第十八話
マリベルたんのお茶会デビューは成功に終わった。
それは、全然悪いことじゃない。悪いことじゃない、のだけれど……。
「はぁ〜……これで大丈夫なのかしら……」
わたくしは盛大にため息をついた。
天気の良い昼下がり、ルチアが淹れてくれた美味しいお茶と、用意された綺麗なお菓子。
良いことづくめのお茶の時間でも、わたくしの気持ちは晴れなかった。
「なにか問題でも?」
わたくしの対面に座るルチアは、優雅にお茶をすすっている。
あんまり聞く気がなさそうな態度に見えるけれど、なんだかんだ最後までちゃんと聞いてくれる。それに、今までの付き合いのなかで、本当に深刻な内容なら助けてくれると分かっている。
わたくしはそれに甘えて、ついつい弱音を口にした。
「『ナナハナ』では、入学時のマリベルたんは少し……なんというか……内向的で、影のある感じなの。
お母様を喪ってすぐひどい環境の孤児院で辛い体験をして、いきなり貴族に引き取られたと思ったら姉にいじめられて、父親は助けてもくれない。
そんな生活を送っていたらそうもなるわよね……」
「しかし、今のマリベル様は全く違う様子ですね」
「そうなのよ」
初めてのお茶会を終えてから、マリベルたんはどんどん自信をつけていった。
我が家に来た最初のオドオドした雰囲気はなくなって、話し方もしっかりして、表情も明るくなった。
最近はいつもニコニコしながら、勉強会も絵画や音楽も楽しんでくれている。
本来なら今の時期はシビルからのいじめのせいで暗く落ち込んでいるはずだから、とても良い傾向よ。
「……たぶん、そのはず、なんだけど」
前世でプレイしていた『ナナハナ』の場面を思い浮かべる。
暗い影が差した生活の中で陰りがちになったマリベル。でも、フォレスター学園に入学したことで転機が訪れる。
入学テストで首席になって誘われた級議会には、いじめてくる姉はいない。逆に、自分を有能だと信じてスカウトしてくれた殿下や、困ったときに助けてくれるみんながいる……。
「そうして、マリベルたんは自信を取り戻していき、攻略対象たちと親密になっていくのよ。
でも、今のマリベルたんの様子だと……」
「既に自信に溢れた女性のように思えますね」
「そうなの……」
最近のマリベルたんは、『ナナハナ』開始時点より明るく元気で可愛らしい、愛されて育った少女のようだ。
『お姉様! 見てください、庭のお花がとっても綺麗に咲いてます!
少しお散歩しませんかっ?』
花のように満面の笑みを向けてくれるマリベルたんは、本当に本当に可愛い。
辛い生活から救い出せたことを、自信を取り戻すお手伝いが少しでもできたことを、本当に嬉しく思う。
「――でも。
本来なら、マリベルたんを救うのは攻略対象のはずなのよ。
それに、少し影のあるところも恋のスパイスになったはずだったのに……」
「そんなものなのですか?」
ルチアが不可解そうに首をかしげる。
「そうよ!
辛く苦しいときに助けてくれた相手にキュンキュンしちゃうものじゃない!
ルチアだって乙女なら分かるでしょ!?」
と言いつつ、良い返事は期待していないけど。ルチアってなんだか達観していて、全然恋バナとか乗ってこないんだもの。
ところが、ルチアはたっぷり数十秒は考え込み始め、
「……………………まあ、そう、ですね」
いつになく神妙な面持ちで頷いた。
まあ……! ルチアにも分かるのね!?
いつもは感情なんて忘れましたみたいな態度をとるくせに、やっぱり乙女心を持っていたんじゃない!
ついつい語らいたくなったけれど、今はそれを語っている場合じゃないわ。我慢我慢。
「オホン。とにかく、わたくしがマリベルたんの幸せの一部を奪ってしまったんじゃないかと思うのよ。
わたくし、『早く会いたい』って自分のことしか考えていなかったのよね……」
落ち込むわたくしをよそに、ルチアはお茶を啜った。そして平然と言う。
「数年孤児院で過ごして、実の姉にいびられるほうが、不幸だと思いますが?」
「そ、それはそうなんだけど……」
マリベルたんが『ナナハナ』開始時と同じ状態になるには、辛い思いを散々しなきゃいけないことになる。わたくし、数年間辛い思いをして暗いマリベルたんを見るなんて耐えられないわ。
でも、ルートを攻略していくために、今のままでいいのかしら……?
例えば、なにかのフラグを叩き折ってしまったんだとしたら?
わたくしには不安だわ。
「そんなに不安なら、シナリオ通りに振る舞えばよろしいのでは?」
「そんなことできるわけないでしょう!?
『ナナハナ』のわたくしがどれだけマリベルたんを苦しめたことか……!」
想像するだに恐ろしいわ! ていうか嫌われちゃうじゃない!!
ルチアはふむ、と唸ってようやくティーカップを置いた。ちょっとは真剣に聞いてくれる気になったようだ。
「常々疑問に思っていたのですが、悪役としての運命を変えるおつもりはないのにいじめもしない……となると、どのようにされるおつもりなのですか?」
「ふっふっふ。よく聞いてくれたわね、ルチア!
