第十一話
「……お、お嬢様、おはようございます」
メイドに起こされたわたくしは、のろのろと起き上がる。
「おはよう、アンナ。今日は早いのね」
「今日は、大切な日ですから!」
アンナはひきつった声で言いながら、わたくしを刺激しないよう最小の動きでわたくしの支度を整えてくれた。
わたくしがため息をつくと、アンナがびくっと震える。
「もう1年経つのね」
「そっ、そうですね、11歳のお誕生日おめでとうございますです!!」
ひっくり返ったアンナの声を聞きながら、わたくしは窓の外を見た。
今日で、わたくしは11歳の誕生日を迎える。
前世の記憶を思い出し、マリベルたんを一刻も早く救い出すと誓ったあの日から、もう1年なんて……。
結局、マリベルたんをお迎えするまでに1年以上歳月をかけることになってしまうようだ。
辛い環境で過ごしているマリベルたんのことを思うと胸が痛くて、ついため息を漏らしてしまう。
そしてその度にアンナがびくびくする。なんだか可哀想だわ。
「ありがとう、アンナ。もういいわ。
そういえば、今日はルチアはどうしたの?」
「はいっ! 彼女はマクラーレンさんに呼ばれていましたっ」
こんなに朝早くから? なにかあったのかしら。少し心配だわ……。
「あ、あの、お嬢様」
アンナの声が震えている。思わずアンナを見ると、顔が真っ青で、エプロンの裾を握った手までぶるぶる震えていた。
「どうしたの?」
「あの、その、旦那様ですが……」
「ああ、今日も来れないのね?」
「じっ、実は……えっ? あ、はい」
アンナはぽかんとしつつ頷いた。わたくしがあまりにあっさり言うので驚いたようだ。
「いつものことだから、別にいいわ」
「お嬢様……」
わたくしは本当に気にしていないのだけれど、アンナは可哀想に思ってくれたのか、「あっ」と言いながら手をぱちっと合わせた。
「や、やっぱり毎年来てくださる音楽団をお呼びしましょう! それか、一昨年来てくださったというサーカス団をお呼びしますか!」
「いいえ。この間も言ったけれど、今年は本当に簡単でいいの」
毎年毎年ワガママを言って盛大にさせていたらしいお誕生日パーティーだけれど、今のわたくしにはあんまり楽しめそうにないのよね……。
「それより、美味しいケーキが食べたいわ。
用意はしてくれているのかしら?」
「はっ、はいもちろん! 今すぐ用意します!」
アンナが慌てて駆けていく。1年前のファーストコンタクトが最悪すぎて、いまだにアンナには怯えられているようね。他の使用人たちも同じような感じだけど。
まあ、わたくしはみんなに好かれようとしているわけじゃないから別に良いわ。
……本当はちょっと寂しいけど、でも、シナリオが変に狂ったら嫌だしね。
それよりも。父のことはいつものことだから良いけど、問題はマリベルよ。いっそ父に手紙でも書いて催促しようかしら? でもなんで知っているのか怪しまれたら嫌だし……。
もんもん悩みながらレターセットに手をかけたところで、ルチアが入ってきた。
「お誕生日おめでとうございます、シビル」
「まあ。ありがとうルチア。
そしてあなたも、お誕生日おめでとう!」
わたくしがにっこりすると、ルチアは逆に複雑そうな顔をした。
「おかしな気分です」
「今日お祝いするって言ったでしょ?
