第十六話
オズワルド殿下とマリベルたんの初対面の成功により、オズワルド殿下ルートは上々の滑り出しができた。……と、思う。
とはいえ、本番は2年後のフォレスター学園入学後ね。それまではマリベルたんとのんびり過ごせばいいはずだわ。
――と、思っていたのだけれど。
日課のマリベルたんとのお茶を楽しんでいたとき、ルチアが一通の手紙を渡してきた。
「お茶会の招待状が届いております」
「え? わたくしに?」
「いえ、マリベル様に」
わたくしの横に座っていたマリベルたんがガチャン! と音を立てた。
ティーカップを取り落として、ソーサーの上に落下させたらしい。
「だ、大丈夫? マリベル」
「は、はい」
幸いお茶がこぼれたり茶器が割れたりはしていない。良かった。
マリベルたんは普段マナーも完璧なのだけれど、それくらい驚いたようだ。
「あの、わ、わたしにですか……?」
ルチアが頷いて招待状をマリベルに差し出す。
マリベルたんはおっかなびっくり招待状を受けとって、そっと開封し始めた。
「下級貴族の伯爵家からです。クリスタル公爵家とは縁がありません」
ルチアがわたくしにだけ聞こえるように耳打ちしてくれる。
なるほど、そういうことね。
クリスタル公爵家の一人娘だったシビル・クリスタルは、社交嫌いでほとんど顔を出さないうえに、性格も気難しくてパイプ作りには向かない。ところが、どこかからクリスタル公爵家の娘が増えたと聞き付けた。
『シビルより懐柔しやすいかも』と考えたどこぞの貴族が目敏く関係を作ろうとしている、という訳ね。
マリベルたんは中の手紙を確認し、オロオロと戸惑っている。
「お茶会……どうしましょう……」
「無理することないわよ、マリベル」
どうせ下心まみれのつまらないお茶会だし。
それに、マリベルたんは愛人の子ども……庶子にあたる。
『ナナハナ』では「平民あがり」とか「庶子のくせに」とか陰口を言われるシーンもあったわ。お茶会に参加するご令嬢たちだって、これ見よがしにヒソヒソしてくるかもしれない……。
せっかく今の生活にも慣れてきたところなのに、嫌な気持ちにさせたくない。
「でも……」
マリベルたんは困っているようだ。
優しいマリベルたんには招待を断ることに罪悪感があるのかもしれない。
「大丈夫よマリベル、別にこんなお茶会行かなくても……」
やんわりと止めようとして、ハッと気づく。
『ナナハナ』でのマリベルは入学まで社交の場には出たことがなかった。
何故なら、姉であるシビルに外に出ないように言いつけられ、招待が来ても握りつぶされていたからだ。
このままマリベルたんを止めたら、わたくしも意地悪をしたことになってしまうのでは……?
悪役令嬢を回避する気はないけど、マリベルたんに意地悪な姉だと思われるのは嫌だわ。
でも、嫌な思いをさせたくないし……ど、どうしたらいいのかしら!?
