第三十二話
楽しい授業が終わり、放課後。
わたくしは緊張の面持ちでソファに座っていた。
「それでは、第1回の級議会を始めましょう。
初対面の方々もいらっしゃるでしょうから、まずは自己紹介を。
僕はオズワルド・フォレスターです。よろしくお願いします」
「……クラレンス・マクブライドだ」
オズワルド殿下がキラッキラの笑顔で挨拶をしてくださる横で、クラレンスは仏頂面でそれだけ言った。マリベルたんに会える喜びよりも、わたくしがいることへの不満の方が強いようだ。
とりあえず、この二人とマリベルたんはもうすでに出会っているし、何度か言葉も交わしている。
この場面での問題は残りの一人。
「ステュアート・アップルビーだよ。
こんなに可愛いお嬢さんがたにご挨拶できるなんて、ボクはとっても幸運だ。
どうぞ、よろしくね?」
ステュアートは髪をかきあげ、ばっちりウインクをした。
ああ、やっぱり。『ナナハナ』でマリベルたんと初めて会ったときと同じ、歯の浮くようなセリフ、気障ったらしいポーズ。さすがシチューだわ!
『非公式のあだ名が可愛いから』と前世のわたくしが割と気に入っていた彼だけれど、初対面のパンチ力が強すぎるのよね。ルチアが言葉を失ってドン引きしているわ。マリベルたんですら困惑の表情を浮かべている。
わたくしは彼の言動の理由を知っているからまだいいけど、そうでなかったらわたくしもドン引きしていたと思う。
わたくしとルチアはシチューに既に会っているけれど、あのパーティーでは名乗らなかったから気付いていないかもしれない。ルチアに至っては女装中だったし。
「お褒め頂き光栄ですわ、アップルビー様。
わたくしはシビル・クリスタル。
よろしくお願いしますわ」
それから隣に座るルチアに目をやるが、ルチアはいっこうに口を開かない。
マリベルたんはまだ戸惑っているでしょうから、もうワンクッション置いてあげたいのに。
仕方なくわたくしが続けて、
「……そして、こちらはわたくしの侍従のルチアですわ」
と紹介すると、ルチアはようやく口を開いた。
「よろしくお願いいたします」
ルチアは頭を下げる。
……え、もしかしてそれだけ?
素知らぬ顔をしているルチアに期待するのはやめて、仕方なくマリベルたんの背中をそっとつっつく。
「あっ、ま、マリベル・クリスタルです!
よろしくお願いしますっ」
マリベルはハッと気づいたように慌てて礼をした。
シチューは相変わらずうわべだけの微笑みを浮かべていて、真意が読みにくい。わたくしに気付いたかどうかは分からないけど、ひとまずこれで一通り自己紹介が終わった。
今日はこれからなにをするのかしら、などと気軽に考えていたら、顔を真っ赤にしたクラレンスがビシッとわたくしを指差してきた。
「お前もメンバーなのはおかしいだろう!!」
ついに不満が爆発したらしい。
というか、それはわたくしのセリフよ。
わたくしが級議会のメンバーだなんて、わたくしが一番信じられないんだから!
「クラレンス、失礼じゃないか!」
オズワルド殿下がたしなめてくださるけれど、クラレンスの指摘はもっともなのよね。わたくしは悪役令嬢、本来ならここにいてはいけないのだから。
結局ルチアに押し切られた形になっちゃったものの、やっぱりわたくしが級議会に参加することは躊躇いがある。ストーリーがめちゃくちゃになっちゃったらマリベルたんに迷惑がかかるわ。
……そうだ、せっかくクラレンスが因縁をつけてくれているのだし、悪役令嬢ムーブをフル活用してみてはどうかしら!
わたくしは悪役令嬢シビル・クリスタル。それらしく振る舞って信用をガタ落ちさせれば、ふさわしくないと判断されて撤回してくださるかもしれない。
自分からは立場的にも言いづらいし、手放したくない権利ではあるけれど、与えられた役割を担うことで追い出されるならそれは仕方ないことだものね……!?
