸せにしてくれたのよ。
だから、今度はわたくしがマリベルを幸せにしたい。
ここが『ナナハナ』の世界なのだとしたら、わたくしは最終的には処刑される運命なの。
それを覆すのは、マリベルの幸せにならないわ」
わたくしは目を閉じ、そっと胸に手を当てた。
この気持ちは本心。わたくしは長生きしたい訳じゃない。ここはマリベルが輝くための世界なのだから、邪魔者は長居してはいけないのだもの。
ただ、潔く去る覚悟はあるから、せめてたくさん良い思いをする権利はあるはず。
そう思うだけ。
「だからわたくしは、時が来たら潔く退場するつもりよ。
でも、せっかく最愛のマリベルたんの側にいられる機会を得たのだから、有効に活用したいの!
運命が変わるからではなくて、わたくしがそうしたいから、マリベルたんと仲良くなりたいの。
そのためにも、一刻でも早く、マリベルたんに我が家に来てほしいだけなのよ。
……信じてくれる?」
「…………」
ルチアと目を合わせると、もう冷たい瞳ではないように思えた。
ルチアはわたくしをまっすぐ見て、それからふっと息を吐く。
「……まあ、前世のことは置いておいて……悪いことをするつもりじゃないことは、信じます」
「本当? ありがとう、ルチア!」
思わずルチアの手をとってぎゅっと握った。
だれかに信じてもらうなんて、わたくしにとっては初めての経験かもしれない。とても、嬉しく思う。
「……と言ったのに……」
感動していて、ルチアが何か言ったのをほとんど聞き逃してしまった。
「えっ? なにかしら?」
「……いえ。
ところで、マリベル“たん”というのはなんです?」
「えっ!? わたくし、そうやって呼んでた?」
「ええ、最後の方は」
……マリベルたんが我が家に来たら、本人の前では言わないように気を付けよう。
***