わたくしだってちゃんと考えているのよ!」
わたくしはふんぞり返ってルチアに人差し指を突きつける。
どうもルチアはわたくしのことを馬鹿にしているようだから、わたくしにもちゃんと考えがあるってところを証明して見せるわ!
「フォレスター学園に入学したら、マリベルたんとはできるだけ距離を置くつもりよ。
そして、めちゃめちゃ横暴に振る舞うの。権力を笠に着てワガママ言ったり、授業をサボったり先生に口答えしてみたりね!
でもマリベルたんに直接なにかをするわけではないわ。
そうすれば悪役っぽくなりつつ、マリベルたんにかかる迷惑は減るでしょう?」
腰に手を当ててふんぞり返るわたくしにルチアは話を続けた。
「しかし、マリベル様はシビーを頼っているではありませんか。
距離をおかれたりしたらお困りになるのでは?」
「ふふん。そこも大丈夫よ。マリベルたんには心強い味方がつく予定なんだから」
それを聞いた途端、ルチアは真顔になった。
急に部屋の中に冷気が漂う。
「……私のことではありませんよね?」
またマリベルたんの侍従にさせようとしている、と誤解されたようだ。
わたくしは慌てて両手を振った。
「ち、違うわよ。乙女ゲームっていうのはそういうものなの」
「そんなものですか……」
ルチアからはとりあえず不穏なオーラは引っ込んだようだ。良かったわ。
それにしても、そんなにマリベルたんの侍従になりたくないのかしら? わたくしとしては、そうなってくれた方が安心なのだけれど。
それとも……やっぱり退職したいのかしら。確かに、ルチア程の人間なら他の職場を難なく見つけそうだけど。
いいえ、それ以外の可能性もあるわ。ルチアももうそろそろ14歳を迎えようとする歳だもの。この世界の女の子たちには結婚を意識して動き出している子もいる年齢だわ。実際、わたくしだって婚約者が決まったのだし。もしかして、転職より婚活を考えているのかも……。
改めて目の前に座るルチアを眺める。
我が家に来てから早数年、屋根がありふかふかのベッドがあり、毎日お湯を使えて手入れもできる環境に慣れたルチアは、見違えるように美しくなった。以前のボサボサ頭は見る影もない。
切れ長の瞳はアメジストのように美しくひんやりとしている。艶々の長い銀髪もいつもきっちりまとめていて隙がない。背もずいぶん伸びて、すらっと細い体躯はしなやかで美しい。良い嫁ぎ先がいくらでも見つかりそうなほど美人ではある。
……美人、なのだけれど、最近はなんか……それだけでは収まらないような気がするのよね。
なんていうか……こう、格好良い感じ、というか?
なんでだろう? 乙女心を抱いた美少女のはずなのに、行動の端々に格好良さというか、イケメンオーラを感じることがあるのよね……。
前世で染み付いたオタク気質に、この世界に来てから数年オタ活できていないことが合わさって飢えでおかしくなっているのかしら。
「……なんです?」
ルチアが不機嫌そうに眉を寄せる。
「ううん。ルチアってやっぱり美人だなって」
「お褒めいただき光栄です」
「どんどん背も伸びるしね。また服を新調したでしょう?
いつもシンプルなワンピースばかりなんだから。もっと色々着たらいいのに」
ルチアはメイドではなく侍従なので、メイド服ではなく好きな服を着てもらっている。あまりに華美すぎなければ許可するのに、大抵は黒やグレーのシンプルなワンピースだ。
「ルチアは美人なんだからなんでも似合うわよ。
いつものワンピースもいいけど、もっと装飾のついた服でもいいのよ?
背が高いからパンツも似合いそうだし、いっそ男装したらすごく素敵だと思うわ!
ルチアが男の子だったらそれこそ攻略対象になれるくらい美少年なのに――ハッ」
思わずオタク気質が暴走して妄想を垂れ流してしまった。
この言い方じゃ女の子に対して失礼だわ。また白い目でみられる。
「あのっ、変な意味じゃないのよ。
すらっとして格好良いっていう意味で――」
慌てて取り繕おうとして、ルチアの異変に気づいた。
ルチアは白い目もしていないし不機嫌そうでもない。なぜか、驚いているように微かに目を見開いている。
「る、ルチア、大丈夫?
ごめんなさい。気分が悪かったわよね……?」
声をかけるとルチアはハッと気付いたように瞬きした。一瞬でいつもの無表情に戻ったけれど、ふっと伏し目がちになる。
「……いえ。すみません。
少し考えごとをしていただけです」
「そ、そうなの……?」
でも、まだ顔色が冴えないわ。
思い悩んでいるような、思い詰めているような……そしてどこか悲しそうに見える。
「そろそろ潮時ですね」
「えっ?
ど、どうしたの、なにかあったの……?」
悲しそうルチアをなんとか溶かしてあげたかったけれど、「いいえ」とルチアは首を振った。
「なんでもありません」
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