「ま〜あ、クラレンス様ったら、なんて礼儀がなっていないのかしらぁ? 令嬢を指差して『お前』呼ばわりなんて!
わたくしが誰だか分かっていますの?
あのクリスタル公爵家の長女ですわよ?」
腕を組んでふんぞり返り、放慢に言い放つ。
どうかしら、まさに悪役令嬢でしょう!
ふふん、どうかしら? わたくしだって伊達に悪役令嬢として生まれていないわ。やればできるのよ!
わたくしの完璧なムーブを相手に、クラレンスも顔を真っ赤にして応戦してくる。
「お前に礼儀を説かれる筋合いはない!
そもそも、お前が6位だなんてありえない。不正は許されないぞ!」
「わたくし、なにもやましいことなどしていませんわぁ。
クラレンス様こそ、よくそんな考え方で4位に入れましたわよね〜?」
「お、お前……!!」
いいわよクラレンス! こうやって言い争っていれば、わたくしなんか級議会にふさわしくないと気づいてもらえるはず。
クラレンスも巻き込んで申し訳ないけど、オズワルド殿下と仲良しなんだからクビにはならないでしょう。
よ〜し、この調子よ! こいこい!
思わずファイティングポーズを取りかけたところで、
「クラレンス様」
わたくしの横から冷たい声が割って入った。
声の方向を見ると、ルチアが冷ややかな目でクラレンスを見ている。
「私の主を侮辱するのはやめていただけますか」
ブォォ……という、ブリザードの幻聴が聞こえた気がした。
ルチアの放つ冷たいオーラで心なしか部屋の温度が下がった気がするわ……!
「おっ、俺は侮辱なんかしていない。ただ事実を言っただけだ!」
「お嬢様が不正を働いたのが事実だと?」
負けずに噛みつくクラレンスだけど、ルチアに冷静に返されてうっと息をつまらせる。
負けないでクラレンス、相手は悪役令嬢の侍従よ? 丸め込まれちゃダメじゃない!
「クリスタル公爵家の名を汚されては困ります。言いがかりはご遠慮ください」
ハッ……もしかしてルチアったら、わたくしの悪役令嬢ムーブの手助けをしようとしている……?
なんで今そんなことを! 一緒になって追い出されたらどうするの?
ルチアまで追い出されては困る。わたくしに矛先が向くようにしないと!
「そ、そうですわ! ルチアの言う通りですよ、クラレンス様?
初めてお会いしたときからわたくしのことを邪険にされますけど、あのときはちょっとからかっただけじゃありませんの。
あんなに小さいときのことをいつまでも根に持たないでいただきたいわ!」
わたくしがふんぞり返ると、クラレンスはワナワナしながらわたくしに食って掛かる。
「ちょっとからかっただけ……だと!?
あのときのご令嬢は妹の友人で、あれからトラウマになってしばらく社交の場に参加できなくなったんだぞ!」
そ、そうだったの? 知らなかった。
幼かったこともあってあまり覚えていないけど、トラウマになるなんてよっぽどだわ。
マリベルたんのことを思い出す前だったし、まだワガママ娘だったときよね。そんなにひどいことをしたのね。え〜っと、確かあのときは……。
そこそこの規模だったけれど、クリスタル公爵家に比べたら小さかったので『よくこんなせせこましいパーティーにわたくしを呼べたものね?』とケチをつけたり。
食事に嫌いなものが出たので『こんなマズいものを出すなんて、ふざけているの!? わたくしをバカにしているのね!』と怒りに任せて床にぶちまけたり。
だんだん空気が冷えてきたパーティーがつまらなくて『よきょうもないの? そこのあなた、なにかもり上げてちょうだい』と無茶振りしたり。
挙句の果てに、『なんにも楽しくないから帰るわ。来るんじゃなかった。ムダな時間だったわ』とさっさと帰る――。
「――そんなことをしておいて、よくそんなことが言えるな!」
……わたくしもそう思うわ。
というかクラレンス、そんなことつまびらかに話さないでちょうだい! マリベルたんに引かれたらどうするのよ!
