第二話
気が付くと、わたくしは私室のベッドで眠っていた。
まだ痛む頭を必死にひねり、さっき思い出したことについて考える。
一気に頭を駆け巡った記憶を思い返しながら、わたくしはぽつりと呟いた。
「もしかして――さっき思い出したのって、“前世の記憶”?
前世での自分の名前を聞いたことをきっかけに、記憶がよみがえったの……?」
もしもあれがわたくしの前世なら……わたくしは、ちょっと会社がブラックすぎて、ちょっと乙女ゲームのヒロインが好きすぎただけの、ごくごく普通の平民の女性だったようだ。
前世を思い出したことで、まさしく命をかけるレベルで愛していた乙女ゲームのこともはっきりと思い出した。
『七色の花束をあなたに』――通称『ナナハナ』は、平民だったヒロインが突然貴族となり、貴族が通う学園に通うことになって、攻略対象に出会い恋に落ちる――という、王道ストーリーの乙女ゲーム。
そしてわたくしが一番大好きなキャラクターは、ヒロインの“マリベル・クリスタル”。
マリベルは、クリーム色の髪にヒスイのような美しい瞳を持つ美少女だ。
クリスタル公爵と愛人との間にできた私生児で、生まれる前に母子ともに捨てられ、流行り病で母を亡くしてからは孤児院で暮らしていた。
その後引き取られたクリスタル公爵家でも姉からいじめを受けるも、15歳で入学するフォレスター学園で攻略対象たちと出会い、バラ色の青春を送ることになる――。
前世のわたくしは、とても清らかな心を持っていて、みんなを癒してしまうほど心優しいマリベルが、大好きだった。
『ナナハナ』では、どの攻略対象もみんな少しずつ問題を抱えているけれど、マリベルはその優しさで攻略対象たちを癒してあげていた。
それに、今まで自分を害してきた悪役令嬢でも処刑されると知って涙を流したりするような、本当に聖女のようなヒロインなのだ。
対して、最終的に処刑までされる悪役令嬢は、ヒロインの姉にあたる人物だ。
豊かに波打つ赤髪に金色の吊り上がった瞳の少女で、愛情の薄い家庭でワガママなカンシャク娘に育つ。
突如できた腹違いの妹を冷遇し、学園に入学してからも権力と金にものを言わせてヒロインをいじめまくる。
それでも攻略対象たちに愛されまくるヒロインに嫉妬し、ついには“闇の禁術”と呼ばれる禁じられた力に手を染めてしまうのだ。
最終的にはその力でヒロインを殺害しようとしたために、断罪されて処刑されてしまう……。
そんな悪役令嬢の名前は、“シビル・クリスタル”。
そしてわたくしの名前も、“シビル・クリスタル”。
……こんなことって、本当にあるのかしら?
前世で大好きだった乙女ゲーム『ナナハナ』の登場人物――“悪役令嬢シビル・クリスタル”に、わたくしが生まれ変わった、なんて。
悪役令嬢ということは、つまり、わたくしは――処刑されて死ぬ。
――でも、そんなことは、どうでもいい。
一番大事なのは、愛するヒロインが、悪役令嬢の妹であること。
つまり愛するマリベルたんが、わたくしの妹になる……!
前世では、ヒロインたるマリベルたんのことを、妹のように愛おしく思っていた。
それが、本当の妹になってくれるなんて……!
マリベルたんが幸せになるなら、わたくしは命を落としたってかまわない。
どうせもうすでに(しかも半分自業自得で)失った命なのだから、愛しのヒロインと姉妹として過ごせるボーナスステージをできるところまで堪能するわ!!
だから、わたくしが今からやるべきことは――死亡フラグを回避することでも、品行方正な令嬢を目指すことでもなく――一刻も早く、マリベルたんを我がクリスタル公爵家に迎え入れること!
『ナナハナ』では、幼くして母子ともにクリスタル公爵に捨てられてしまったマリベルは、城下町で平民として暮らす。でも10歳になるまでに流行り病で母を失い、それからは孤児院に入るのだけれど、その孤児院も劣悪な環境で辛い思いをすることになる……。
今はもう孤児院に入っている頃で、本来ならわたくしが13歳になり、我が国の第二王子であるオズワルド・フォレスター殿下の婚約者になる3年後、クリスタル公爵家の跡継ぎがいなくなったために仕方なく引き取られるはず。
でも、3年もあの孤児院にいるなんて……そんな辛い思いを、マリベルたんにさせるなんて、わたくしが許さないわ!
