96.ガランサと魔道具
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「そういえばガル兄は、何で朝から?」
相手の返事を待つ前に、シャーリーが買ってきたパンを口に入れる。
朝はパンが美味い。小麦の香りは、朝の香りなのかもしれない。
食卓に並ぶ物は、全て四等分だ。
チーズをのせた燻製肉と目玉焼き。シャーリーの買ってきてくれたパン。
ガル兄のお詫びの品である、蒸し鶏をレタスで挟んだパン。
これは、前にも食べた事がある品だ。
お詫びの品として持ってくるということは、そこそこ高い品なのかもしれない。
ガル兄は、ゆっくりと肉を咀嚼している。そして口を空にし、言った。
「ああ。何日か前に世話になった魔石の件だよ。ようやく試作品が出来たからさ、お披露目はマルクにするべき、と思ってな」
「お披露目とか別にいいのに。まぁ、何を作ったかは気になるけどさ」
「うむ? ガランサは、剣士ではないのかえ?」
「ガランサさんは、工房ギルドの人だよ」
燻製肉と目玉焼きを切り分け、両方同時に口へと入れる。
お行儀が悪いが、この場は別にいいだろう。
豚の味と燻製時に付いた香り。そして黄身の濃厚な味。さらにチーズ。
この合わせ技は、卑劣だ。パンも口に入れたくなる。
「マルクや。ゆっくり食べんか」
テラさんの言葉に頷き、パンを手に取るのを止める。
そうだった、ゆっくり食べるのだった。食欲とは恐ろしい魔物だ。
ガル兄が、苦笑いを浮かべながら言った。
「こいつ、まだ冒険者の頃の癖が抜けてないんですよ」
「あ奴ら、食うのが早いからのぅ。して『頃の』という事は、今は違うのじゃな」
「おい、マルク。そんな事も話してないのか」
「いや、説明は必要ないかなー。って」
俺、前は冒険者だったんですよ。何て言って、どうするのだろうか?
「ハハッ。よいよい。今のマルクを気に入ったのじゃ。しかし、何か冒険譚があれば、暇な時にでも聞かせてくれると嬉しいのじゃ。のぅ、シャーリーや」
「うん。私も、冒険者のお兄ちゃんは知らないから……聞きたいかな」
期待されても、残念ながら語れる冒険譚なんて持っていない。
大抵の依頼が、行く、合流する、倒す、帰る。
それで終わりなのだから。
世に広まる冒険者の話のような、ワクワクドキドキとは程遠い所にいたのだ。
「残念ながら、話すほどの出来事は無いかな……冒険者ってより、モンスター討伐ばかりやってたからね」
冒険者を辞めてからも、似たような事しかしていない気もするが……今の俺には、これぐらいしか取り柄が無いのだから、仕方のない話か。
お茶を一口飲み、ゆったりとする。
ふー。一息吐いても、特に思い当たる話は無かった。
「ふむ、残念じゃのぅ」
「お兄ちゃんって、自分の話しないもんね。人の話も聞いてないけど」
「じゃなじゃな。マルクは、偶にボーとしとる所があるでのぅ」
「そうなんですよテラさん。この間も――」
ああ、女性同士の会話が始まってしまった。
パック先生は、この間に入れと言っていたが、俺には難度が高すぎる。
ジャイアントを倒す方が、簡単だ。
黙る代わりに、ガル兄の持ってきたパンを口に入れる。
塩と胡椒を利かせた鶏肉が、良い味を出していた。
レタスの嚙み切る音が顎を伝い、脳に響く。
うん。二度目だが、これは美味しい。
ガル兄に、店の場所を教えて貰おう。
リンダさんやアム、サンディ、パック先生とエルにも食べて貰いたい味だ。
「ねぇ、聞いてる? お兄ちゃん」
「ああ、聞いてるよ。また茶葉も買いたいしな」
「そうだね。でもお菓子も美味しかったから、また一緒にいこうね」
「ああ」
俺への苦言から、猫の日向に話は移っていた。