いえ、これから距離を置くためにはちょうどいいのかしら……?
わたくしが悩みかけたとき、マリベルがバッと立ち上がった。
「ひ――ひどいことを言うのは、やめてください!!」
「ま、マリベル……?」
マリベルを見ると、そのエメラルドのような瞳いっぱいに涙を溜めながら、ぎゅっと握ったこぶしをぷるぷると震わせている。
とってもかわいらしいけれど、とっても怒っているようだ。
「ご、誤解されがちですけど――お姉様はとっても優しいおひとなんです!」
ま、マリベルたん……わたくしのために怒ってくれているの?
「い、いや、俺は本当のことを……」
「お姉様がそんなことするはずありません!!」
力一杯否定してくれるのは嬉しいのだけど、わたくしの蛮行は事実だから、いわれのない非難を受けているのはクラレンスの方だ。さすがにかわいそうになってきた。
わたくしが止めに入ろうとすると、すかさずオズワルド殿下が間に入った。
「マリベル嬢の言うとおりだよ、クラレンス。
それに、礼儀で言えば今の君の言動も問題じゃないかな」
「うっ……」
さすがに堪えたのか、クラレンスは青ざめて俯いてしまう。
な、なんだか大事になっちゃったわ……これじゃクラレンスがかわいそうすぎる。クラレンスは本当のことを言っているだけだし、実際わたくしは悪役令嬢なんだもの。
でも、当時のことを知っているのはクラレンスだけなんだわ。だから劣勢になってしまうのね。なんとかしてあげたいけど……。
どうしたものかオロオロしていたら、「あ、でも〜」といたって軽い調子でシチューも加わってきた。
「確かにシビル嬢の噂って聞いたことあるなぁ。
傲慢で、地位を笠に着てて、ワガママなご令嬢だ――って」
あら? プレイボーイなシチューが女性を悪く言うなんて思わなかった。
もしかして既に悪役令嬢としての地位を確たるものにし始めてるんじゃない?
と、わたくしが喜び掛けたのもつかの間、シチューはわたくしに向かってにっこりと笑った。
「――でも、初めて会ったとき、そんな感じはしなかったなぁ?
具合が悪そうなのに、ボクのエスコートは『ボクとお話ししたそうなお嬢さんがいるから』って遠慮しちゃってさ。
クラレンスが言うことだって間違いじゃないのかもしれないけど、今は違うんじゃない? ねぇ?」
あのときの令嬢がわたくしだということはバレバレだったらしい。
確かにあのとき悪役令嬢ムーブはしてない。しまったわ、『無礼者!』とか言って手を叩くくらいしなきゃいけなかった?
いやいや、だってこんなことになるなんて思ってなかったし……!?
わたくしがぐるぐる考えているのが分かったのか、シチューは面白そうに笑うとクラレンスに向き直った。
肩をすくめて、「まぁ、そんな固いこと言わずにさ」とことさら軽い調子で言う。
「せっかくこうしてご縁があったんだから、まずはこのメンバーで頑張ってみようよ。
それに、オズワルド殿下がお選びになったメンバーに口出しするなんて、クラレンスらしくないじゃん?」
「う、……」
クラレンスは小さくうめくと考え込んでしまった。
オズワルド殿下の信奉者であるクラレンスにはこたえたらしい。
……この様子だと、わたくしは追い出されなさそうね。
ちょっとがっかりしていると、ルチアが隣でぼそっと呟く。
「……お辞めになるなら、ここに私がいる理由は、ありませんね?」
ルチアは、『シビルが参加しないなら参加しない』というスタンスだった。
つまり、わたくしが辞めたら、ルチアも辞める……と。
うう、しょうがない。わたくしが級議会を辞める考えは、一旦脇に置いておこう……。