そうだわ。はい、プレゼント」
わたくしはできあがったリボンを渡した。下手くそな金糸の薔薇が並んだ黒いリボンだ。
「ありがとうございます」
「本当にこれでいいの?」
「ええ」
ルチアはにこりともせずに受け取った。全く嬉しそうではないけど、まあいいわ。
友人のお誕生日をお祝いして、プレゼントを贈る。相手の反応は置いといて、現実が充実している……! 素晴らしい満足感だわ。
「ほら、つけてあげるから座って?」
ルチアを鏡の前に座らせる。いつものお団子頭を一度ほどいて、丁寧に結び直してリボンを巻いてあげた。
うん、ルチアの美貌によれよれの薔薇がまったく似合わない。
やっぱり我ながらひどい出来だわ。一応、気持ちは込めたつもりなのだけれど……。
上手にできるようになったら新しいのをあげようかしら……。
「……ありがとうございます、シビル。
あなたも座ってください」
「? なにか変?」
「はい」
あっさり言われた。とりあえずルチアと入れ替わりで座る。
なにかしら。髪がちゃんと整ってなかったとか? 今日はアンナがやってくれたから、ルチアやテレサがやるほどではないにしてもそこそこちゃんとしているはずだけど。
ルチアがわたくしの後ろに立つ。髪を結い直して、リボンを巻いてくれた。
「このリボンは……?」
「私からのお祝いです」
「えっ……!」
鏡をよく見ると、赤と金の薔薇の刺繍が入った美しいリボンだ。
「私も初めてでしたので、拙い出来ですが」
「ルチアが作ったの!? すっごく上手だわ!」
鏡に向かって頭を左右に振りながらまじまじと見つめる。売り物にできそうな、綺麗で細かい刺繍だわ。
ルチアってできないことはないのかしら!? 刺繍までできるなんて有能すぎる……。
「このリボン、もらってもいいの?」
「もちろん」
ルチアに感謝しつつ、後悔を覚える。
やっぱりわたくしのリボン返してもらえないかしら。恥ずかしくなってきたわ。完全に釣り合ってないもの。
「わたくしがあげたリボン、やっぱり返してくれる?」
「それはお断りします」
きっぱりお断りされた。
鏡越しに見るルチアはなんだか満足げだ。
……まあ、いいわ。ルチアが喜んでくれたなら。
喜んでるようには見えないけど。
わたくしは諦めつつ、立ち上がってお礼を言う。
「ありがとう、ルチア。とっても嬉しいわ。
それで、今年はなにが欲しい?」
「……今さっき頂きましたが?」
「それは去年の分だって言ったでしょ。欲しいものはある?
わたくしにできることならなんでも言ってちょうだい」
わたくしはさらに特別にっこりしてあげた。
ルチアには表情らしきものは見当たらない。しばらく沈黙が流れた。
……なにかないのかしら。最悪、現金という夢のないプレゼントを用意するしかないわ。
と、わたくしが覚悟を決めたところで、ルチアが「では」と口を開いた。
「あなたを愛称で呼ぶ権利を頂きたいのですが」
「愛称で? シビーとか?」
「はい。難しいでしょうか?」
別にダメではないし、誕生日とか気にせず呼んで構わない。むしろそんなことがプレゼントになるのかしら?
まだ遠慮しているのかしら。なんでも言ってくれたらいいのに。
わたくしはしっかり頷いてみせた。
「いいわよ」
「ありがとうございます」
ルチアは少し目を細め、唇の端をあげた。今まで見たなかで一番微笑みに近い表情だ。
「では、他の方は誰もあなたを愛称で呼べなくなりますね」
「……えっ、そういうことになるの?」
「はい」
『わたくしを愛称で呼ぶ権利』は一点ものだったらしい。
ルチアの意図がわからなくてぱちぱち瞬きしてしまった。
もしかして……からかわれているのかしら?
『お友達のいないあなたにはいらない権利でしょう?』的な。
言質をとって揚げ足とりとは、皮肉屋なルチアらしい。むしろ、あなたの方がわたくしより悪役令嬢に向いているんじゃないかしら。
まあ、悪役令嬢たるわたくしが今後誰かに愛称で呼ばれることもないでしょうし、あげてもいい権利だからいいけど。
「別にいいわよ。好きに呼んでちょうだい」
ルチアはせっかく浮かべた笑みを引っ込め、意外そうな表情をした。
「いいのですか?」
「悪役令嬢に二言はないわ!」
今さっき悪役令嬢をやっていく自信を失ったところだけど。
「……そうですか。ありがとうございます。
では、私からも今年の分のプレゼントを差し上げます。
受け取っていただけますか……シビー?」
「まあ嬉しいわ。なにかしら?」
もうなにが来ても狼狽えないようにしよう。腕を組んでつんと顔をそらし迎え打つ。
ルチアは一通の手紙を取り出した。
「クリスタル公爵から、あなたに宛てたお手紙をお預かりしております。
内容は――」
『お前に妹ができることになった。
近々屋敷に住むことになるので、良くやるように』
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