第三十六話
「あなたたち――何を、しているのかしら?」
クスクスとさざめいていた声がぴたりと止んだ。
フロア中の視線が刺さり、ようやく自分が何をしたのか気づく。
――し……しまった。
マリベルの涙に我慢できず、つい声を出してしまったわ……!
完全に注目を浴びてしまい、わたくしは大混乱に陥った。
これでは『ナナハナ』のイベントとまるっきり同じ状況だ。
このままだと、次にマリベルを傷つける言葉を吐くのはわたくしになってしまうかもしれない……。
思わずマリベルを見ると、マリベルは瞳を潤ませてわたくしを見ていた。
怖い思いをしているはずなのに、何も言わずになぜか首をふっている。
幸い、わたくしの口は今のところわたくしの自由に動かせるようだ。
マリベルたんが泣いているのに、このままにはしておけない。
……ええい、ままよ!
わたくしは覚悟を決めると、にっこり微笑んでマリベルに優雅に歩み寄った。
「――こんなところにいたのね、マリベル。探したわ」
第一声は、そんな言葉だった。
よし、喋ろうと思った通りの言葉が出せている。もう少し我慢できれば、なんとかこの場をしのげるはず。
勇気を振り絞ってマリベルに寄り添うと、マリベルの前に立ちはだかる令嬢×3を見る。
「それで?
何をなさっているのかしら、皆さま。
わたくしたちはもう行かないといけないから、用がないなら退席させていただきたいのだけれど?」
凄みをきかせるように、少し目を細めて令嬢方に声をかける。
さあ、ビビりなさい。そしてマリベルたんとわたくしをこの場から脱出させなさい。わたくしの口が悪役令嬢になっちゃう前に!
すると、わたくしに睨まれた形になった彼女たちは――。
「お会いできて光栄ですわ、シビル様」
優雅なカーテシーを披露し、キラキラと輝く生き生きとした目をわたくしに向けた。
……あ、あれ? 怖がられると思ったのに。
思わず拍子抜けする。
ビビっている隙にこの場から逃げ出すはずが、令嬢方はむしろ自信満々な様子で満面の笑みを浮かべている。
お、おかしいわ……!
わたくしはクリスタル公爵の娘。上級貴族なうえに、貴族社会どころか平民にまで悪名が轟いているはずの、あのクリスタル公爵の娘なのよ。
もしかして……この子たち、わたくしが怖くないの?
わたくしがごくんと唾を飲み込むのと同時に、令嬢方が口を開く。
「わたくしたち、そちらの方にマナーを教えて差し上げていたのですわ。どうやら、まだ不慣れなご様子ですから」
「その通りですわ。先ほどだって、周りの方のご心配に気づかれていないようでしたので、お伝えしたんですの。きっと気づいていただけたことでしょう」
「わたくしたちがお教えしていなかったら、そちらの方が恥をかいていらっしゃったでしょう。わたくしたちもお教えしたかいがありますわ」
クスクスと笑う彼女たちの目は、完全にマリベルを獲物としてロックオンしている。
直接的な言い方を避けているが、確実にマリベルのことを嘲笑っていると分かる。
陰湿だ。これ以上ないほど悪い。
――さながら、悪役令嬢のように。
わたくしは必死に前世の記憶を辿る。
どんなに頭を捻ってみても、悪役令嬢の後ろでふんぞり返り、同調するように「さすがシビル様」と相づちを打っていた記憶しかない、彼女たち。
『ナナハナ』では、この子たちはただの悪役令嬢の取り巻きにすぎなかった。
それなのに――。
今は余裕たっぷりで、わたくしすら恐れていない様子だ。まるで主要人物の一員になったかのよう……。
「まあ……そうなのね」
考えつつ適当に相槌を打っていたら、令嬢方はさらに瞳を輝かせ、身をすり寄せるようにわたくしを囲んだ。
「シビル様もお困りでしょう? わたくしたち、いつでもそちらの方のお手本になって差し上げますわ!」
「ご用のときはいつでもおっしゃってくださいませ!」
「シビル様のためでしたら、すぐに参りますわ!」
わたくしに恐れず果敢に話しかけてくる彼女たちを見て、わたくしは嫌な予感がよぎった。
まるで主要人物の一員になったかのように――悪役令嬢のように振る舞う彼女たち。
そして、悪役令嬢としての振る舞いをサボっているわたくし。
――もしかして、彼女たちに役割が……?
いいえ……そんな、まさか。
想像を打ち払うように首を振る。
とにかく、この場を早く切り抜けないと。
わたくしはにっこり微笑んで「お気遣いありがとう」とお礼を言った。
「でも、ご心配には及びませんわ」
「遠慮なさらないでください、シビル様。わたくしたちがしっかりそちらの方を教育して差し上げますから」
令嬢方はなおもクスクスと笑っている。
――さっきからなんなの? ずいぶんと横柄な態度ね、この子たち。というか、わたくしに口答えするなんて、わたくしが誰だか分からないのかしら。
なんだか腹に据えかねてきた。
そういえばわたくし、対マリベルでなければ嘲りも罵倒もいくらでもしていいはずだわ。
だって――わたくしが、悪役令嬢なんだもの。
「――わたくし、マリベルにはいろいろと教えてあげてきたつもりだったのだけれど……わたくしの力不足だったようね」
わたくしは頬に右手を添えると、ふうとため息をついた。
「そ、そんな! シビル様はなにも……」
令嬢方はわたくしを案じるように声をかけてくるが、途中で遮る。
「だって、マリベルがちゃんとできていなかったんでしょう? あなた方は今、そう言ったのよね?
この子が粗相をしたことなんて、今まで―度たりともないけれど……あなた方が言うのだから、そうなのよね?
あなた方は由緒正しき貴族の生まれのご令嬢。嘘などおっしゃるはずありませんもの」
すうっと目を細めて令嬢方を見ると、全員静まり返った。その肩が少し震えている。
みるみる顔色を失っていく令嬢方を見て、わたくしはより一層笑みを深めた。
――ようやく、わたくしが誰なのか、思い出してくれたようね?
「ですから、このわたくし、シビル・クリスタルの教育に間違いがあったと……そうおっしゃりたいのよね?」
ぶるぶるっと震えた令嬢方が慌てて弁解する。
「い、いえ! し、シビル様の落ち度ではありませんわ。そちらの方が、シビル様のお教えを守れていなくて……」
「そんな状態でパーティーに出席させるわたくしが悪い、ということでしょう?」
「ち、ちが……!」
まだマリベルのせいにしようとしているのが可笑しい。
わたくしがなぜ怒っているのかすら分からないのね。
「――そうそう、これ以上のご迷惑をおかけしたら申し訳ないし、あなた方と関わることは今後ないようにするわ」
顔面蒼白の令嬢方にばっさりと告げる。
「シビル様、わたくしたちは……!」と追いすがる声を鼻で笑い、遮るように続けた。
「――そういえば、なんだかこの会場、空気がよどんでない?
なにか、雰囲気を悪くするような、嫌なものでもあるのかしら……?」
誰も何も言わないが、周りにいた人々の視線が令嬢方に集まった。令嬢方は今度こそ言葉を失う。
この意味はもちろん、『あなたたち、さっさとどっかに行って欲しいな』、である。
令嬢方はちゃんと把握してくれたようで、挨拶もそこそこに、這う這うの体で逃げ去っていった。
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