第十話
マリベルたんのために、できることをしたい。
わたくしにもきっとできることがあるはずよ!
「……それで、何をしているのですか?」
「見て分からない? 刺繍よ!」
わたくしは手元のリボンをルチアに見せつける。
これまでのわたくしはやりたくないことはやらない主義の女の子だったので、こういった淑女の嗜みには無縁だった。
ということで、練習をしているのだ。
「刺繍を練習することが、なにかの役に立つのですか?」
「当然でしょ。マリベルたんのお手本になることが出来るじゃない。
上手にできたらプレゼントだってできるし!」
幼い頃から平民街で育ち、淑女教育を受けてこなかったマリベルたんには、クリスタル公爵家に迎え入れられてからの生活は勉強の連続になるはず。
わたくしがマリベルたんに教えてあげることができれば、マリベルたんも助かるし、早く仲良くなれるはずよ!
「……あまりお得意ではないようですね」
わたくしの手元を見てルチアがため息をつく。
「今までやってこなかったんだもの。でも、今から練習すれば上手になれると思うわ」
「最初からリボンなんて細かい物に挑戦するのは、少し無謀ではありませんか?」
「でもね、マリベルたんはいつも髪に花の刺繍が入ったリボンをつけているのよ。
わたくしが可愛いリボンを作れたら、きっと身につけてくれるわ。
好きな娘が自分が作ったリボンを身につけているなんて、最高でしょう?」
わたくしはドヤ顔で胸を張る。
ルチアがあからさまに白い眼を向けてきたけど気にしない。
「……しかし、なぜ黒地に金糸で刺繍を? 今まで聞いていた妹君の印象には合いませんが」
「そりゃそうよ。これは練習だから、完成したらわたくしが使うの。
悪役令嬢といれば、黒! そして薔薇! と相場が決まっているのよ」
ルチアはそれを聞いて目を眇め、そして見開いた。
「……これが、薔薇? ですか?」
「そうよ」
「…………個性的ですね」
分かってる。下手なのは分かってるけど、しょうがないでしょ。今までやったことなかったんだってば。
「もう、それより、何か用事があったんじゃないの?」
「ああ。報告があります」
ルチアは手元に持っていた資料をテーブルの上に置いた。わたくしは刺繍の手を止めて資料を拾い上げる。
「……これ、どうしたの?」
「少し調べてみたのですが、どうもあなたの言う通りの人物が存在しているようです」
資料にはある少女のことが詳細に載っている。どうやら孤児院の入所者の記録のようだ。
添付された写真には、クリーム色のまっすぐな長い髪に、ヒスイ色の瞳の少女が不安げな表情で写っている。
年齢は10歳。身長や体重、誕生日なども明記され、当然名前も載っている――『マリベル』と。
「マリベル……」
「他にも色々情報を集めましたが、あなたから聞いていた話と齟齬はないようです」
資料をめくると、マリベルのこれまでの暮らしのことも書かれている。
さる貴族から捨てられて母子で暮らしていたという話、母親が病で亡くなって孤児院に入所したという話、貴族と言うのがあのクリスタル公爵ではないか、という話……。
「孤児院ってこんなことまで調べるの?」
「そちらは私が調べた内容です」
「えっ!? こ、これを?」
ルチアは平然と頷いた。
「先日の茶番のおかげか、旦那様がシビルを本格的に婚約者に推そうとされているようでして。
マクラーレンさんと“雑談”していたときに、そのような話が出たので、跡継ぎに困るのではという話をそれとなく出したのです。
ついでに、『私が昔いた孤児院で、クリなんとか公爵とかいうお偉方の落とし胤の噂を聞いた』……と話しましたら、マクラーレンさんからも調査を頼まれました」
「…………」
思わず絶句してしまった。
「お金さえあれば色々やってくれるような人がたくさんいますので。シビルに頂いたお給料が役に立ちました」
ルチアはしれっと言うが、10歳程度の子どもの成せる芸当ではないと思うのだけど。
「……経費で落とすから言ってちょうだいね?」
「ありがとうございます」
