第十二話
――こうして、マリベルたんがクリスタル公爵家にやってきたというわけだ。
ここまでの道のりは本当に長かったけれど、『マリベルたん教出大作戦』は無事成功に終わった。
でも、ここからだって気を抜けないわ。
フォレスター学園に入学したら、ヒロインと悪役令嬢は敵対関係になる。だから、マリベルたんと楽しく過ごせるのは入学前の今しかない。
つまり、今のうちにめいっぱい仲良くしておかないといけないのよ!!
そのために、まずは打ち解けてもらうところから始めないと。きっと前評判が悪いわたくしのことを警戒しているはずだから、まずはそこをなんとか解かなくちゃね!
というわけでさっそく翌朝、マリベルたんに客間に来てもらってお話をすることにした。
「おはよう。昨日はよく眠れたかしら?」
「は、はい……あの、ありがとうございます……」
マリベルたんは暗い表情でぺこりと頭を下げた。顔色もあまり良くない。
そうよね、初めて来た知らない家、しかも悪名高い令嬢がいるような家で、よく眠れるわけもない。わたくしったら、配慮が足りなかったわ。
今日はゆっくりさせてあげた方がよさそう。でもせめて、少しでも警戒を解いておきたい。その方がマリベルたんも休めるでしょうし……。
まずは自己紹介ね。『ナナハナ』では『ちゃんとした説明もなくいきなり引き取られてきた』という描写があったから、今のマリベルたんも同じはず。
わたくしのことだって、悪い噂は聞いていても、正しい名前なんかは知らない可能性すらあるわ。
「改めて、わたくしはシビル・クリスタルよ。どうぞ好きに呼んでちょうだいね」
「あ……えっと、はい……」
マリベルたんはオロオロと目線をさまよわせる。
なんて呼ぶか考えているのかしら? なんでもいいのに。マリベルたんが呼んでくれるなら、それだけで幸せなのに……。
マリベルたんの言葉を待ってじっと見ていたら、マリベルたんは徐々に青ざめていく。
えっ、もしかして怯えてる!? 悪役令嬢だって雰囲気で分かっちゃったのかしら!?
わたくしもオロオロしはじめたところで、マリベルたんはいきなり頭を深々と下げた。
「……ま、マリベル、と…………申します」
か細い小さな声がかろうじて聞こえてくる。
思わずぱちぱちと瞬きをしてしまった。
名乗るのに緊張していた……のかしら? びっくりしたわ、わたくしの顔ってそんなに怖いのかと思っちゃった。
きっと、わたくしが名前を知らないと思っているのね。名前を呼んだら暴発しちゃいそうで、昨日からあまり呼ばないようにしていたし……。
だから、名乗ってくれたんだわ。わたくしが呼べるように。
「マリベル」
言葉に乗せると、どうしようもなく愛しい感情が湧き出てきた。
これまでもずっと呼んできた愛しい名前。
だけどこれからは、本人を前にして呼ぶことができる。そう思うと、嬉しくてたまらない。
「とっても、素敵で、美しい名ね」
万感の思いを込めて呟くと、マリベルはびくっと肩を震わせた。
そしてそっと顔を上げ、恐る恐ると言った様子で小さな声で言う。
「……よろしいのでしょうか」
「えっ? なにが?」
「名前を……変えたり、しなくて……」
頭の上にはてなが浮かぶ。
名前を? 変える……?
わたくしが首を傾げていると、マリベルはまた頭を下げて「ごめんなさいっ!」と急に謝る。
「で、出過ぎたことを言いました……」
よ、よく分からないけど……名前を変えたいの、かしら?
いえ、そんなはずないわ。マリベルたんのお母様がつけた大事な名前のはずだもの。
わたくしが困惑していると、控えていたルチアが後ろからそっと耳打ちしてくれた。
「……姉妹になるのですから、名をそろえた方がいいと思っておられるのでは?」
「姉妹になるから……名前を、そろえる?」
そこでハッと気がついた。
そうだった、そういえば――この世界では、『兄弟姉妹には似た名前をつける』という風習があるんだった!
