第二十五話
――そして。
春の暖かな陽気の中、わたくしたちはフォレスター学園に入学した。
「ついにこのときがやってきたのね……」
わたくしはフォレスター学園の中庭で風に当たりながら……ベンチの背にぐったりともたれかかった。
もうだめ。一歩も動けないわ……。
「朝の威勢はどこへ行ったんです」
ルチアが呆れたように肩をすくめる。
朝、クリスタル公爵家を出発するまでは――入学式典に参加するまでは、とっても元気に夢の舞台に胸をときめかせていたのだけれど。
入学式典では新入生一人一人が学園長から校章を受け取り、名前を名乗って学問を学ぶ宣誓を行う。
新入生全員が行うから時間がかかるうえに、その新入生全員に向けて気品を保ったまま名乗って宣誓しなければならない。
……こんなの気疲れするに決まってるわ。
「ルチアこそよく元気よね……同じことをやったとは思えないわ……」
「私も勿論緊張しましたが、お嬢様ほど消耗するのは稀だと思います」
知っていたから心配してはいなかったけど、ルチアもフォレスター学園に入学することになった。
『ある程度の地位にある貴族は侍従も教養を身に付けているべき』――という風潮があるからだ。とはいえ、通常高位貴族は侍従も貴族から選ぶというのもあるからなんだけれど。
ルチアは平民出身なので本来ならあまり歓迎されないけれど、クリスタル公爵家の長女に幼い頃から長く仕えてきた侍従であり、クリスタル公爵家を任される家令からのお墨付き、ということもあって入学が許可されたのだ。
マクラーレン、ルチアを気に入りすぎじゃないかしら。
そのうち後継に据えようとするんじゃないか心配だわ。ルチアにはマリベルたんの旦那さんになる未来も十分可能性があるのに……。
「有能な侍従のせいで余計緊張したのよ。平然と済ましてくれちゃって――」
そこで思わずルチアの方を見てしまって、わたくしは眩しさに目を細める。
何が眩しいかというと――ルチアだ。
フォレスター学園の格式高い制服に身を包んだルチアは、どこからどう見ても完璧な美少年だった。
性別を打ち明けて以降ルチアは男性の装いをするようになっていたけれど、ここまでオーラは出ていなかった。
ところが今日は、今までどうやって隠していたのか、イケメンオーラがとどまることなく溢れているわ。歩く度にご令嬢方がルチアに見惚れて立ち止まるのを何度見たことか……!
制服の破壊力ってこんなに高いのかしら? あるいは成長して仕上がったから?
それとも……もしかして、ルチアが意識的にオーラを控えていたとか……?
いやいや、まさか。ルチアがいかに完璧美少年だからって、オーラの出し入れなんかできっこないわ……。
……なんて、こんな風に気をそらさないとHPを持っていかれてしまうわ。
まさか、侍従の美貌で瀕死になる日が来るとは。慣れるまで大変ね……。
ルチアは主人からの恨みがましい視線を華麗にスルーする。
「こんなところでのんびりしていていいのですか?
イベントとやらがあると言っていませんでしたか」
「大丈夫よ。わたくしが何かをする必要はないの。
今の時間――入学式典が終わってからの時間、マリベルたんが会場にいるようにすればいいだけだから」
いま、マリベルたんは傍にいない。
わたくしが「ちょっとトイレに」と適当な嘘をついて会場に置いてきたからだ。
慣れない場所で一人にするのは心苦しいけれど、ある意味1番大事なイベントだから逃すわけにはいかない。
「イベントのためにはマリベルたんを一人にしなくちゃいけないのよ。
心配だけど、会場から動かないでいてくれればいいだけ――」
「お姉様〜!」
「――だか……ら……?」
聞こえてきた可憐な声に顔をあげると、天使がこちらに向かって駆けてくるのが見えた。
クリーム色のまっすぐな髪には、ついにつけられるようになったお母様の形見のリボンが揺れている。きらきらと輝くエメラルドのような瞳にまっすぐにわたくしを映しながら、天使はこちらに走って近づいてくる。
わたくしの目の前で立ち止まった天使は息を整えながら、「こんなところにいたんですね」と微笑んだ。
「なかなか戻ってみえないから、心配になって探しに来ちゃいました。
大丈夫ですか? ご気分がよくなさそうでしたが……」
さんざん待たせた姉に気遣う言葉をかけられるなんて、なんて優しい天使なのかしら……。
「……ま、マリベル? なぜここに?」
「えっ?
はい、心配になって探しに……」
そうよね。今さっき聞いたわ。
でも今は優しさに感動している場合じゃないわ!
「駄目よマリベル!
あなたはこの時間、会場の外にいちゃダメ!!」
「ええっ!? な、なぜですか?」
「とっても大事なことがあるの!!
今すぐ戻るわよマリベル!」
マリベルの手をとってわたくしは慌てて駆け出した。
中庭から会場まではそこまで遠くない。急げば間に合うはず!
――と、やっとの思いで会場に戻ったのに、そこには誰もいなかった。
「どっ……どうしよう……」
顔から血の気が引いていく。
さっそく最初のイベントをスキップしてしまったの?
これから先マリベルたんはどうしたら……。
引っ張られても文句ひとつ言わずに一緒に走ってくれたマリベルたんは、青い顔でオロオロしている。
「お姉様……?