とりあえず資料を眺める。これがマクラーレン、ひいては父に伝わっていれば、マリベルたんを迎え入れる準備はつつがなく整うでしょう。
わたくしが婚約者に決まる可能性が高まってこれば、父も本腰を入れてくれるに違いない。
……ルチアにはボーナスも検討するべきね。
ほぼ現実逃避しはじめたわたくしは、資料をルチアに返して刺繍を再開した。
「……ありがとうルチア。とりあえずわたくしの出る幕はないようだから、やっぱり刺繍を練習するわ。
上手にできるようになったら誕生日にプレゼントするの。楽し……み……、……あっ」
わたくしはあることを思い出して手をとめた。
「どうかしましたか?」
「いえ、……さっき言った、マリベルたんがいつも髪につけているリボンなんだけど。
マリベルたんが生前のお母様からもらったリボンなの。だから大事につけているのよ。
わたくしも、わたくしのリボンも、出る幕はないなあと思って……」
マリベルたんは優しいから、リボンをプレゼントしたらきっと受け取ってくれる。
でも、お母様との思い出が詰まった大事なリボンを身につけていたい気持ちと、わたくしの気持ちに応えたい気持ちとで板挟みになって、きっと困らせるわ。
わたくしはため息をついて、刺繍道具を放り投げた。
これをあげるつもりだったわけじゃないし、リボンにこだわる必要だってないわ。他のものに刺繍して、上手にできたらプレゼントする。そうすれば、お母様との思い出を阻むことなくプレゼントできるわ。
いろんなものをプレゼントしてあげたいし、たくさん記念日を作ってあげたい。お迎えできた日や、クリスマスなどのイベント、そしてやっぱり誕生日……。
「そういえば、ルチアのお誕生日はいつなの?」
「私ですか?」
ルチアは首を傾げる。少し悩むようなそぶりをした後、「忘れました」と言った。
「忘れたの? お誕生日を?」
「祝うようなこともありませんでしたから」
「そう……」
ルチアの表情がどことなく暗い。触れちゃいけなかったのかもしれない。軽率だったわ。
でも、分からないからなにもしない、というのもなんだかむずむずするわ……。
わたくし、前世では家族やお友逹のお誕生日をいつもお祝いしていたのよね。ちょっとしたプレゼントくらいだったけれど、喜ぶ顔を見るのが楽しくて……。
だからできれば、またあの楽しい感覚を味わいたいのよね。……わたくし、他にお友逹もいないし。
それに、大変な境遇だったらしいルチアにも、できれば楽しい思い出を作ってあげたいわ。
「……そうだわ! あなたのお誕生日はわたくしと同じ日ということにしましょう! そうしたらお祝いできるもの!
今年の分はどうする? なにか欲しいものがあったら言って?
できることならしてあげられるわ!」
ルチアはしばらく不思議そうな顔をしたあと、
「なぜそうまでして祝いたいのか分かりません。
欲しいものも……特に思いつきません」
と呟くように言った。
「わたくしがしたいだけだから遠慮しないで。
本当に、欲しいものはなんにもないの?」
「特には……」
「なんでもいいのよ?」
「………………」
ルチアは少し眉根を寄せて悩むような表情を浮かべた。
「…………では、それが完成したらください」
ルチアが指差したのは、わたくしが放り投げたリボンだった。
「えっ、これでいいの?」
「はい」
下手くそだし、もうだいぶ進めてしまっているから、ルチアのためという感じもしない。
そもそも今さっき完成を諦めて放り投げたものなのだけど。
「……まあ、ルチアが欲しいならいいけど」
「ありがとうございます」
ルチアは丁寧に頭を下げてくれてから、マクラーレンに報告があるからと資料を持って去っていった。
……もしかしたら遠慮しているのかしら。出会ったときからずっと敬語だし、名前で呼んではくれるけど半分命令だし。
数ヵ月も傍にいたのだから、もっと心を開いてくれたらいいのに。
わたくしは放り投げたリボンを手に取ると、ため息をついた。
「……わたくし、なにもしてあげられないのかしら」
***
 