たしか、文字数や音をそろえて似た名前にすることで、兄弟の絆を深め家紋の安泰にも繋がる……とかなんとかいう由来だった気がする。オズワルド殿下の兄弟である第一王太子殿下も“オ”から始まる5文字の名前だった(あんまりよく覚えてないけど)。
義務とかではなく、昔からそういう傾向があるというだけの風習だけど、養子をとるときにわざわざ名前を変えたりすることもあるのよね。マリベルはそのことを言っているんだわ。
「顔を上げて、マリベル」
まだ頭を下げているマリベルに促して、わたくしは努めて優しく微笑む。
「あなたの名前はとても素敵だし、11年間共に過ごしてきた大切なものでしょう。
だから、無理して変える必要はないと思っているわ」
……ただ、変えないままでいることにはリスクもある。
『ナナハナ』では、シビルがマリベルを本当の姉妹と認めなかったこともあり、マリベルが名を変えることはなかった。そしてもちろん、名前が似ていないことをフォローすることもなかった。
だから、マリベルがフォレスター学園に入学してから、『名前が似ていないからクリスタル公爵家の正当な令嬢ではない』と陰口を言われている描写があった。
『ナナハナ』ではシビルが積極的に『妹なんかじゃない』と主張していたこともあるけれど、姉妹で似ていない名前というのは、それだけでいろんな噂が立つ原因になってしまう。
それでマリベルが苦しむこともあるかもしれない。
「マリベルが望むのなら、変えなくてもいい。
でも、変えたいというのなら、それもいいと思うわ」
マリベルから言い出すと言うことは、変えないリスクも分かっているはず。もしそれが嫌で変えたいというのなら、それならそれでいいと思う。
「マリベルがどうしたいかが大切だから。
どちらにしても、あなたが不快な思いをしないように、わたくしは協力するわ」
「わたしが、どうしたいか……」
マリベルは胸に手を当て、うつむく。
しばらく考えてから、マリベルは顔をあげた。
「……わたしは、変えたく、ないです」
マリベルの真剣な目に嬉しくなって、わたくしは頷く。
「それなら、あなたはこれからもずっとマリベルだわ」
「……!」
マリベルが驚いたように目を見開く。
だけどすぐにきゅっと唇を結び、真剣な表情になった。
「……はい」
マリベルは小さく、でも確かに頷いた。
マリベルが自分の意見を言ってくれてよかった。わたくしを恐れて委縮するような、辛い思いはさせたくないから。
嬉しくなってうんうんと頷きつつ、「それに、わたくし思うのだけど」と続ける。
「“マリベル”と“シビル”って、文字数こそ違うけれど結構似ていると思わない?
ほら、最後が“ル”で終わるし、音もちょっと近いし。
ね、ルチア?」
「……そう、ですね。そう思います」
突然指名されたルチアは静かに頷いた。
明らかに思っていないトーンだけど気にしない。
「ほらね? だから気にしなくても大丈夫よ、マリベル」
マリベルは慌てたようにわたくしとルチアを交互に見る。
そして、頬をピンクに染めて、唇の端を少しだけ持ち上げた。ヒスイの瞳がゆっくり細められる。
「あ、ありがとう……ございます」
そして花咲くように笑った。
本物の……マリベルたんの、笑顔……!!
思わず感動にうち震える。猛烈にマリベルたんに抱きついてよしよししたい……!!
――ハッ、だめだめ、我慢よ、わたくし。せっかくぎこちなくても笑ってくれたのだから……!
感動を落ち着けるために紅茶をすすって深呼吸してから、ようやく本題に入る。
もう仕事をやり終えたような気分だけれど、まだ自己紹介しかしていないからね。自己紹介というか、名乗っただけだからね。
「……オホン。それでね、マリベル。
あなたの荷物について、テレサから少し聞いたのだけれど……お洋服をあまり持っていないのですって?」
「あっ……あの、はい……」
マリベルは恥ずかしそうにしている。
そう、平民街で暮らしていたマリベルたんは、金銭的に余裕がなかった。衣服にお金をかけることができず、数種類を着回してなんとか生活していたらしい。
さらにその後移った孤児院でも、子どもたちに十分な衣服が与えられていなかったことに心を痛め、クリスタル公爵家に引き取られる際、お洋服を少し寄付してきたという(なんて優しいの)。
だから、今手持ちの衣服がほとんどない。
『ナナハナ』では、マリベルたんに衣服を与えるなどシビルが許すわけもなく、仕方なくメイドたちが着るようなお仕着せを着ていた。でも、わたくしはそんなことはしないわ!
「やっぱり、そうなのね。ねえマリベル、よかったらお洋服をプレゼントさせてくれないかしら?
あなたがわたくしの妹になった記念に、なにか贈りたいの」
「えっ! い、いえ、そんなっ……!」
マリベルたんは手をブンブン振る。やっぱり遠慮するわよね。マリベルたんはそういう女の子だもの。
でも、古びたワンピース姿のままにしておくわけにもいかない。貴族令嬢として、ある程度ちゃんとした格好をしておかないと。
……わたくしが個人的に可愛いお洋服を着せてあげたいだけではないのよ。本当よ。
「遠慮しないで、マリベル」
「で、でも……」
「お姉ちゃんが妹にプレゼントをしてあげるだけなのよ」
「あ、あう……」
「それに、もう仕立て屋さんも呼んじゃってあるし」
「ええっ!?」
マリベルたんが目を白黒させている。
ごめんねマリベルたん、断るだろうと思ったからもう来てもらっちゃった。
さらに最終手段よ!
「ね、お願い、マリベル。いいでしょう?」
わたくしは指を組んで『お願い』のポーズをとり、上目遣いになってマリベルたんを見つめる。
マリベルたんは優しい。だから、お願いされると弱い。そこを巧みについたのよ。
すべては、マリベルたんに可愛いお洋服を着せて楽しむために……!