頭を抱えるわたくしをよそに、マリベルたんはぽつりと呟くように言った。
「ううん……やっぱり、行かなくちゃ。
せっかく誘っていただきましたし……こういう集まりに参加することは、大事なことだと思いますから」
マリベルたんは招待状を大事そうに抱き締めた。頬は上気して赤く染まっているのに、表情はどこか不安げだ。
「マリベル……」
そうか。
マリベルたんは今までずっと平民として暮らしていた。
そんなとき、会ったことのなかった父親が貴族と分かって、貴族として暮らせるようになった。
『ナナハナ』ではそこから姉にいじめられて希望を失っていく。
だけど、今のマリベルは、貴族として生きていくことへの希望と、責任感を抱いているんだわ。
「……そうね。
社交の場に参加するのも大事なことよ。
あなたもクリスタル公爵家の令嬢なのだもの」
「わ、わたしも、クリスタル公爵家の……」
マリベルたんは真っ赤になった頬に手を添えた。
瞳がうるうると揺れている。
「そうよ。クリスタル公爵家の一員として、参加してみてもいいと思うわ」
「でも……わたし、ちゃんとできるか不安で……」
おろおろと瞳を揺らすマリベルたんにきゅんとしつつ、わたくしはマリベルたんの手をとってきゅっと握った。
「マリベルなら大丈夫よ! わたくしの自慢の妹ですもの!」
「お姉様……!」
マリベルたんはぱあっと顔を輝かせた。
でもすぐに視線を逸らしてうつむいてしまう。
「わたし……がっ、がんばり、たい……けど……」
強かった語気はだんだん沈んでいった。やっぱり不安も強いのね。
なんとかマリベルたんを安心させられないかと唸っていたら、マリベルたんがきゅっと手を握り返してきた。
「やっぱり、わたし一人じゃ……不安で。
お、お姉様と、一緒に……というのは、難しいでしょうか……?」
「わ、わたくしと……!?」
マリベルたんはこくんと頷く。
確かに、わたくしは一応経験者だけど。
一人で行くよりは二人で行く方が安心するとは思うけど。
マリベルたんに陰口言うようなやつがいたら蹴り飛ばしてやるけど。
しかし、問題は山積みだ。
わたくしの評判はめちゃめちゃに悪いし。経験者といってもほぼ0に近いし。最新のパーティーにいたっては速攻で帰っちゃったし。蹴り飛ばしたらマリベルたんの評判までわるくなっちゃうかもだし。
……わたくしが役に立てるとは思えないのだけど!?
「……だめ、でしょうか?」
うるうるの瞳でマリベルたんが見つめてくる。
わたくしも一生懸命マリベルたんの瞳を見つめ返す。
マリベルたんの大きな瞳に映ったわたくしの顔が、百面相をしたあと覚悟を決めた顔に変わるのが分かった。
「……………もちろん、いいわよ」
「お姉様……! ありがとうございます!」
マリベルたんがぱあっと表情を輝かせた。
うう……っ、マリベルたんのためになるかは分からないけど、この笑顔のためなら……!
「……というわけだから、参加のお返事をしなくちゃね」
「はい」
わたくしたちの様子を眺めていたルチアは、超白い目でわたくしを見ながら頷き、さっそく返事の手配をしてくれる。
しかし……初のお茶会かあ。マリベルたんにとってはデビュー戦になるのよね。
わたくしには苦い思い出しかないけど、それはわたくしが罵倒と自慢を繰り広げたからだし……マリベルたんには縁のない失敗だわ。
元平民のお茶会デビューなのだし、本当ならマナーや礼儀の心配をすべきだと思うのだけど……。
まだ少し不安げな様子のマリベルたんに、わたくしは優しく声をかける。
「大丈夫よ、マリベル。本当に心配はいらないわ。
だって、マナーも礼儀も完璧ですもの。誰も文句をつけたりできないわ」
「そう……でしょうか?
ありがとうございます」
マリベルたんは照れたのか少しもじもじしている。
そして少し小さめの声で、控えめに言った。
「お母様が……教えてくださったおかげです」
「そうなのね」
マリベルのお母様は元令嬢だから、マナーや礼儀も身に付いていたはず。
だからマリベルたんに教えることができたのね。
……でも、ちょっと疑問もある。前から不思議に思っていたことだ。
マリベルたんは平民として生活していた。マリベルたんのお母様も、元令嬢とはいえ平民街では平民として生活していたはず。
だから、マリベルたんに貴族の作法を教える必要はなかったはずなのよね。だって、平民として過ごすには必要のないものだし。
礼儀作法ができて悪いことはないでしょうけど、完璧にマスターするには相当練習しなければいけなかったんじゃないかしら? なぜそこまでしたのか不思議だわ。
……まあ、マリベルたんにはヒロイン補正があるから、ちょっと教わっただけで完璧にマスターしただけなのかもしれないけれど。
マリベルのお母様については、いまだに触れられていないのよね。そのうち、とは思っているけれど……難題すぎるわ。
考え込むわたくしをマリベルたんが不思議そうに見ている。
いけない、今はそれどころじゃないわね!
マリベルたんのお茶会デビューを素晴らしいものにするために、準備をしなくっちゃ。
「とりあえず……準備をしておきましょうか。
まずはお洋服を考えなくっちゃね!」
「! は、はい!」
マリベルたんはぎゅっと拳を握って、意気込むようにしっかりお返事をしてくれた。
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