第三十七話
令嬢方が去ったあと、会場はシーンと静まり返っていた。
わたくしはハッと我に返る。
や、やらかしてしまった……!
本来のダンスパーティーイベントでは、悪役令嬢にいびられるヒロインを助け出すために、攻略対象たちがダンスに誘う――という流れなのに。
わたくしが勝手にでしゃばってしまったから、イベントが台無しじゃない……!
今の今までそんなことにも気づかなかったなんて!
こうなったら仕方がない。今からでも軌道修正しないと。
わたくしは静かになってしまった会場をぎこちなく見回して、「あら?」と素っ頓狂な声を出した。
「な、なんだか静かですわね?
せっかくのダンスパーティーなのに」
おほほ……と笑ってみせても、誰からも反応がない。
おそらく、令嬢方をいびって追い出したわたくしを怖がって、みんな固まってしまったのだろう。
このままわたくしがこの会場に居続けたら、誰も踊れないに違いない。
マリベルたんのダンスイベントをこの目で見届けたかったけれど、このままじゃイベントが進まないわ。
……仕方がない。
「こんな静かなパーティーなんて退屈ですわ。
わたくしは、そろそろ部屋に……」
帰るわ、と言おうとしたとき、わたくしの前に誰かが歩み出てきた。
ライトを浴びてキラキラと輝くオーラをまとっているのは、他でもない――オズワルド殿下だ。
わたくしは瞬時に察する。
オズワルド殿下は、悪役令嬢のわたくしを咎めようとしているんだわ。
本来のイベントに戻ろうとしている――と気づき、わたくしは胸を張って堂々と立つ。
「シビル嬢」
「どうされましたか、オズワルド殿下?」
さあオズワルド殿下。どうぞわたくしを糾弾してちょうだい。
そして、マリベルたんをダンスに誘うのよ!!
――という願いを込めてサファイアの瞳を見つめたけれど、オズワルド殿下には届かなかったようだ。
「せっかくのダンスパーティーですから」
オズワルド殿下は優雅に一礼し、わたくしに向かって手を差し出してきた。
「僕と踊っていただけますか?」
えっ?
意味が分からず、オズワルド殿下が差し出した手をじっと見つめてしまった。
それから顔をあげると、わたくしに微笑みかけるオズワルド殿下が目に映る。
……わたくしをダンスに誘っているの?
オズワルド殿下が?
理由が分からない。
だって、そんなことは絶対にありえない。
このダンスパーティーイベントは、マリベルたんがオズワルド殿下にダンスに誘われるイベントなんだもの!
混乱してうつむきかけて――そこでハッと気づいた。
今、わたくしの後ろにはマリベルたんが立っている。
つまり、わたくしはマリベルたんとオズワルド殿下の間に入って、邪魔をしている状態だったのだ。
……なるほど!
わたくしは頭上に電球を浮かべながらさっと横に退いた。
「まあ、オズワルド殿下、わたくしの妹をダンスにお誘いくださるのですね!?」
「えっ、お、お姉様?」
「良かったわねマリベル。さあ、せっかくのダンスパーティーなんだから楽しんできなさい」
「えっ? えっ?」
ああびっくりした。
オズワルド殿下は、わたくしの後ろにいるマリベルたんを誘っていただけだったのね。変な勘違いをするところだったわ。
慌てているマリベルたんの背中をずいと押してオズワルド殿下と向き合わせる。
マリベルたんは照れているのか、あわあわしながらわたくしになにか言おうとしている。もうマリベルたんったら、照れなくてもいいのに。
お相手のオズワルド殿下はというと、なぜか驚いたような顔をしてわたくしとマリベルたんを交互に見ている。
あ、もしかして、わたくしが素直に譲ったからびっくりしたのかも。オズワルド殿下ったら、『潔く身を引きます』って言ったことを忘れてしまっているのかしら。
まあ今はそんなこと言っている場合じゃないわ。今わたくしがすべきことは、この場からさっさと移動して二人の邪魔をしないことだけ。
「さあ、音楽を!」
わたくしが叫ぶと、待機していたオーケストラが慌てて演奏を始めた。
「じゃあマリベル、楽しんでおいでね」
「えっ、あの、お姉様……!」
まだ照れているマリベルたんはオズワルド殿下に任せて、わたくしはさっさと壁際に引き返した。
しばらく二人は妙にぎこちない様子で突っ立っていたけれど、オズワルド殿下が改めて差し出した手をマリベルたんがとり、二人は踊りだす。
よかった、無事にイベントが進んで。一時はどうなることかと思ったけれど、終わり良ければ全て良しよね。
うんうん、と頷いていたらいきなり声をかけられた。
「お嬢様」
「あら、ルチア。あなた、まだこんなところにいるの?
マリベルたんの近くにいないと、次の相手をとられちゃうわよ」
ルチアはさっきまでと全く変わらず、余裕綽々の様子で壁際に立っていた。
周りに人がいるから少し声を落として、わたくしはルチアに忠告する。
「あのねぇ、あなた、あの美しく愛らしいマリベルたんの姿が見えないの?