なんとしてでも、一刻も早く、マリベルたんを救い出さなくては……!
***
――わたしは、フォレスター学園の廊下を急ぎ足で歩いていた。
急がないと授業に間に合わない。走らないよう気を付けつつ、一生懸命足を動かす。
移動が遅くなってしまった理由を思い出して、胸がちくりと痛む。
にじみかけた涙を振り払うようにわたしは頭を振った。
(暗い顔してたらだめですよね。
また皆さんを心配させちゃいます……!)
よし、と意気込んで、また足早に教室に向かおうとしたとき――誰かが目の前に立ちはだかった。
「あらぁ、誰かと思ったら平民じゃない?」
豊かに波打つ赤髪をかき上げながら、彼女は金色の目を吊り上げた。
シビル・クリスタル様――わたしの異母姉妹だ。
「し、シビル様……」
姉妹と言えど姉と呼ぶことは許されていない。
シビル様は、元平民だったわたしを妹とは認めてくれていないからだ。
「こんなところで何してるのよ? あなたのクラスは次の授業があったわよね。
嫌だわ、もしかしてサボるつもり?」
「そ、そんなつもりは……」
わたしが教科書をぎゅっと抱きしめてうろたえると、シビル様は笑みを浮かべ、面白そうに言う。
「あら、あなたの教科書、ずいぶんと汚れていない?
まるで、ゴミ箱にでも捨てられていたみたいねぇ?」
「……っ」
わたしは何も言えず俯く。
移動が遅くなった理由は、教科書が見つからなくて探していたから――。
ようやく見つけた教科書は、ゴミ箱に捨てられていた。
教室には誰もいなかったのに、どうしてそれを知っているのか――なんて、恐ろしくて聞くことはできない。
「あなたみたいな汚い女にはお似合いね!」
高笑いするシビル様の言葉に、思わず視界がうるむ。
(泣いちゃだめ……シビル様だって、悪気があるわけじゃないんですから)
ぐっと涙をこらえようとしたそのとき――。
「マリベル嬢?」
「……!」
わたしを呼ぶ声に顔をあげる。
そこには、オズワルド殿下が立っていた。
オズワルド殿下は、心配そうな顔をしてわたしを見ている。
きっと、わたしが遅いから探しに来てくれたのだろう。
「で、でん……」
「オズワルド殿下!」
わたしを押しのけるようにして、シビル様はオズワルド殿下に駆け寄った。
「こんなところでお会いできるなんて嬉しいですわ!」
シビル様はオズワルド殿下にしなだれかかるが、オズワルド殿下はやんわりと距離をとる。
「すみません、今から授業ですので」
「まあ……少しくらいいいじゃないですか」
「もう始まる時間ですから……マリベル嬢、行こう」
「は、はい」
オズワルド殿下は守るようにわたしの肩を抱き一緒に歩いてくれる。
一瞬、わたしを睨み付けるシビル様が視界の端に移ったけれど、すぐに角を曲がってしまって見えなくなった。
ふう、と思わず息を吐いてしまう。
「ありがとうございます、オズワルド殿下」
お礼を言うと、オズワルド殿下は申し訳なさそうにする。
「すまない、マリベル嬢。
もっと早く探しに行くべきだったね」
「いえ! とても助かりました」
「いや、僕はなにもできなかった。
婚約者に表立って注意することもできず……本当にすまない」
「わたしは大丈夫です。
オズワルド殿下が来てくださっただけで、嬉しかったですから」
颯爽と現れたオズワルド殿下は、まさに王子様だった。
思わず胸が高鳴りそうになるが、彼は姉の婚約者。
叶わない願いを抱いたら辛くなってしまう。
わたしは誤魔化すように頭を振った。
「それに、シビル様だって悪気があるわけではないんです。
今まで存在も知らなかった女の子がいきなり妹だなんて、誰でも受け入れられないですから。
今は戸惑っているだけなんだと思うんです」
わたしがクリスタル公爵家に引きとられてから、シビル様の態度は変わらず、妹とは認めない――とずっと言われている。
シビル様の言葉や態度に傷つくこともあるけれど、仕方ないことだ。
(きっと、わたしがもっと優秀になって、誰からも認められるような令嬢になれば、シビル様――お姉様もわたしを妹と認めてくださるはず。
フォレスター学園に入学させていただいたということは、お父様やお姉様に期待されている証拠だと思うから――もっと頑張らなくちゃいけません!)