「…………わ、わかりました……」
マリベルは真っ赤になってしまったけれど、頷いてくれたから了承ということでいいわよね。
というわけで仕立て屋を部屋に呼び、さっそく服を並べてもらった。
金髪碧眼の完璧美少女なマリベルたんにはなんでも似合うけれど、明るい色合いで、あまり派手すぎず、でも可愛らしい感じのものがいいと思うのよね。
母を亡くし、孤児院で辛い体験をしたマリベルたんは、今はまだ少し陰りがあるはず。だからこそ、明るくて華やかな可愛いお洋服を着せてあげたい。
「マリベル、これはどうかしら? 着てみてくれる?」
「ど、どうでしょうか……」
「うん! やっぱり似合うわ! あ、あとあっちと、その隣も良いわね。着てみて?」
「は、はい……!」
いろいろとマリベルたんを着せ変えてみたけれど、やっぱり美少女はなんでも似合うわね。まだまだ時間が足りないわ!
「あ、あの……」
「ん? なぁに、マリベル。気に入るものがあった?」
「いえ、あの……シビル様、」
そこからマリベルたんが何かを言ったけれど聞き逃してしまった。
だって、マリベルたんに名前を呼ばれたのよ!? 感動だわ……!
でも、『シビル様』って……確かになんと呼んでも良いとは言ったけれど、他人行儀すぎる。
「せめてもう少し家族感がほしいわ……!」
思わず声に出してしまいマリベルを怯えさせてしまった。
「えっえっ? な、なにがですか……?」
「マリベル、呼び方を……もう少しこう……」
「呼び方……?」
「お姉ちゃんとか、いっそ呼び捨てとか、なんでもいいのよ? 遠慮しないで! ねっ!」
「ええっ……あの……でも……」
わたくしの期待のこもった目線を受けたマリベルたんは、オロオロと視線をさまよわせたあと、深呼吸した。
そして頬を染めてぎゅっと目をつぶり、絞り出すように言う。
「…………お、お姉様っ!」
か、可愛い……!!
心臓にずっきゅんと来た……!
まだちょっと固い感じもするけれど、今はこれで十分ね。というかこれ以上を食らったらわたくし倒れちゃうかもしれない!
「ありがとうマリベル……!」
「い、いいえ、すみません……」
「それで、なんだったかしら?」
「あっ、あのっ、もう十分かと思うんですが……」
そう言ってマリベルたんが指差した先には、売約済みの服が入った箱が大量に積まれていた。
自分でも気づかないうちにたくさん選んでしまったらしい。
正直まだまだ選び足りないけれど、これ以上はマリベルたんの負担になってしまうわよね……。
それに、マリベルたんはこれからしばらくはわたくしの妹でいてくれるのだもの。なにも今日すべて買いそろえる必要はないわよね!
「そうね、ごめんなさい、わたくし夢中になってしまったわ。
今日はこのくらいにしましょう。
さっそくどれかに着替えてみてはどう?」
「はい」
精算して仕立て屋には帰っていただき、マリベルたんには着替えてもらった。
マリベルたんが選んだのは、黄色いふわふわしたワンピース。うんうん、やっぱり似合うわ。
「お姉様、ありがとうございます」
頬を染めるマリベルたんは世界で一番可愛い。
満足しかけてふと、マリベルが髪をまっすぐおろしたままなことに気づいた。
そういえば、マリベルたんは我が家に来たときからずっと髪はおろしたままで、どこにもリボンをしていない。『ナナハナ』ではずっとリボンをしていたはず……。
……いえ、思い返してみると、『ナナハナ』でも入学前は髪はおろしたままだった。
もしかして、わたくしに目をつけられて大事なリボンを奪われたり汚されたりしたら……って心配しているんじゃ……?
「マリベル、せっかくだしもっとおめかししてはどう?
ほら、髪を結んだり」
「えっ? あ……えっと、髪を結うものをもっていなくて……」
マリベルたんは言いにくそうに目を伏せる。
あら? どういうことかしら……?
マリベルたんはお母様の形見のリボンを大切にしていたはず。花の刺繍にてんとう虫のように赤い石がワンポイントで入っている、可愛いリボンだった。
マリベルたんはさっきからうろうろと視線をさまよわせ、わたくしとは全然目が合わない。
何かを……というか、恐らくお母様の形見のリボンのことを隠しているみたい。
――やっぱり、わたくしが大切なリボンになにかするんじゃって心配しているんだわ。
マリベルたんの嘘に気づいたと悟られないよう、わたくしはにっこりして自然にふるまった。
「じゃあ、お詫びに今度は髪飾りをプレゼントするわわ」
「い、いえっ! あの、今日もたくさんいただいたので……!」
「そう? じゃあ、わたくしの髪飾りを使うといいわ」
「あ、ありがとうございます……」
マリベルたんは申し訳なさそうに俯く。
わたくしからリボンを守るためとはいえ、嘘をついていることに罪悪感があるのね。わたくしが悪いのだから、気にしなくってもいいのに……。
なんとなく気まずい雰囲気になってしまったことと、昨日寝不足だというマリベルたんに無理をさせないためもあって、今日はここでお開きにすることにした。
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