話に入れなくても、聞いておくぐらいは、しておかないとな……俺はお茶を飲み干す。少しの苦みが口を襲う。でも、これぐらいは美味しさの内だ。
今日は晴天、日差しは温かい。
今、ガル兄の工房の裏庭で、独り、木剣を振っている。
シャーリーは店の手伝いへ。
テラさんは、パック先生の所へ行ってしまった。
ガル兄が、試作品とやらを持ってくるまで、暇であった……なら剣を振ろう。
で、今も木剣を振り続けている。
仮想敵は、先程負けたガル兄の影だ。
踏み込み、袈裟へ斬っても、剣で軽く受け流される。横へ払えば避けられ、突けば弾かれる。攻め込めない。
「ちょっとの時間ぐらい、休んでおけよ」
「ん? 暇だったからね」
ガル兄が、小脇に何かを抱えてやってきた。
長方形の箱状のものだ。それが試作品だろうか? スノーゴーレムの魔石を使っているのだろうから、冷やす何か、だとは分かるのだが。
「まぁ、丁度良かったよ。これでゆっくり涼んでくれ」
そう言ってガル兄は、両手に持ち直した箱を、俺に向けた。
箱の前面には、幾つもの穴が空いている。
そこから、程よく冷たい空気が流れてきた。ああ、これは――
「冷風機を作ってたんだね」
「応よ」
冷風機は、魔道具を作る者、魔工技師ならば、誰もが考えつき、そして誰もが挫折する悪魔の魔道具だ。
流れる風が心地よい。風量も丁度良いが、なによりも――
「いい涼しさ。良く調整できたね」
「そこは、魔工技師の秘密ってやつさ」
冷風機作りで躓く点は幾つもある。
その内の一つが、冷却機能の調整だ。
これが、非常に難しい。魔石頼りで作ると、人が凍える強さになる。程よい魔石なんて見つかっていない。
魔法を刻み込むにしても、刻み込んだ魔法の出力調整が困難であり、発動の為の魔力供給量の調整が大きな壁となる。
魔術師が自分で手に持って使う分には問題ないのだが、持ったまま、それ以外の事が出来なくなっては、本末転倒だ。
人は、楽して涼しくなりたいのである。
魔力を垂れ流し、苦労して涼しくなっても、ちっとも心地よく無い。
「あー。涼しくて良い……家に置いてある失敗作と、交換して欲しいぐらいだ」
「アホか! これは今度、公爵様に献上する為に作ったんだよ。あの方、暑がりだからな」
「でもこれ、他の問題点は大丈夫?」
壁はまだある。
費用の問題。冷やす事に使える魔石は、需要が多い。入手が困難で割高だ。
汎用品として魔力を貯めることが出来る魔石も、多くの魔道具に使う為に、入手は争奪戦となる。
さらに燃費の問題。中身の魔石や、魔法を刻んだ部品は消耗品だ。
以前、凍えるほどの魔石と、炎を発する魔石を使って、良い塩梅に仕上げた魔工技師がいた。結果は、両方の魔石が急速に痛み、魔道具が燃え上がって終わった。
炎上しなくても、すぐに壊れていたので、どちらにしろ完成品とは言い難い。
外部材質、水の発生しない内部構造、耐久性、運用の安定性、安全性……。
ただ、冷たい風を出すだけなのに、魔工技師の苦悩は消えることは無い。
「公爵様に贈れるという点で、察してくれ」
「うん。これ良いよ。夏に欲しいね」
「また魔石が手に入ったら作ってやるよ。これもお前のおかげだしな」
これを作るのに、鮮度のよいスノーゴーレムの魔石が必要だったのだろう。
何処に使っているかは、聞くべき事では無いので聞かないが。
ガル兄が、その彫りの深い顔に、良い笑顔を浮かべている。
それだけで、ダンジョンへ付き合った甲斐があったと云うものだ。
まぁ、それは、それとして――
「お願いするよ」
「わたくしの分も御願い致しますね、ガランサ様」
いつの間にか、カエデさんが俺の隣で涼んでいた。
瞳を閉じ、顔を緩ませている。長い黒髪が、冷風機の風に流されている。
この冷風機、結構、範囲広いんだな。
シャーリーやアムと共に、これで涼めるだろうか……いや、夏はまだ遠いな。