ごめんなさい、わたし、なにか粗相をしてしまいましたか……?」
マリベルたんはなにも悪くない。わたくしがもっと上手に言ってあげなくちゃいけなかったのに。
それに、今だってなんにも説明せずに『ダメよ!』なんて言って引っ張ってきてしまった。マリベルたんは相当困っているに違いない。
だめなのはわたくしだわ。マリベルたんを幸せにするって言っておいて、最初のイベントすらまともにこなせないなんて……。
思わず涙がこみあげそうになる。
「マリベル……わたくし――」
「いっけない、忘れ物忘れ物!」
そこに突然女の子が入ってきた。
フォレスター学園の制服を者た、同い年くらいの女の子。まんまるのピンク色の瞳にオレンジ色のショートボブ、髪の一房が頭頂部からくるんと巻いて触角のように生えている。
女の子はわたくしに気づくと、あからさまに青ざめた。
触角がビリビリッと驚いたように動く。
「えっ?
も、もしかして、シビル・クリスタル様……!?」
あの触角が、攻略対象との親密度を測るのに一役買っていたのを思い出す。
彼女の感情に合わせて形が変わるのよね。現実でもそうなるとは思わなかったけど。
女の子――リディアはなぜか「ごめんなさい!」と謝ってくる。
「あたしいらっしゃるのに気づかなくて、邪魔するつもりはなくて、なっ、なんにも見てませんからっ!」
もしかして入学早々いじめでもしてると思ったのかしら。
ちょっと落ち込むけど、悪役令嬢としては正解……?
――じゃないわ、わたくしがここにいて邪魔しちゃだめじゃない!
わたくしは悪役令嬢よろしく髪をばさっとかきあげて仁王立ちし、リディアに向かって不敵に微笑みかける。
「まあ、リディア嬢。ごきげんよう――」
ところでわたくしちょっと用事が――と、適当な理由をつけて退散しようとした。
なのに、盛大に言葉を遮られた。
「ええっ!?
あ、あたしの名前、ご存知なんですか!?」
「……え?」
――しまった。たしかに、まだ名前を聞いていないわ。
わたくしにとってリディアは重要人物だったし、とても親しみのある存在だったから、ついつい名前を呼んでしまったわ。
なんて言い訳をしようか考えて、ふと思い出した。
そういえば、入学式典で名乗っているはずじゃない。それを聞いて知っていたっておかしくないはずだわ。
なんだ、慌てて損したわ。セーフ!
「まあ、入学式典で名乗っていたんだから知っていますわよ。
リディア・シパーリ嬢――そうでしょう?」
わたくしがドヤ顔をして見せたのに、リディアはまだ驚きの表情をしている。
「た、たったあれだけで覚えたんですか?
入学式典では全校生徒が名乗ったのに……?」
わたくしは頭を抱えたくなった。
確かに、リディアの言うとおりだわ……。
入学式典では、フォレスター学園の入学生全員が名乗っている。冷静に考えたら、その全員の名前を一回聞いただけで覚えるなんて普通はできるはずないわ。
でも言った言葉は取り返せない。
――ならばせめて悪役令嬢らしく、傲慢に見栄を張って盛った方がいいはずよね!?
「……と、当然ですわ。これから、あなたたちとは一緒に勉学を修める仲間になるのですから。
それに、クラスが決まったらあなたとはクラスメイトになるかもしれませんでしょう。
わたくしぐらいになりますと、側近候補に目を付けておくのは当然のことですのよ!」
わたくしの必死のドヤ顔は、しかし、効果がなかったようだ。
リディアは完全に固まっている。
ああ、怪しんでいるのね!? どうしよう、さっさと退散しておけばよかったわ……!
わたくしが焦りかけたとき――リディアの触角が反応を示した。
くるんとカールし、まるでハートマークのような形になって可愛らしく揺れはじめる。
あの触角が示すのは……“好意”。
『ナナハナ』では、攻略対象と順調に進展しているときに見られた形。
でも、今は攻略対象はいないのに――。
疑問に思った瞬間、リディアがわたくしを見つめてきた。
リディアの瞳はキラキラと輝き、頬はピンク色に染まっている。
そして、リディアの口から出たのは思っていたのとは全く違う言葉だった。
「あたしのこと、クラスメイトって……フォレスター学園の一員だって、認めてくださるんですか……?
――あたしみたいな、成金の木っ端貴族を……?」
リディアの声は震えている。
信じられないというように、でも、感動が押さえきれないというように。
「それに……クリスタル公爵家のご令嬢の側近候補に、あたしみたいな下級貴族を選んでくださるなんて。
あたし……そんな風に言って下さる貴族の方なんて、初めてで……」
わたくしは『ナナハナ』の展開を思い出した。
そして、自分の過ちに気付いた。
――完ッ全に、やらかしたわ。
絶望にうちひしがれるわたくしの後ろから「そうなんです!」という元気いっぱいな声が聞こえた。
わたくしの後ろにいた人物――つまりマリベルたんだ。
マリベルたんはリディアと全くおんなじ、キラキラの瞳にピンク色の頬をしてリディアの手をとる。
「お姉様は、本当は優しくて素晴らしいお方なんです!」
「そ、そうだったんですね……!
あたし、いろんな噂を聞いて、てっきり勘違いしてて……」
「誤解されがちなお方なんです。
でも、初めて会ったときからわたしを暖かく受け入れてくださって……」
「なんて素敵なんでしょう……!」
いつの間にかマリベルたんとリディアはわたくしの話で盛り上がっている。
展開についていけずに固まるわたくしに、ずっと黙って後ろで控えていたルチアがそっと耳打ちした。
「妙な展開になっていませんか?」
……それは、わたくしのセリフよ。
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