強く教科書を抱きしめるわたしを、オズワルド殿下は心配そうに見つめていた――。
――そして、そんなオズワルド殿下とマリベルたんが描かれたスチルを見ながら、私は思った。
「なんて優しいの、マリベルたん!
マリベルたんマジ聖女……!」
***
――という自分の声で、目が覚めた。
寝言で起きるなんて初めてだわ。内容も内容だしちょっと恥ずかしい……。
そこでハッと気付き、キョロキョロとあたりを見回す。
……うん、まぎれもなくシビルの部屋だ。
転生自体も夢だったとか、そんな夢オチではない、みたいね。
どうやら、前世の記憶が蘇ったことで思い出した『ナナハナ』のワンシーンを夢に見たようだ。
優しさと思いやりにあふれるマリベルたんと、そんなマリベルたんを想い守るメイン攻略対象のオズワルド殿下……。素敵なシーンだったわ。
引き取られてからフォレスター学園に入学するまで、そして入学後もずっと悪役令嬢シビルにいじめられているのに、まだシビルのことを思いやれるなんて!
それに比べてシビルと来たら、幼稚ないじめをしていたわね……。
さっき夢に見たシーンは確か、ようやく学園生活に慣れてくる頃だ。
この頃はまだシビルの妨害はあんな幼稚ないじめや、取り巻きを引き連れての陰口程度だった。
でもここからどんどんひどくなっていき、最終的には“闇の禁術”でマリベルを脅かす。
そんな最低な悪役令嬢が、わたくしの転生先なんて……。
「改めて考えると、ちょっとショックな気もするけれど……。
マリベルたんのお姉ちゃんになれるんだから、嫌われ役になるくらいの代償は仕方ないわよね」
思わずつぶやいてから、ハッと気づく。
そうだわ、少しでも早くマリベルたんの姉になるためにがんばろうって決めたんだった!
こうしちゃいられないわ、早く行動に移さなくちゃ!
ガバッと起き上がり服を着替えようとして、どうしたらいいか分からないことに気づいた。
「……そういえば、今まではメイドが起こしに来るまで起きたことがなかったわ。
服も用意されたものを着せてもらっていたわね」
時計を見ると朝7時、迷惑になるような時間でもなさそうだわ。
あたりを見ても服はおいていないし……仕方ない、誰かを呼んでみようかしら。
今までのわたくしはメイドの名前なんてほとんど覚えていなかったから、呼ぶにもどうしていいやら分からない。以前のように「メイド!」って呼ぶのは、社会人としての記憶もある今のわたくしにはちょっと抵抗が……。
そうそう、そういえば前世のわたくしと同じ名前のメイドがいたんだったわ! それで記憶を思い出せたんだもの。ということは、そのメイドは“アンナ”ちゃんね。
あと思い出せる名前は……メイド長の“テレサ”はさすがに覚えているわね。どちらかに頼みましょう。
「えーっと、誰かいないの?
アンナ? テレサ……?」
そっと扉を開いてキョロキョロすると、ちょうど誰かが近くを通りがかった。
「あっ、アンナ!」
名前を呼ばれたメイドはビクッと身体を震わせる。
アンナはまだ年若い、少女とも言えそうな年齢の女の子だ。
そばかすが散った顔は幼さが残って愛らしいけれど、今は驚きで口をあんぐりと開けたままになっている。
「お、お嬢様!? ど、どうされたのですか!?」
「どうって……起きちゃったから朝の支度をしたいのだけど」
「お、お嬢様が、朝自発的に起きてこられるなんて……!」
アンナ、驚くのは分かるけれど、聞こえるように言っちゃだめじゃない。
わたくしが以前のままだったら激怒していると思うわよ?
「あなた、支度を手伝ってくれる?」
「ヒィ!? わ、私ですか!?」
悲鳴が出るほどわたくしが怖いらしい。
ま、無理もないか。この子は入ったばかりですぐわたくしの罵声を浴びているんだものね。
「……忙しかったら別のメイドでもいいのだけど」
「いっ、いえ! だ、大丈夫です、準備をしますので少々お待ちください!」
アンナがバタバタと去っていく。
他のメイドもみんなこんな感じだったらどうしよう。ひとまず情報収集のために、使用人たちにマリベルたんやマリベルたんのお母様のことを聞き込みしたいのだけど。
でも、時間をかけてはいられないわ。こうしている間にもマリベルたんは苦しんでいるのだから!
一刻も早く孤児院からマリベルたんを救い出すために――『マリベルたん救出大作戦』を決行するわ!
***