あなたがいくら美少年だからって、このままじゃ他の攻略対象たちにとられちゃうわよ?」
「そうですか」
「そうよ。それに、好感度をあげないとルートに入れないのよ?
ダンスパーティーでダンスをしないままじゃ、好感度なんかあがりっこないじゃない」
「なるほど……ダンスをすれば好感度があがるんですね?」
「当たり前でしょ、そういうイベントなんだから」
そこでルチアが急に伏し目がちになった。
哀れに眉も下がって、顔も俯いている。
誰が見てもはっきりわかるだろう、憂いの表情だ。
「る、ルチア? どうしたの?」
表情の乏しいルチアには珍しい姿にドキドキして声をかけると、ルチアは悲しそうにため息をつく。
「……実は、ダンスに自信がないんです」
「えっ!? そうだったの!?」
思わず驚いたけれど、考えてみれば、ルチアは孤児だった。ダンスを習得するタイミングなんてなかったはずだ。
それにまったく思い当たらなかったのは、『ナナハナ』のルチアーノは問題なく踊っていたこともあるけれど、ルチアにできないことがあると想像すらしていなかったからだ。
昔からルチアはなんでもこなしている。勉強から仕事からわたくしのお世話まで、できないことなんてなにもなかった。
だから、まさかダンスができないなんて思いもしなかった!
「な、なんで早く言わなかったの? もっと早く言ってくれていたら練習できたのに」
「お嬢様の期待を裏切るようで、なかなか言い出せず……」
落ち込んだように肩を落とし、消え入るような声で言うルチアに、わたくしはそれ以上何も言えなかった。
いいえ、わたくしに何か言う資格なんてない。普段あんなに表情を見せないルチアをこんなにも落ち込ませるなんて、わたくしは主人失格だわ!
「ごめんなさいルチア、わたくし全然気が付かなくて……考えてみれば当然よね。
どうしよう、わたくしのせいで、イベントが……」
ルチアはふと顔をあげた。ルチアの瞳がうるんでいるのが分かる。
あのルチアを泣きそうになるほど悲しませてしまうなんて……わたくしの至らなさを痛感して胸が苦しくなってくる。
「今からでもダンスの練習ができたらと思うのです。
ですから、お願いがあります」
周りの人には聞こえないように、小さな声だったけれど、わたくしにはしっかり届いた。
「シビー、私と踊っていただけますか」
ルチアが、わたくしを頼ってくれている――。
わたくしは意味も分からず即答した。
「もちろんよ!」
言ってしまってから、言葉の意味を考えた。
ルチアがわたくしをダンスに誘った。
これって、『どこ』で、『誰が』、『誰と』踊るの?
「ありがとうございます」
その時にはもうルチアの涙は完全に引っ込んでいた。あんなに醸し出していた憂いの雰囲気も一気に霧散している。
いつもと変わらない無表情に戻ったけれど、いつもより楽しそうに見えるルチアだった。
「よかった、お嬢様が引き受けてくださって」
「え? え?」
「さあ、そうと決まればもっとホールの中央へ。
こんな壁際では危ないですから」
「あ、あれ?」
あれよあれよとホールの中央に押し出され、ルチアがわたくしの手を取る。
『ダンスに自信がない』はずのルチアのリードで、ダンスが始まった。
今、わたくしは何をしているの??
怒涛の展開に頭が追い付いていないけれど、わたくしの身体は自然にダンスを踊っている。
そりゃそうよね、わたくしだって一応公爵令嬢としてダンスを習ってきたもの。身体が覚えていると言うやつよ。だからこんなに混乱していても、ルチアの足を踏むこともなく踊れている。
そしてさっきまであんなに悲しそうに「踊れない」と言っていたルチアも、危なげなく踊っている。
人々の注目が集まっているのを感じる。
「どうですか、お嬢様。人前で踊れるような腕前ではないでしょう」
「……どこに自信がないのか全く分からないわよ」
「さすがお嬢様、お優しい。ですが他のご令嬢ではこうはうまくいかないでしょう。ご迷惑はおかけできませんので、やはりこれ以上は遠慮しておきます」
ルチアは白々しくそう言って、ダンスを終えると満足そうに壁際に引き返していった。
よく分からないまま終わってしまったけれど、ルチアはなにがしたかったの?
頭にはてなを浮かべながらわたくしも壁際に引っ込もうとして、ハッと気づいて振り返った。
踊っている人々に見知った顔はない。
そんな、まさか――。
会場中に目を走らせてようやく、中央から離れて談笑しているマリベルたんとオズワルド殿下の姿を見つけた。
照れてはにかんだマリベルたんは可愛く、オズワルド殿下も微笑んでいて和やかな雰囲気だ。
いい感じといってもいい。
良かったわ。このままいけば、オズワルド殿下ルートに難なく入れそうね。それはすごく良いことだし安心する。
――だけど。
ルチアのせいで、マリベルたんが踊っている姿をほとんど見られなかったわ……!!
一番楽しみにしていた部分をあっさり逃したことに、一気に疲労感が押し寄せて、わたくしは盛大なため息をついたのだった。
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